第8話 彼女の欲しいもの
真船君に告白しよう。
そう決意はしたものの、いっこうに実行できないまま、兄に諭された日から一週間が過ぎた。理香は内心どうしたもんかと焦りつつ、軍手をはめた両手で雑草を引っこ抜いた。
今日は理香の学校の登校日である。とはいえ、実際は午前中の3時間、適当に割り振られた区域を掃除するだけの登校日なので、参加するのは帰宅部の生徒(強制参加)と風紀委員や美化委員、生徒会役員(自由参加枠という名の強制参加)だけである。そして現在、理香は炎天下の中、汗水垂らしながら中庭で、同級生の女子と2人きりで草むしりをしているわけである。
(なんで中庭を女子2人に割り振るかな担任……蹴り倒してぇ…)
暑さのせいで苛つきつつも、草を引っこ抜く。歩美は部活の練習を優先させているため、今日の清掃活動には参加していない。とはいえ、恋愛の話になると途端に飢えた獣のようになる歩美に恐れをなして、理香は一度慎也のことについて相談して以来、なんやかやとはぐらかして、歩美に慎也の話をするのを避けているので、今更―――特に「ちょっと告白したいんだけど、どうすればいいのかなぁ」などという話題を―――歩美に相談するつもりもない。
(うーん、簡単なんだけど、恥ずかしいなぁ)
慎也が理香に好意を抱いていることは、理香にもわかっている。だから、振られることはないように思う。ただ、恥ずかしい。そして、2人の関係が変わってしまうことが、なんとなく恐ろしい。
兄が指摘した通り、理香は慎也が好きで、大切で、自分のものにしたいのだ。ただ、慎也の方にもそのような独占欲があるのだとしたら。
理香が慎也に逃げられてしまうことはあっても、理香が慎也から逃げきることができるとは、断じて思えない。つまるところ、今の関係なら慎也を傷つけて、ついでに自分自身を傷つけてでも、2人の関係を終わらせることはできる。しかし、理香が慎也に告白することで、2人の関係が変わってしまったら、理香は慎也を捕まえて離さないだろうし、慎也も恐らくそうだろう。そう思うと、理香は今一歩告白に踏み出せないのだ。
(自意識過剰かなぁ…。でも、東城君に近づくなって言ってたしなぁ。お兄ちゃんにも薄着で近寄ったらだめとか言ってたし…。かっこいい芸能人褒めたら寂しそうにしてるし…)
基本的に何事にも執着しなさそうに見えて、慎也は案外束縛が強そうだ、と理香は自分のことを棚に上げて思った。時々理香を何時間も放っておくこともあるくせに、そうでない時は慎也に意識が向いていないと悲しそうにしている。そして、理香が慎也を意識する分、「不思議」も今まで以上の頻度で起こりそうだな、とあまり嬉しくない予感がした。
(あの現象だけは、未だに慣れないけど……怖いの嫌だし、死にそうな目に遭うのもごめんだけど…)
慎也と一緒に居られるのなら、構わない―――などと思い始めている自分に、理香は「恋は盲目」という、古代から連綿と続いてきた普遍の真理を思い出して、1人大きく溜息をついた。
「あー、もう、ほんとやってらんない!」
いい加減暑さのせいでキレたのか、理香と同じく1時間半ほどの間、無言で草をむしっていた同級生が唐突に声をあげた。理香は自分とは反対方向に向かって草むしりをしていた彼女を振り返る。
「なんで、制服で、たった2人の女子に、中庭の草むしりなんてさせるかな!こういうのは日頃から暑さに慣れてる運動部の男どもがやればいいのに!部活動優先の法則、後で兄貴に文句言ってやる!!」
ぷりぷり怒りながらそう言っているのは、理香のクラスの学級委員長を勤めている中川美奈子で、彼女は3年生の兄が生徒会長をしているのである。普段は冷静で落ち着いた雰囲気の彼女も、理不尽なこの清掃活動には頭にきたらしい。
「中川さん、落ち着いて。怒っても余計に体力削り取られるだけだから」
「浅宮さん……何でそんなに落ち着いてるの?暑くない?苛つかない?」
「暑いし苛つくけど、もう時間はあと半分なんだし。先生があとでちゃんとやったか確認するって言っても、さすがに女子2人だから出来るところまででいいって言ってたしさ、あともうちょっとだけ頑張ろう?」
「浅宮さん……」
感動したような目で見つめてくる美奈子に、脳内で既に10回は担任教師の頭を蹴りとばした理香は微笑んだ。
「でも、会長には是非言ってほしいな。何も部活動生は清掃活動免除にしなくてもいいのにね」
「ほんとだよ!うちの学校は別に部活動を強制参加させらているわけじゃないんだから、そこまで特権認めなくてもいいのに」
しかめっ面で答える美奈子を見て、ふと思いついた理香は、勇気を出して言ってみた。
「あのさ、中川さん。告白するのって、どんな風に言うべきだと思う?」
「はい?」
唐突すぎる理香の問いかけに、美奈子は目を丸くした。そして、まじまじと理香を見つめる。
「………浅宮さん、好きな人いるの?」
「うん」
「まさか、園芸王子?」
「それはないです。東城君は観賞用だよ」
「あー、まぁ、そうだよねー」
うんうんと納得している美奈子は、そのまま理香の方へやって来て、隣にしゃがみこんだ。
「じゃあ、誰?わたしが知らない人かな?」
「うん、多分。別の高校だし。小さいころからの友達なの」
「へぇー。じゃあ、幼馴染ってやつ?いいなぁー」
にこにこと美奈子は笑った。理香は内心ほっとした。中川美奈子はやはり、歩美のように恋愛になると目の色が変わるタイプの女子ではないらしい。
「わたしは告白とかしたことないからよくわかんないけど、兄貴は割と多いよ、される側で」
「あぁ、会長、かっこいいよね。理知的な感じで」
「あれは違うよ、超ど近眼な厚底眼鏡のサドだよ。顔はいいかもしれないけど、性格が駄目だから」
心底嫌そうな顔をして、美奈子は言った。部活動に入っていない彼女は、よく放課後に生徒会のメンバーに拉致されて生徒会長の仕事の手伝いを強制的にさせられているから、会長のことを嫌っているのかもしれない、と理香は思った。
「兄貴に聞いた話だと、真剣に言ってくる子と、ほんとに軽ーく冗談みたいなノリで言ってくる子と、バラバラなんだって。告白してくる子って」
そう言って、美奈子は首を小さく傾げて理香を見た。
「でも、兄貴はさ、本気の答えが欲しいくせに、わざと冗談みたいな明るいノリで『好き』って言ってくる子は嫌なんだって言ってたよ。流して傷ついた顔されるのも、断って泣かれるのも、困るんだってさ。わたしは別にどっちでもいいんじゃないかと思うんだけど、受け取る側の好みだよね、そういうのって。でも、自分の気持ちをちゃんと伝えたいんなら、どういう風に言うにしろ、思ってることをそのまま伝えるのが一番大事なんじゃないかなぁ」
美奈子の言葉に、理香はしばし、考え込む。理香が思っていることを、そのまま慎也に伝える。はたして、うまく言えるだろうか。いまだによくわからない部分のある、真船慎也とこれからも一緒にいたい。大切にしたい、独占したい。「不思議」は怖いが、実害がない限りは我慢する。だから―――
「………友達には、友達としての未来があるんだよね」
理香の言葉に、美奈子は「うん?」と返事した。
「でも、それじゃあ私、我慢できないんだよねぇ」
問題もある人だ。最近は理香のことを大分気にかけてくれるようになったが、それでもまだまだ真船慎也のマイペースさは崩れていない。告白して、その先に果たして、理香と慎也の2人に世の高校生カップルのような付き合いができるのかは甚だ疑問である。しかし、理香は今、その不確定な未来が欲しくてたまらないのだ。
「浅宮さんって、案外情熱的なんだね…」
少し驚いた様子で美奈子が呟いた。理香は照れたように笑って、ただ単に我侭なだけだよ、と言った。
「正直、どう言えばいいのかわからなかったんだけど、そうだよね、自分の気持ちをそのまま伝える、王道こそ勝利の道だよね」
「告白成功させる気満々だね…」
「うん。ありがと、中川さん」
「美奈子でいいよ、わたしも理香って呼ぶから」
浅宮さんってただのロリ&眼鏡っ子属性じゃなかったんだね、と理香にはよくわからないことを言って、美奈子は笑った。
「よしっ。今日、告白してくる!」
「おー、頑張れっ。応援してるよー」
思い立ったが吉、即座に慎也に夕方会う約束を取り付けるメールを送信し、理香は微笑んだ。大丈夫、慎也が好きだという気持ちは誰にも負けない。今日は理香が慎也を驚かせる日なのだ。
そして、彼女は動きだす。
2人の関係を変えるため、欲しいものを手に入れるため。
『友達』では得られない未来を掴むために。
余談:
園芸王子のネタ(2話初登場)を引っ張っていますが、彼は普通にハイスペックな上にいい人です。本人は出てきませんが。中川さんは大人っぽい頼れる委員長です。でもちょっと変わった人です。
ちなみに、理香は長年の兄との攻防と真船君のせいで、若干暴力的な上に口の悪い女の子です。でも実際に殴りかかったり暴言吐いたりする相手は兄と真船君だけなので、特に問題はありません。