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すれ違いの始まり

 少年は魔法で眠らせた年下の少年の寝顔を眺めた。

 瞼で覆われた金の瞳は暗さを帯びている。

 起きれば数多の少女が少年を囲む。

 少年に声が届く唯一の少女は眠ったまま。

 信仰心のない少年は唯一の少女の真似をして少女の目覚めを祈った。


 療養中のレティシアの部屋にエドワードが訪ねていた。


「ルーンに汚点を作りました。誰も責めません」

「姉上に汚点はありません。騙し合いは日常茶飯事ですよ。うちの力はご存知でしょう?僕にお任せください。信じてくれませんか? 姉上はお元気になることだけお考えください。もうお休みください」

「エドワードが優秀なのは知ってますわ。わかりました。お休みなさい」


 レティシアはエドワードの教育に悪いため監禁の詳細を、腹黒王子が恋に狂い、変態王子がブラコンを拗らせたとは話さなかった。それでも策に嵌められ、婚約破棄され醜聞を持ったことは隠せない。

 頼もしく笑ったエドワードが出て行く姿を見送り、レティシアはベットから抜け出した。ふらふらとした足取りでバルコニーに出た。乱れた呼吸を整え、椅子に座らず、テーブルをがっしりと掴んで力が抜けそうな体を支える。


「せめてもう少し立てるようにならないといけません。情けないところを見せられませんわ。公爵令嬢としてありえませんわ」


 レティシアは一人できちんと歩けるようになるために人払いして励んでいた。吹き抜ける風に乱れる髪を片手で抑えると覚えのある魔力の気配を感じ、勘違いであってほしいと願った。

 レティシアの願いは届かず、転移魔法で現れた花を持つ少年の姿を見て、唇を結んで大きく見開いた目を閉じた。


 魔力に富んだ花を手に入れ、レティシアの部屋のバルコニーに転移したクロードは風に揺れる美しい銀髪を視界に映した。

 クロードは長い銀髪を風になびかせながら立っている少女の姿に、目を見開き、手に持つ花を落としたことも気付かずに足早に近づく。


「レティ、目覚めたんだね」


 聞き覚えのある声にレティシアが目を開けると勘違いでも見間違いでもなく、かつて誰よりも大切にしていた蜂蜜色の髪と金の瞳の持ち主が映る。

 レティシアは体に魔力を巡らせ、上品な礼を披露しながら、令嬢モードで武装し淑女の仮面を被る。


「頭をあげて。顔色が良くなってよかった」


 歓喜しているクロードは平静を装いながら震える手を頭をあげたレティシアの頬にそっと伸ばす。命令通りに顔を上げたレティシアは微笑むクロードの顔を見ることなく、すぐに深く頭を下げた。クロードの手は空を切り、初めて見るレティシアの謝罪に驚く。


「ありがとうございます。ご心配をおかけしました。申しわけありませんでした」

「え?」

「私の浅はかさでお手を煩わせてしまいました」


 頭を下げたまま謝罪するレティシアの肩に手を置き、あたたかい体に安堵しながらクロードは平静を装い無理やり顔を上げさせる。ずっと求め続けたレティシアの青い瞳をじっくりと見つめ、金の瞳を細めて笑う。

 しばらく見つめ合いクロードは緩む口元を戻し、穏やかな顔を作る。


「違うよ。守れなくてごめん」

「お気になさらないでください。私の力不足ゆえです」


 レティシアは震えそうになる体に気合いを入れて、穏やかな顔のクロードから瞳を逸らさずに微笑む。

 フラン王国の男は紳士であり、婚約者を守るように教育されている。王族も同じ。

 クロードは久しぶりの自然な笑みを浮かべ、そっと右手を差し出した。


「これからも傍にいてくれる?」


 剣を握る利き手を差し出すのは信頼の証である。

 レティシアはクロードの手を見て、驚きを隠して正式な臣下の礼をするためにゆっくりと跪く。

 本音を隠してルーン公爵令嬢としクロードの手を恭しく両手で包み口づけを落とす。


「もちろんですわ。(殿下に疑われても)臣下として精一杯、いずれ訪れる殿下の治世のために励みたいと存じますわ」


 「殿下のお心のままに」と美しい笑みを浮かべ紡ぐ言葉はなく、手を繋ぐのではなく、忠誠の口づけを落とし唇を結び頭を下げたレティシアにクロードは嫌な予感に襲われる。

 レティシアがクロードに忠誠の礼をしたのは初めてだった。


「臣下として…」

「はい」


 クロードは即答したレティシアへの動揺を隠して、膝を折った。

 レティシアの肩に手を置き顔を上げさせた。

 顔を覗くとクロードの好きな信頼の籠もった真っ直ぐな青い瞳ではなく、感情を隠した静かな青い瞳が映る。衝撃を受けたクロードの喉はカラカラに乾き、声を発せなかった。クロードの変化に気付き、気遣うように問いかけるレティシアの唇は結ばれたまま。

しばらくしてクロードが口を開き、見つめる青い瞳に感情の色を探す。


「レティはそれでいいの?」

「はい。私の忠誠は殿下とルーン公爵のものですわ。私、」


 騎士が主君に忠誠、時に命を捧げる前に使う最高礼。クロードはレティシアにだけは忠誠を誓われたくなかった。

 忠誠の口上が始まる前にクロードは言葉を被せた。


「レティは私との未来を考えてくれていた?」

「ええ。昔は殿下の隣で。今は殿下と殿下の選ばれる方を支えるお手伝いができたらと思いますわ」


 レティシアの感情を隠した声音と静かな言葉、穏やかな微笑みに見せかけた警戒心に溢れる笑みがクロードの胸を貫く。

 幼い頃から王妃教育に必死に取り組み、王家の公務に励んでいたレティシア。クロードはレティシアにだけは婚約破棄を受け入れて欲しくなかった。―――――クロードの意思を聞かずに受け入れると思っていなかった。クロードは声が震えないように、ゆっくりと問いかける。


「もう正妃は目指さない?」


 レティシアはしつこい問いかけにクロードから尋問を受けていると認識していた。

 民の目に映る王妃は清廉潔白、醜聞は許されないと厳しく教わり、ルーン公爵家として利のない地位に一切興味が湧かないレティシア。


「一度でも醜聞を持った人間は相応しくありません」

「君の無実が証明されても?」


 ルーン一族に癒しの魔法を授けたウンディーネを信仰するレティシアは私利私欲で他者を傷つけないと決めている。

 王太子の婚約者でなくなったレティシアはクロードの選ぶ女性に口を出さない。

 今はまだ婚約者に指名されていないのでリアナ・ルメラは単なる男爵令嬢であり、公爵令嬢のレティシアよりも身分は低い。

 公爵令嬢が意図的に男爵令嬢を階段から落とし殺しても、事故か賠償金で処理される案件であり大した罪に問えない。身分に厳しいフラン王国では命の価値は違っていた。


 レオと二人で過ごしたことへの醜聞の罰が婚約破棄。すでに終わっており、策に嵌められた事実は変わらない。

 クロードがわかっていることをあえて説明する必要性は感じず、婚約破棄に不満は一切なく、今後も王太子妃の座を狙うつもりがないことだけ伝えることにした。


「人の心はそう簡単にはいきませんわ。対処できなかった私に資格はありませんわ」


 クロードは婚約破棄を受け入れているレティシアに茫然と呟く。


「私が君に傍にいてほしいと願っても」

「(心にもない)お戯れを。殿下の足枷にしかならないですわ。殿下、(レオ殿下の勘違いで醜聞持ちになった)私のことは気にせず(お好きな方と)前にお進みください。私は(王家に報復に動かないので)大丈夫ですわ」


 月明かりの下でクロードの揺れた瞳にレティシアは気づかない。

 レティシアは王太子妃を狙っていないかしつこく探りを入れるクロードに笑みを浮かべたまま即答した。


「私はレティがいないと駄目なんだよ」

「殿下の周りには優秀な方々がたくさんいますわ。愚かな元婚約者のことはお忘れください」


 レティシアからの初めての拒絶にクロードの心はどんどんえぐられていく。

 どうしても聞きたい言葉があり、誘導しようとしても溢される言葉は反対のもの。


「レティも忘れる?」


 レティシアは目を閉じて心の中に大事な存在を思い浮かべる。

 ルーン公爵家と王家との関係を考慮し、ルーン公爵令嬢として不敬にならないように言葉を探す。

 クロードの言葉に頷いたら不敬罪になりかねない。

 醜聞を持っても王太子の婚約者として王家のために励んだレティシアの実績は公爵令嬢として相応しいものである。そして実績は時に武器にもなることも知っていた。

「利用できるものは全て利用しなさい」という父の教えのもとに目を開けて微笑む。


「いえ。殿下と過ごした日々は大切な思い出ですわ。大事な殿下の幸せのために臣下としてお仕えする糧にいたしますわ」


 王家のために尽くした日は忘れず、王家の情報を他言しない。王家で最高の教育を受けたので、国のために励みますと伝えた。


 レティシアの本心を知らないクロードの折れかけた心が光を見つける。クロードにとって幸せな記憶を大事と言う言葉に。忘れるとレティシアが即答すればクロードの心は折れていただろう。

 王子の一存で簡単に迎え入れられ、責任もなく自分の庇護下で確実に守れ共に歩める道を口に出す。


「側妃なら?」

「ありえません。もし子供ができれば争いがおきますわ。婚約者選びが面倒だからって、諦めてください。いえ、私は殿下の幸せを願ってますよ。どうかお幸せに。私のことは捨て置いて心のままに進んでください。そろそろ帰らないと見つかりますわ。では殿下、お気をつけて」


 レティシアはクロードからの提案にルーン公爵令嬢としてではなく、レティシアの本音が言葉に混じり慌てて取り繕う。

 クロードはレティシアから初めて向けられる氷のように冷たいまなざしと声音に衝撃を受ける。

 動かないクロードにレティシアはゆっくりと立ち上がり礼をして部屋に戻った。


「レティ……」


 クロードは茫然とレティシアの消えていく背中を見つめていた。しばらくしてクロードはレティシアを追いかけずに転移魔法で消えた。

クロードの落とした花がポツンとバルコニーに残されていた。







 壁に背中を預けペタンと床に座りこんだレティシアは心の整理が終わるまでは誰にも特にクロードに会いたくなかった。

 魔力の気配がしたので消えたクロードに安堵して呟く。


「決めても人の心は簡単にはいきませんわ。王家と関わらずに生きることはできません。ルーン公爵令嬢らしくあるためには、もうしばらく時間をくださいませ。殿下とはきちんと関係性を築いているつもりでしたが勘違いでしたわ。殿下もルメラ様とばかり過ごしてましたものね。たとえ醜聞がなくても相談していただける関係さえも築かなかった私に妃になる資格はありませんわ。エイベルが裏切るなんて、脳筋が……。レオ殿下とともに失墜しても自業自得。変態とお似合いかしら?エイベルの代わりの騎士ならいるので不自由もないでしょう。リオ兄様は怒っているでしょうか。レオ殿下に近づかないように忠告されたのに、うっかり……。お説教は避けたいですわ。困ったことに体が思うように動きませんわ」


 監禁や婚約者達の裏切りで傷ついた心よりも優先すべきはルーン公爵家。

 レティシアは微笑もうとすると頬の筋肉がうまく動かなかった。


「いけませんわ。シエルがくるまでに、そうですわ」


 動揺し乱れた心を落ち着けるために、レティシアは魔力を纏い立ち上がり部屋を出て行く。

 ルーン公爵邸にはルーンの魔力を受け継ぐ直系しか入れない神聖な部屋がある。ルーンの秘術の伝授が行われる部屋でもあり、レティシアが初めて入ったのは12歳。父に治癒魔法を教わった部屋でもある。

 扉に手をあて魔力を注ぐと扉が開く。


 ルーンでは水の精霊ウンディーネは全てを受け入れ癒しを施すと伝わっている。

 王妃教育もほぼ終えて、王妃として相応しくなる覚悟を決め、甘えていた従兄と距離を置き、常に貴族の顔を求められるレティシアの本音を話せる唯一の場所だった。

 レティシアは母の言葉を思い出す。


「新しい生き方を、やりたいことを見つけなさいか」


 レティシアは水の精霊ウンディーネの像の前に立ちじっと見上げる。どんな傷をも治すルーンの信仰する精霊に向けて口を開く。


「ウンディーネ様、私は頑張りましたわ。でももう疲れました。クロード殿下に不満を話しそうになりました。

 私を不要と思ってるのに必要なんて社交辞令はいりませんわ。一度も邪魔するつもりもありませんでしたわ。誘導されて疑われるのもごめんですわ」


 ゆっくりと床に腰を下ろして、膝を抱えた。

 ここには礼儀に厳しい母は入れず、父は留守、魔力操作を覚えていないエドワードも入れない。

 レティシアが一人になれるありがたい場所である。

 レティシアは魔力を集めて左手の上に頭より大きい水球を作る。水球に映った愛らしい笑顔のクロードの想い人とは正反対の冷たい顔立ちに笑う。


「もしかして殿下はまだ私を正妃にしてルメラ様を側妃に迎える気だったのかしら?

 私が今まで通り公務をこなせば彼女への負担はありませんわ。私と子供を作れば魔力も継承されますわ。さらに醜聞のある私は扱いやすいかしら?腹黒ですものね…………」


 水球を握り潰すとパンと音が響き、手がびしょ濡れになる。手を開いて小さな水球を作り手のひらでコロコロと転がし弄ぶ。


「ですがこの婚約にルーン公爵家への利がないなら受ける必要はありません。やり方が周りくどいですわね。教えてくださればいくらでも手を回しましたのに。信用されてなかったので自業自得ですわ。アリア様のように殿下の心を支える存在にはなれませんでしたわ。申し訳ありません」


 レティシアが水球を握り潰すとパシャと顔に水飛沫がかかる。顔にかかった冷たい水の刺激が気持ち良く、水球を作っては手で潰して壊し、また作っては壊し次第にレティシアはびしょ濡れになっていた。


「殿下、私にも複雑な気持ちはありますが隠してお仕えしますわ。

 臣下として殿下の幸せを願う気持ちは本物ですが、許されるなら関わらないでいただきたいですわ。私のことなど忘れてルメラ様とお幸せに。

 痴話喧嘩にも兄弟喧嘩にも巻き込まれるのはごめんです。

 ウンディーネ様、ルーンのために生きますわ。王家のためと言われても貶められて一生を捧げるなんて許せませんわ。どうか見守ってくださいませ。ウンディーネ様のおかげで心が軽くなりましたわ。ルーンの魔力を献上致します。我らの心はウンディーネ様と共に」


 祈りの祝詞を唱えると足元の魔法陣が青く光り、部屋の中にレティシアの魔力が満ちる。びしょ濡れのレティシアは気持ちの良い魔力に微笑み目を閉じた。

 意識を失ったレティシアの体が崩れ、エドワードが駆け寄り抱き寄せた。

 エドワードは父に与えられた課題に取り組んでいた。課題を終わらせた後は、空気を読み楽しそうなレティシアに声を掛けずに静かに見守っていた。


「姉上、まだ体力が戻られてないのに」


 エドワードはびしょ濡れの姉に上着をかけてそっと抱き上げた。

 部屋に向かうとレティシアを探していたシエルとルーン公爵夫人に会い託した。

 エドワードは父の帰宅を聞き、執務室を訪ねた。


「お帰りなさい。姉上は殿下に未練はありません。僕は姉上はずっとルーンで過ごされるのが一番だと思います。領民も私財で養えますし、亡命しても構いませんよ。公表してないのに凄いですね」

「まだ病み上がりだ。社交界に復帰を公表すればさらに増えるだろう」


 エドワードはレティシアへの縁談の申し込みの書類の束に手を伸ばす。父が別に置いているものを見つけ有力候補の一番上にある見慣れた顔に笑う。父のお気に入りは昔から同じだった。

 捨ててある書類をエドワードは燃やした。ルーン公爵は息子の行動に何も言わずにペンを走らせた。

 

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