レティシアの暴走
欲と夢を抱える令嬢がぐちゃぐちゃに切り刻み、汚した青い布を机の中にいれる手が掴まれた。
少年に微笑みかけられ少女は頬を染める。
少年は少女の耳に囁き、布を大事そうに抱え消えていく。
顔を真っ青にした少女はペタンと座り込む。
音もなく現れた青年が少女の腕を掴み姿を消す。
少女が再び姿を現すことはなかった。
「美しい星空です。殿下の瞳に似てますわ」
「大袈裟だよ」
「殿下は光であり道標。相応しいのは殿下です。そろそろ戻りますわ」
「私も戻るよ。もう一曲申し込んでもいいかな?」
「光栄ですわ」
初めて夜会を抜け出したクロードは過去を思い出していた。
挨拶を受け、ダンスを踊りバルコニーで空を見上げながら談笑するのは貴重な二人の時間。公務でも婚約者と過ごせる至福の一時。ずっと続くと信じていた未来の一つ。
煌びやかな会場に賑やかな喧騒、隣にいたはずの少女がいない。
クロードが退席した後の惨事も気にならなかった。
いつも惨事の収集に動いていた誠実な王子は役目を放棄した。
その頃、王子がダンスを踊りたい少女は学園生活に疲弊しベッドの中でぐっすりと眠りについていた。
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レティシアは生まれて初めて恋愛小説を読んでいた。
恋が嫌いなレティシアは必要に迫られ読んだため面白さは求めていない。本にしては薄いと思いながら、知識として頭に叩き込んでいる。情緒が欠落しているレティシアは主人公には一切共感できなかった。
アリッサは多くの令嬢を泣かせた恋愛小説を冷めた顔で物凄い速さで読破しているレティシアに呆れた顔で眺めていた。5冊ほど読み終えたレティシアが顔を上げた。
「マートン様はどの告白がおすすめですか?私はここに心が惹かれますがいささか非現実的ですわ」
「医務官が瀕死の男に無能と罵られるところのどこに感心するのよ!?夜盗を脅す侍女と言い、どうして脇役のシーンばかり気に入るのよ!?主人公に意識をむけなさいよ!!いくら読んでも理解できてないじゃない」
「失礼ですわ。理解してますよ。身体的接触により胸が高鳴り、過度の緊張が起こると、」
「その見解はやめてくれる?夢が壊れるわ。その思考はどうにかならないのかしら。ほら、あそこ見て見なさいよ」
レティシアはアリッサに恋愛小説を返して視線で示された窓の外で語り合う男女を眺める。転んだフリをして男子生徒を押し倒した女子生徒を真剣にレティシアは眺めていた。真っ赤な顔の男子生徒の手は女子生徒の胸にあり、レティシアは小さな自分の胸を眺めた。小説に書いてある体が興奮する症状を起こすには物足りなかった。
「淑女として慎みに欠けますが、身体的接触と勢いですのね。ですが私のお胸では反応してくださるか、」
「手を握るくらいにしておきなさい。殿方に胸を押し当てるなんて、ましてや押し倒すなんて」
「とりあえず、数打てば当たりますね。このぷれいぼーい?のように。十人声を掛けて一人と一夜を共にできるなら私はまだまだ足りませんわ。今は小説と同じ良縁探しの時期ですから舞台はバッチリです。私はルーン公爵令嬢。後ろ盾はばっちりです。雰囲気を作って取引をすればいいんですよね。目指せ、利害の一致ですわ」
「押し倒すのはやめなさいよ。ルーン様!?」
「行ってきますわ」
「授業までには戻りなさいよ」
犬猿の仲のレティシアとアリッサの親しげな会話に突っ込み役は不在だった。レティシアとアリッサ以外の生徒は優雅に微笑むレティシアの告白相手に同情した。
ほとんどの上位貴族達は王太子妃になるのはレティシアだと確信を持ち動いていた。クラスで最も家格の高い二人の令嬢は恋愛に対してはポンコツだった。そしてこの求婚の結末もわかっていた。
レティシアに求婚、お付き合いを申し込むなら許可を取るようにと学園で王子の次に権力を持つ男に命じられていた。
求婚がうまくいかない事情を知らないレティシアは六年一組の教室に入り、探し人を見つけて微笑みながら近づく。
「グランド様、恋人を前提にルーンに婿入りしてくださいませ!!お慕いしております。もちろん好条件でお迎えしますよ。ルーンの後ろ盾はもちろん、治癒士も特別価格で斡旋しますわ。グランド伯爵家の皆様専用の回復薬も調合しますよ。グランド様からはお金を取りません。私がお仕えしますわ。一生貴方の体を丁寧にお世話致します。私で駄目ならお父様が、王国最高の治癒魔法もご覧に。もちろん雨乞いも」
レティシアは地属性の騎士であるグランド伯爵家次男サイラスに求婚した。
火や風属性よりも地属性のほうがルーンに有益であり、ルーンの騎士を鍛えてもらえれば名案と突撃した。レティシアの奇行に驚くサイラスの手を両手で握り微笑んだ。
リオが連日求婚するレティシアの肩をがっしりと掴んだ。今回は求婚相手がマトモな男でも止めない選択肢はない。
「俺の話がわかってなかったのか。リオ兄様は悲しいよ。サイラス、このバカは気にするな。忘れてくれ。どうか皆も見なかったことにしてほしい。俺の従妹は調子が悪いみたいだ」
レティシアはお説教をする時に聞こえる声音にサイラスの手を離し振り返るとリオがいた。昨日も告白の方法が悪いと長いお説教をされていた。リオは求婚を止めているのに暴走しているレティシアには通じていなかった。
学園ではレティシアがリオに連行されるのは見慣れた光景になりつつあった。二人の雰囲気は甘さの欠片もなく、教育係と出来の悪い生徒のため誤解されることはなかった。
リオに連日お説教を受け、求婚に夢中なレティシアは変化に気付いていなかった。
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クロードはリオから渡されたレティシアの流暢な文字で埋まった反省文を金の瞳を細めて何度も何度も読み返した。
フラン王国のための崇高な話し合いのために授業を休んだことへの反省文を。
レティシアの夢見るクロードの統治する未来への期待、クロードに相応しいアリッサがどう支えていけるか、アリッサの不足は臣下としてレティシアが補い、クロードの幸せを願う言葉で締め括られていた。反省文としては不適切だったのでリオが書き直しをさせた時に預かったものである。
「私に相応しく、私を幸せにする決意もあるって……。レティ、間違いだよ」
レティシアに親しみの欠片もない絶対零度の眼差しを向けられているクロードは反省文を読んで泣きたくなった。恋に狂ったクロードに軽蔑したレティシアの求婚騒動を知り、諦めるべきかと落ち込んでいたら光を見つけてしまった。
「こんなものを書いて諦めろって無理だよ。レティ、捨てたいものを惜しいと思わせるのは君の言葉だよ。この世界では幸せそうに笑ってくれるんだろう?王国の繁栄は君の大事なルーンの繁栄だから」
クロードの呟きに噛み合わない二人の思考にリオが笑う。恋愛嫌いになったレティシアはいつかクロードの目が醒めてほしいと願っているとは伝えない。
「貴族の言葉には重みがあります。殿下が歩む道のため未来の国王夫妻を支えるために力を尽くすと書いたのはシアです。殿下が進む道に必要だと思われるなら言葉通りに受け取ってもいいと思いますよ。シアはバカですが愚かではありません」
「ここまで無茶をしてるんです。今更、一つ増えても驚きません。王家に裏切られても国のために前を見据えているレティシア様。殿下が生きるために必要なら――――、ここからはご自分でお考え下さい。私の自慢の教え子は真摯な言葉にはきちんと耳を傾けるはずです。課題に集中している時以外に声を掛ければ」
クロードはレティシアの隠し事を知りたかった。冷たい視線の理由も。
レティシアが意識不明になった日から抱いていた恐怖と不安に加え、後悔と憎悪に襲われた。クロードにとって制御が難しい感情を収めてくれたのはレティシアから注がれた魔力。
感情に呑み込まれずに現実に戻してくれるのは食事代わりに飲むレティシアの魔力が籠もった薬のおかげだった。体に巡る爽やかな冷たい魔力が荒ぶる感情を抑えてくれた。レティシアの顔を見れば愛しさがこみあげ、暗い感情さえも忘れる。
クロードはリオにポンと肩を叩かれて顔を上げた。
「出かけるよ。ありがとう」
「お気をつけて」
アリッサに敵意がなくなってからはレティシアに声を掛けずに暗い瞳で見守っていたクロードが転移魔法で消えていくのをリオ達が見送った。
「レティシア様は求婚しなくても公爵閣下に頼めばすぐに縁談が決まるのに気付かないんでしょうか」
「暴走したら止まりません。シアの思考回路だけは理解できません。そろそろ落ち着くといいんですが、あのバカ、失礼します」
窓の外で人を探しているレティシアとアリッサを見つけてリオは窓から飛び出した。従妹の求婚を本気にする男が出る前に止めるのがリオの役目だった。
侍従はリオに捕まって動揺しているレティシアを眺めた。
幼いクロード達を知る侍従はいつもレティシアの味方のリオがクロードの面倒を見るのが意外だった。
「リオ兄様は懐に入れた者には物凄く優しいんですよ。エイベルの訓練にきちんと付き合ってるでしょう?特にマールは血縁に弱いんですよ。だからリオは何があってもクロード殿下の味方ですわ。従兄ですから。遠慮せずに手伝ってもらいましょう」
「レティシア様のおっしゃる通りですね。エイベル様は戻れません。それでも殿下はご友人に恵まれています。リオ様には感謝しかありません。殿下、変化はチャンスでもありますよ。もしかしたら殿下の望まれる関係になれるかもしれません。盲目的な信頼では対等な関係は築けませんから」
無邪気に遊ぶエイベルとレティシアの面倒を見るリオ。三人を羨ましそうに眺めていたクロードをよく知る侍従は無茶を止めない。
クロードは頑固で一度決めたら譲らない。クロードとレティシアの根本はよく似ていた。そして感情のない人形と囁かれたレティシアよりも穏やかで誠実な理想の王子と評価されるクロードのほうが頑固である。




