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目覚め

 ウンディーネを祀る神殿に青い瞳の一族が祈りを捧げる日。

 祝詞を唱え祈りを捧げるルーンの姫の姿はない。

 青い瞳を信仰する一族は美しい姫の弟王子の声に合わせて祈りを捧げる。



 ルーン公爵家ではレティシアの真っ青な死人のような顔が赤らみを、氷のように冷たい肌が温かみを取り戻すことを信じ魔力を送りつづけた。

半年が経ち、空っぽだった体にようやく魔力が満ちた。


「姉上」


 魔力を送っていたエドワードは氷のように冷たかった姉の手に温もりを感じ、力が抜けて手を握ったまま目を閉じた。

 エドワードが夢の世界に旅立つとレティシアの瞼が揺れた。ゆっくりと瞼が持ち上がり青い瞳が世界を映す。

 部屋に飾られるルーン領自慢の青い花の爽やかな香りに頬を緩ませ、あたたかい温もりに視線を向けると手を握っている弟のあどけない寝顔に青い瞳を細めた。


「エディのお顔は久しぶりですわ」


 レティシアは弟の愛称を懐かしそうに口にした。

 両親のように常に冷静で、従兄によく似た爽やかな笑顔で令嬢を魅了する自慢の弟は大人びていて11歳なのに子供らしさのカケラもない。

 レティシアはゆっくりと起き上がりエドワードの頭に手を伸ばし、柔らかい銀髪を優しく撫でる。自身の体が鉛のように重たいことを不思議に思いながらも弟のあどけない寝顔を堪能する。


「寝顔は可愛らしいですわ。大きくなりましたわね」


 エドワードが懐かしい感覚にゆっくりと目を開け、聞き覚えのある笑い声に勢いよく頭を上げた。視界に映る青い瞳を細めて微笑む顔に青い目を大きく開けた。


「あねうえ?」

「どうしました?」

「姉上!!」

「エドワード?」


 呆然としたエドワードにとって誰よりも優しい声が耳に響く。名前を呼ぶと返ってくる声、心配そうに見つめる瞳に力が抜けて、ようやく目覚めた姉にエドワードの目頭が熱くなる。死人のような姉の顔を見た時は生きた心地がしなかった。


「姉上」

「どうしました?お母様に怒られましたか」


 レティシアは様子のおかしいエドワードに腕を広げる。


「エドワード、おいで」


 エドワードはレティシアの体を気遣い首を横に振る。


「姉上、お体は大丈夫ですか?」

「体?ちょっと重たいですが大丈夫ですよ。え?」


 レティシアは昔のように抱きついてこない弟に手を下ろし、顔色の悪さに気付いて凝視した。

 エドワードは握っていたレティシアの手を放して、ベルに手を伸ばす。

 ベルの音が響くとすぐにレティシア専属侍女のシエルが現れた。シエルは起きているレティシアに息を飲み、瞳を潤ませ歓喜した。


「お嬢様!!」

「父上と母上を」

「かしこまりました!!」


 シエルはエドワードの命令に速足で部屋を出ていく。レティシアはいつも落ち着いているシエルの奇行と顔色の悪いエドワードに困惑しながら、弟の冷たい頬を両手で包み込む。


「エドワード、顔色が悪いですよ。無理はいけませんわ」

「姉上は自分のことを心配してください」


 エドワードは治癒魔法を使おうとしているレティシアの魔法の発動を魔力を流して止め、頬を包む手を掴んで首を横に振る。


「姉上、治癒魔法はいりません。魔力も送らないで」


 レティシアはエドワードからの初めての拒絶に衝撃を受けた。エドワードとは親しくないが良好な関係を築いているつもりだった。

 動揺を隠して令嬢モードの淑女の微笑みを浮かべ、布団の中に戻されていく両手を見つめていると扉が乱暴に開きルーン公爵夫妻が駆けこんできた。

 レティシアはいつも落ち着いている両親の様子に目を丸くし見間違いかと何度か瞬きをしても見える光景は変わらない。エドワードは椅子から立ち上がり、両親に礼をした。ルーン公爵夫人は勢いよく腕を伸ばし乱暴にレティシアを抱きしめた。


「レティシア!!」


 レティシアは礼をする前にきつく抱き締められ、背中に冷たい汗が流れる。教育熱心で礼儀に厳しい母親から恐怖のお説教を受ける心の準備をして身構えた。


「よかった。あなた」

「体は大事ないか?」


ルーン公爵は生気の蘇った愛娘の顔を見て熱くなる目頭を指で抑えて心の中で水の精霊に感謝を告げる。

母のいつもと違う涙を堪えた声にレティシアは戸惑いながらも、王宮に参内しているはずの父がいる運の良さに感謝し、動揺を隠して微笑んだ。


「お父様、お母様、このような姿で申し訳ありません。私は大丈夫ですがエドワードが」

「僕は大丈夫です」


エドワードがレティシアの言葉を遮った。レティシアは弟の無礼にさらに冷たい汗が流れた。両親のお説教が顔色の悪い弟に向かないよう抱き締めたまま動かない母親をおそるおそる見た。


「お母様」

「ローゼ、気持ちはわかるが離れなさい」

「レティ、目覚めてよかった」


レティシアにとって生暖かい雰囲気の両親に戸惑いながら、関心が弟に向かないように口を開く。


「お父様、申し訳ありませんが状況がわかりません。今日の予定は」

「食事をして休みなさい。また明日来るよ。ベッドの中で過ごしなさい」

「かしこまりました」


 ルーン公爵は目覚めたばかりで戸惑っているレティシアが動き回らないように声を掛け、シエルにいくつか指示を出してエドワード達を連れて退室した。

 ルーン公爵はレティシアの療養を最優先に目覚めたことに箝口令を敷き、ルーン公爵夫人が笑顔で厳命をした。

 歓喜して盛り上がる家臣達は主の命に力強く頷く。

 ルーン公爵家の家臣の忠誠は王家ではなくルーン公爵家。王家よりも大事なお嬢様の味方である。




 レティシアは様子のおかしい家族に戸惑いながらも父の命令に従う。両親に怒っている空気はないのでエドワードも無事だといいと願いながら。

 運ばれてきた薬湯を飲み、スープと果物をゆっくりと口に運ぶ。


「お嬢様、良かった。本当に、起きられないのかと」

「シエル、落ち着いてくださいませ。大丈夫ですから。ええ、私は元気ですよ」


 食事を完食すると、号泣するシエルに抱きしめられレティシアは困惑した。

レティシアは常に冷静で一定の距離を保つシエルに抱きしめられた記憶はない。得意の治癒魔法でシエルの体を調べても異常はない。背中に手を回し落ち着かせるために言葉をかけた。

 混乱しながらもシエルが落ち着いたので父親の命令に従い再びベッドに横になる。


「夢でしょうか?全てがおかしいですわ。夢でもお父様の命は絶対ですわ。ええ、ありえませんもの。エドワードに拒絶されたなんて…。そんなことは、夢ですわ。お父様は休みなさいなんて命令されませんもの」


 様子のおかしい周囲に現実逃避し目を閉じた。レティシアにとって何があっても当主の命令は絶対である。

 その頃ルーン公爵家では今後の方針について話し合いが行われていた。


 ****



「おはようございます。今日の予定はありません。どうかお休みください」


 レティシアは休んでも重たい体に不思議に思いながら、シエルの強い勧めでベッドの上で朝食を終えてお茶を飲んでいた。あり得ない予定にシエルに再度確認を頼もうとするとノックの音に姿勢を正す。


「どうぞ」


 ルーン公爵の訪問にレティシアは立ち上がろうとすると視線で制され動きを止める。ルーン公爵はレティシアが起きている姿に心の中で安堵して、娘の額にそっと手をあてて魔力を流し診察をはじめる。


「体は大丈夫か?」

「このような姿で申し訳ありません。体に力が入りません。なにかあったのでしょうか?」


 ルーン公爵は巡りの悪かった魔力の流れも元に戻り、ようやく回復しはじめた娘を静かに見つめる。自分に向けられた意志の強い瞳を見て、悩みながらも口を開いた。


「もう少し、元気になってから話そうと思っていたんだが、聞きたいか?」


 レティシアは歯切れの悪いルーン公爵の一瞬浮かんだ眉間の小さい皺を見て、真剣な顔で姿勢を正した。


「お父様のお時間が許せばお願い致します」

「つらい話になるが大丈夫か?」


 父の瞳に初めて戸惑いの色を見つけレティシアは深刻な話に備え気合いをいれ、淑女の笑みを浮かべる。


「はい。よろしくお願いします」

「レティシアが行方不明になり学園の地下から発見された時は衰弱と魔力切れにより意識不明。箝口令が敷かれているが主犯はレオ殿下。軟禁中のレオ殿下は黙秘。社交界ではレティシアとレオ殿下の不貞を疑われクロード殿下との婚約破棄。陛下はレティシアが目覚めてから希望があれば調査を再開されると」


 レティシアは監禁されたことを思い出し、恐怖で震える手を布団の中に隠しギュッと握り目を伏せた。

 頭に浮かぶ薄暗い部屋を意識しないように必死で思考を巡らせ、最善の答えを導き目を開き、穏やかな笑みを浮かべる。令嬢モードを纏えばレティシアはどんな時も感情や心を隠して笑みを浮かべられた。


「お父様、ご迷惑をおかけして申しわけありません。修道院に送ってください」

「レティシア?」

「ルーン公爵家にとって一番ですわ。レオ殿下との間に何もありませんが、世間の目は違いますわ」

「お前を修道院に送ったらクロード殿下が気にされる」


 レティシアはルーン公爵の勘違いに驚きを隠して微笑む。クロードは気にしないと思っても王族の心を明かすのはマナー違反である。


「もしルーン公爵家にとって利がある縁談があるならお父様にお任せします。ですがルーン公爵家として不利益になるなら切り捨ててください。自害が必要でしたら従いますわ」


 ルーン公爵は感情を読ませない瞳で穏やかに微笑みながら語る娘の肩に手を置く。

 幼い頃から王家のためだけに生きる方法を教えこまれ、成長すればするほど全てを王家のために捧げようと自分の大事なものを遠ざけた娘にゆっくりと言葉をかける。


「レティシア、落ち着きなさい。ただの噂だ。お前はルーン公爵令嬢として恥じる行動などしてないだろう?」

「策にはめられましたわ」


 ルーン公爵はレティシアが生き抜くための方法を教えてきた。

 常に利を求め、利用されるものが悪いと優しい娘が人を利用することに罪悪感を抱かないように。伏魔殿のような王宮で取り込まれずにきちんと立っていられるように厳しく教育した。

 レティシアが初めての失態を防げなかったことを責めるつもりはなく、自分にいつも厳しい愛娘の間違いを訂正する。


「貴族として恥じる行動はしてないんだろう?」

「はい」

「なら構わない。次は気をつけなさい。まだ目が覚めたことは公表しない。今はゆっくり休みなさい」

「はい。ありがとうございます」


 ルーン公爵は人形のように感情を出さずに穏やかな顔をするレティシアの部屋を出て行く。

 成長するにつれて子供らしさをどんどん失い感情を押し殺し人形のようになった娘。ルーン領の泉で満面の笑みを浮かべて遊んでいた姿は遠い昔のように感じられた。

 いずれ昔のように満面の笑顔を浮かべてほしいと願いながら部屋を出た。



 レティシアは醜態を晒したのに、咎められないことに戸惑いながらも大事なことを思い出す。

 監禁された時に共に捕まったシエルを呼び無事を確認し安堵の息を吐いた。シエルの号泣の理由も理解し、一番大事な確認が終わったレティシアはこれから先のことを考えはじめた。

ノックの音に姿勢を正すとルーン公爵夫人とエドワードが訪ねてきた。


「礼はいりません。休んでなさい」

「何も心配いりません。姉上はお元気になることだけお考えください」


 顔色の良くなったエドワードは爽やかに微笑みながらレティシアに謝罪の言葉を口にさせなかった。ルーン公爵夫人は優しく微笑みながら子供達の会話に耳を傾ける。

 レティシアはルーン公爵令嬢として策に嵌められ、婚約破棄され醜態を晒したのに、誰にも責められず目覚めたことを喜ばれる空気に戸惑いながらも、父の命令通りに療養する。

 一人になったレティシアはベッドから起き上がり、ふらふらと立ち上がり鏡の前に立つとやせ細り、衰えた容姿に驚く。


「お嬢様!?お休みください。顔色が」


 部屋に入ってきたシエルは顔色の悪いレティシアを心配そうな顔で見つめながら懇願した。頑張りすぎる癖を持つ主が無理をしないように。レティシアはシエルに支えられながらてふらふらとベッドに戻り横になる。





 翌日もレティシアは部屋を訪ねた両親と弟を笑顔で迎えた。しばらくして出て行く背中を見送り人払いをした。

一人になったレティシアは淑女の仮面を外した。ずっと浮かべていた笑顔が消えた。


「ルーン公爵家の面汚しですのに……」


 どんな時も意思の強さを持っていた青い瞳は虚ろだった。レティシアの脳裏に浮かんだのは勝気な笑顔の少女だった。



「クロード様は私のもの。貴女になんて負けないわ。お人形なんでしょ―――――――――貴女がわるいのよ」



 ふわふわの髪と愛らしい顔立ち、小柄でもきちんと凹凸のある体、天真爛漫なリアナ・ルメラ男爵令嬢。三年生の時に転入してきたルメラ男爵令嬢はクラスも派閥も異なり、レティシアもクロードもほとんど関わることはないと思っていた。ただレティシアの予想を裏切り、ルメラ男爵令嬢はクロードに気に入られた。クロードが一人の令嬢に強く関心を持ち、不敬行為を許し、擁護するのはレティシアにとって初めてのことだった。



 多忙なクロードはレティシアとの時間を大切にしていた。レティシア以外の異性と必要以上に関わることはなく、学園でエスコートするのはレティシアだけだった。

王子にためらいなく触れるという無礼を働く生徒はルメラ男爵令嬢だけだった。

無礼を咎められず、クロードの腕を抱きながら、仲睦まじく話すルメラ男爵令嬢をレティシアは何度も見かけた。



クロードの一番側にいる異性は婚約者のレティシアだったが、それはルメラ男爵令嬢がクロードと出会う前の話だった。



クロードの隣という居場所を奪われた。

レティシアの全てを捧げるつもりだったクロードに捨てられた。

共にクロードを支えると信じていたエイベルにさえ裏切られた。

レティシアが一心に信じていたものが崩れ落ちた。


「わかってますわ。私の役割を、」


 鏡に映るのは痩せ細った顔に平坦な体。容姿を取り戻すまで療養を命じられたレティシアは楽な道を選べないと気付いていた。

 修道院でウンディーネに祈りを捧げ、静かに暮らしたくても許されない。レティシアの運命はルーン公爵令嬢として生まれた時から決まっている。


「弱い私は相応しくありませんわ。あのように振る舞うなんてとても……」


 レティシアは一人になると震えが止まらなかった。冷たい体を強く抱きしめ、目を伏せた。


「王太子妃は王子のために存在する。変態も腹黒もごめんですわ…………バカみたい」


 王妃教育に従いクロードを一心に思い、クロードのために生きてきたレティシアの冷たい声が響いた。

クロードが望んだのは王妃に求められるものとは正反対な素直で自由な少女。レティシアはクロードのために捧げた時間も自分も惨めに思えていた。



 恨んでいない。

 助けも求めていない。

 それでも……。レティシアが閉じ込められた時、クロードが誰といたかきちんと覚えていた。

 八つ当たりと分かっていても、笑顔で祝福するには時間が必要だった。




―――――――――監禁に婚約破棄は献身的な王太子の婚約者を変えるには十分なものだった。

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