第1話 虹色の転校生
人生はクソだが、捨てたものじゃない。
というのは真っ赤な嘘で実際には巨大なクソの塊である。
これが中学生の頃に抱いた人生ってものに対する率直な気持ちである。たかが中坊の分際で人生悟ったようなこと言うなと思われるだろうが、実際にそう感じたのだから仕方ない。
かつて、無川翔太という少年がいた。
そいつは友達と馬鹿みたいに騒いで、たまにマジメに授業を受けて、可愛い女の子に恋をするという、どこにでもいる男の子だった。
これといってイケメンでもなければブサメンでもない平凡な顔立ち。身長は平均よりもやや低い。勉強は苦手で運動はそこそこ得意。部活動ではテニス部に所属し、休日には友人達と遊ぶ。母子家庭だったので金銭面で苦労していたが、その点を除けば特筆すべきことはない無個性で無色な少年だった。
しかしある日、無川翔太は――昔の俺は心を壊した。
悪魔のような少女達の手によって壊されてしまった。裏切りの果てに心は根本から折れ、ついには部屋から出られなくなった。
幸福だった小学生時代。
地獄だった中学生時代。
なまじ小学生時代が楽しかった分だけ落差が激しく、高い所から落としたほうがおもちゃは派手に壊れるとばかりに砕け散った。学校に行くのが楽しみだった少年は立派なひきこもりになってしまった。
そんな姿を見かねた母は俺を田舎の祖父母に預けた。
これが人生の分岐点となった。
田舎の優しい人々と祖父母の温かさに癒され、少しずつ人間味を取り戻していった。
隣の家まで徒歩数分という田舎のぽつりと一軒家での暮らしは人の目が気になって仕方なかった当時の俺にとって天国のように感じた。
心の傷はゆっくりと、しかし確実に癒えていった。
傷が癒えてくると過去のトラウマを払拭するために体を鍛えた。ランニングを日課とし、筋トレも始めた。最初こそ筋肉痛に悩まされたが毎日の積み重ねが解決してくれた。
頭も鍛えようと必死で勉強した。集中できる環境だったので毎日机に向かって手と頭を動かした。おかげで馬鹿だった頭も平均以上になった。
体つきが良くなって頭もそれなりになると外見にも力を入れるようになり、オシャレも覚えた。雑誌やネットで勉強し、人に笑われないくらいの男になれた気がした。
中学最後の春休みに転校してから二年以上の時を過ごした。
身長は十センチ以上伸びた。日々の運動のおかげで体も健康的なものになった。メガネからコンタクトに変え、長くてわずらわしい髪をばっさり切ると鏡に映る姿は別人になっていた。
次第に明るさを取り戻していった俺は転校先での中学生活を無難に消化し、高校に入学する頃にはトラウマをほぼ克服していた。
進学した高校でも平穏な時間が流れていた。
自分磨きに精を出しながら周囲の人々と付き合っていた。悪魔共のせいで女子に若干の苦手意識は残ったものの、生活に支障が出るレベルではなかった。
そんなある日、母から再婚話を聞かされた。
久しぶりに生まれ故郷に戻り、新しい父と対面した。再婚相手にも連れ子がおり、俺よりも一歳年下の女の子だ。義理の妹が高校生になったのをきっかけに籍を入れようと考えたらしい。
実際に会ってみた新しい父は温和な人で、優しく接してくれた。義妹のほうは少しギャルっぽいが可愛らしかった。
迷惑ばかりかけてきた母の幸せな顔に迷う理由はなく、再婚の後押しをした。
俺の苗字は「無川」から「虹谷」に変わった。無個性で無色だった自分が虹色になった気がしてこそばゆい気分になった。
再婚したのだから家族で生活したいと打診され、かつて暮らしていた故郷で生活することになった。本当は戻りたくなどなかったが、母からの誘いを断る選択肢はなかった。
転校先は天華院学園という近所では有名な進学校だ。新しい住居の近くにある学校で、義妹もここに通っている。
母の強い勧めだった。学力的にも問題なかったので特に考えずに同意した。
新しい家族との生活は悪くなかった。家族で過ごす温かさが心地よく、新しい生活に対しての不安も少し薄れた。
人生は巨大なクソの塊だ。
確かにそうかもしれないが、悲観する程でもないのかもしれない。意外とおもしろいところもある。
高校二年生になった俺は、いつしかそう考えるようになっていた。
◇
「今日はこのクラスに転校生が来ます」
担任の水島先生が告げる。
紹介された俺は教室に入り、黒板の前でクラスメイトとなる連中に顔を見せる。注目を浴びて過去のトラウマが甦るかもと不安になったが、体の震えはなかった。
「虹谷翔太です。田舎のぽつりと一軒家から引っ越してきました。都会の学校の雰囲気に飲まれています。どうぞ、お手柔らかにお願いします」
やや自虐的な自己紹介をして頭を下げる。
まずまずの反応だ。あちこちでくすっと笑い声が響く。値踏みされているような視線を感じるが、悪い感じはしなかった。
滑り出しとしては上々だ。
人生二度目の転校だが、都会に引っ越してくるのは初めての経験だ。おまけに季節は四月下旬という中途半端な時期。
友好的な雰囲気に不安が消えていく。
与えられたのは窓際最後列という最高のポジションだった。心の中でガッツポーズしながら歩く。
最初の難関をくぐり抜けて安堵していた。
「――よろしくね、虹谷君」
途中で少女から挨拶された。俺はそいつの顔も見ず反射的に「よろしく」と答えた。通り過ぎた後にどこかで聞いた声だった気がしたが、その辺りは今後生活していくうちに判明するだろうとさして気にしなかった。
隣の席に座っていた少女は長い前髪で顔を隠していた。
「初めまして。よろしくっ」
「……よろしく」
あまり会話が好きな感じではないらしい。
それはそれで好都合だ。最初こそテンション高めで挨拶をしているが、俺としては女子にはまだ苦手意識がある。これくらい大人しい女子のほうがやりやすい。
俺が席に着いたところで先生が口を開く。
「それじゃあ、朝のホームルームを始めます」
水島先生が連絡事項について話し出した。
最大の難所である転校の挨拶を無事に済ませたことで心に余裕が出来た。改めて教室を見回す。進学校らしくまじめな生徒が多かった。髪の毛の色も黒が圧倒的だ。
そこでふと、先ほど声を掛けてきた席に視線を向ける。
「……」
窓から吹き込む風が少女の赤い髪を揺らした。
その鮮やかな赤髪が過去の苦々しい記憶を思い出させる。
ここで数日前の自分の考えを否定することになった。
人生は巨大なクソの塊だ。
確かにそうかもしれないが、悲観する程でもないのかもしれない。意外とおもしろいところもある。
などというのは浅い思考である
俺は理解させられた。人生とはどうしようもないくらい最低最悪でしょうもないクソの塊であると。