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第6話 難解で単純な結論

「初めまして、真船慎也といいます。理香ちゃん、お借りしますね。夕方には送り届けますので」


 慎也は実に礼儀正しくそう言って一礼し、理香の手をとって歩き出した。

 思いもかけぬ展開に、慎也に引っ張られた理香が慌てて後ろを振り返ると、突然表れた見知らぬ少年に目の前から妹を連れて行かれた兄が、家の前で呆気にとられた顔をして、理香をなす術もなく見送っていた。


****************************************


「母さん、あれ、誰?!」


 しばしの空白の後、茫然自失状態から立ち直った浅宮雄一は、すぐさま家の中にとって返して、台所で朝食の後片付けをしていた母親に、そう問い詰めた。


「うるさいわねー。あれって誰よ」

「それを俺が聞いてるんだって!」

「だから、あんたの言ってる『あれ』っていうのが誰のことだって聞いてるのよ。前文に対象の存在しない指示語だけで、何のことを言ってるのかわかるわけないでしょうが」

「あれは、あれだよ!今、ちびすけを連れて行った奴だよ!」

「ちびすけ、じゃなくてちゃんと名前で呼びなさい。そういう風に苛めるから、理香に鼻の穴の中にわさびを詰められるのよ」

「そっちこそ俺の親なら俺を助けろよ!あれは死ぬかと思ったわ!……そうじゃなくて。今、ちびすけをどっかに連れて行った奴!誰?!」

「ええ?理香、出かけちゃったの?……それなら、いつも理香と遊んでる友達じゃないの?よく休みの日に朝から出かけてるじゃない」

「友達?!」


 そうよ、夏休みなんだから理香だって友達と出かけてもいいでしょ、何いちいち大声出してるのよ、いい加減妹離れしなさいよあんたは―――などという母親の呆れた声をBGMに、雄一の頭の中で、友達、という漢字が浮かび、ぐるぐると飛び回った。ついで先ほど丁寧な挨拶をした少年の、滅多にいない端正な顔立ちを思い出して、雄一は即座に、そんなわけあるか、と思った。

 雄一が全く見たことのない少年だったが、そのくせ彼の妹の手をごく自然に取って歩いていった。高校生にもなって、兄弟でも親戚でもない赤の他人の異性同士がそんな風に寄り添う関係なんて、一つしか考えられないではないか。


「…………………おのれ、ちびすけめ。兄に黙って、いつの間に」

 

 どうやら母親はあの少年については何も知らないようだ。こうなったら、帰ってきた妹を徹底的に追求してやる。でもって、場合によっては邪魔してやる。

 

 先日、長年片思いをしていた相手に失恋したばかりの、「恋愛しちゃってる若者」が現在世界で一番憎らしい存在である雄一は静かに、理香にとっては非常に迷惑な決意を固めた。


****************************************


 夕方、午後5時半。

 いつものように慎也に振り回されて家に帰ってきた理香は、自室のベッドの上に座り込んで、侵入者を睨みつけていた。

 侵入者の名前を浅宮雄一といい、地元の4年制大学に通う、理香の4つ年上の兄である。父親に似て180cm近い長身のこの兄は、理香のことを「ちびすけ」と呼ぶ無礼者で、大人げなくも理香のことを小学生レベルの幼稚な内容でしょっちゅう苛めてくる。この間はあまりにしつこくからかってきたので、翌日の早朝、理香は兄がぐーすかと馬鹿面を晒して寝こけている時分に、鼻の穴に練りわさび(消費期限切れ)を詰め込んで絶叫させてやった。


 そんな、理香にとっては天敵とも言える兄は、突然ノックもなしに理香の部屋に侵入してきた挙句、勉強机の椅子に腰掛けて、普段からへらへらしている彼にしては珍しく、難しい表情で腕を組んで理香の方を見ているのである。

 

 今朝、普段なら昼過ぎまで寝こけている癖に、どういうわけか早起きしていた兄が慎也と遭遇した時にはかなり動揺した理香であったものの、その後慎也が「お兄さんは、何だか雰囲気がサンショウウオに似ているねぇ」などと意味不明なことを言い出したがために、帰宅する頃には朝の動揺は完全に消え去っていた。その代わりに、理香は今日の大半を、何故か兄とサンショウウオの類似点について慎也と語り合うことに費やしてしまい、無駄に疲れきっていた。


「お前ら、いつから付き合ってんの?」


 5分間ほどの沈黙の後、雄一はそう切り出した。


「………はぁ?」


 頭の中で、慎也の語ったサンショウウオの生態と兄の生態を無意識に比較していた理香は、兄の口から発せられた思いもよらぬ言葉に、思わず裏返った声で返事をしてしまった。


「『マフネシンヤ』だっけ?俺の見たことのない奴だよな。母さんも知らないみたいだし」

「ちょ、ちょっと待ってよ!別に真船君とは付き合ってるとか、そういうんじゃないよ!」

「あぁ?んなわけないだろ。隠すなよ、ちびすけの癖に」


 そうかそうか、あっちは『理香ちゃん』で、ちびすけは『マフネ君』って呼んでるわけね―――と、しきりに頷いている雄一をよそに、理香は絶句した。なんだ、付き合ってるって。何故そうなる。


「で?『マフネ君』は同じ学校の奴か?結構前から付き合ってんだろ?」

「だから、付き合ってないってば!勝手に決め付けんな!」

「嘘つけ。あれだけ2人だけの空気作り上げといて、そんなわけあるか」


 理香の言葉を即座に否定した雄一は、訝しげに眉を寄せて、脳裏に朝の言葉どおり、夕方になって理香を家まで送り届けてきた『マフネ君』のと理香の様子を思い浮かべる。慎也は、2階の自室の窓から、家の前で何やら会話している2人の様子を観察していたのだ。

 さすがに何を話しているのかまではわからなかったが、それでも両目の裸眼視力2.0を誇る雄一には、『マフネ君』の理香に対する、柔らかくて優しく、そしてある種の熱を瞳に宿した表情と、その彼を少々戸惑いつつも真っ直ぐに受け入れようとしている理香が作り出す、何だか微笑ましいようなむず痒いような、他者の割り込めない空間をしっかりと目撃した。

 小さくて子どもっぽくて凶暴で口の悪い妹の、そのような場面を見るのは、兄としては何ともいえなく気恥ずかしいものでもあり、少々面白くないものでもあったが、『マフネ君』の焦がれるような眼差しに先日まで片思いをしていた自分が重なり、雄一は当初の決意を若干変更して、2人の関係を陰ながら応援してやることに決めたのだ。


「違うってば!大体、私と真船君じゃ、釣り合わないでしょ!」

「はぁ?」

 

 思わず、自分の中で悶々と抱えていた不安をそのまま雄一ににぶつけてしまった理香だったが、その言葉に肯定の返事を返してくると思った兄は「何言ってんだ、お前」と呆れたような声で、


「それは見た目のことか?まぁ、確かに『マフネ君』はいい顔してるけど、明らかにお前ら両思いだろ。つーか、本気でまだ付き合ってないのかよ。さっさとくっつけ。大体、あんだけ甘酸っぱい空気を出しといて、釣り合ってるも釣り合ってないもないだろうが。そんな評価を気にしてどうするんだ、お前。わざわざ自分で自分を落ち込ませて、なんかいいことあるのか?即結婚するわけでもないんだから、お互いに好き合ってるかどうかって問題より大事なことなんかないだろうが、アホ」


 と言い、理香を再び絶句させた。

 

 そんな妹の様子に、(こいつ、もしかして俺とか親に「釣り合ってない」とか言われるのが嫌で『マフネ君』のことを隠してたのか?本物のアホか、こいつは)と、実に単純に物事の本質を捉える性格の雄一は、理香に可哀相な子を見る視線を送る。

 他方、理香は兄の言葉を何度も何度も頭の中で反芻して、(………バカ兄貴に納得させられてしまった………。けど、確かにその通りだ……。そもそも真船君って人の意見をあんまり聞かないし、私が勝手に怯えてただけだし…。うわぁ、なんか私って、すごく単純なことを悩んでた……?)などと思っていた。


「…………で、でも、私、真船君のことは嫌いじゃないけど、好き、だけど、でも」

 それって、恋愛感情としての好きじゃないと思う―――と、いつになく不安そうな声で小さく告げた理香に、雄一は(アホな上に面倒くさい奴だな……!)と思いながら、年長者として、そして理香の性格をよく知っている、長年一緒に暮らしてきた兄として、妹に告げた。


「あのなぁ。傍から見てたらわかるよ、そんなの。お前、あんまりわかりやすくないけど、昔っから本当に自分が気に入ってる物は、絶対傷つけたり雑に扱ったりしないだろ。物凄く大事にするだろ。で、他の奴には触らせないようにするだろ。同じだよ、それと。お前は『マフネ君』に絶対に嫌われたくなくて、他の奴らにもあんまり見せたくないし、『マフネ君』を拒絶したくもないんだろ。むしろ欲しいんだろ、『マフネ君』が。恋愛感情ってのはなぁ、人それぞれだけど、根っこにゃ自分を相手に受け入れて欲しいっていうのと、相手のことを丸ごと受け入れたいっていう、両方の気持ちがあるもんなんだよ。それを熱烈に表現する奴もいれば、しない奴もいる。お前の場合は、わかりやすく表現できないだけで、欲求自体はあるんだろうが。大体、恋愛感情なんてのは、結構どろどろしてて、綺麗なだけのもんじゃないぞ?汚い感情も相手に対して持つもんだ。お前が『マフネ君』と同じような態度を取れなくても、別に構いやしないんだよ。相手がそれを気にしてたら問題だけどな、俺が見た限りじゃ『マフネ君』はそういうタイプの人間じゃないだろ。ありゃ、ただ単にお前に自分のことを受け入れて欲しいってタイプだな」


 ああ、この間までの俺と同じタイプだな、と若干遠い目をする雄一をよそに、理香は唖然とした顔で目の前の兄を見つめた。普段低レベルな次元で理香にちょっかいをかけてくる兄が、今日はなんだかまともな「お兄ちゃん」として、妹の恋愛相談に乗っているばかりか、理香にとって目から鱗が落ちるような的確なアドバイスをしてくれている。

 天変地異の前触れだろうか、明日は雨の変わりに空から電信柱が理香めがけて降り注いでくるかもしれない―――などと失礼な感想を抱きつつ、理香はここ最近自分が悩んでいた事案が、結局のところ、「浅宮理香が真船慎也に恋愛感情を抱いている」という結論によって解決できることを悟り、思わずベッドに突っ伏した。


(私、真船君に恋を、しているんだ……)

 自分を昔から振り回し、散々怖い目にあわせてきた少年に、恋。自分のことなのに、一体いつから好きになったのか、全くもってわからない。しかし、嫌なわけではない。例え、彼と共にいれば必ず「不思議」が起こるとしても、理香はもう絶対に慎也の手を離したくない、と思っている自分に気が付いた。

(真船君は、真船君なりのやり方で私に気持ちを伝えてくれている)

 ならば、理香は自分の恋心を自覚した、そのけじめとして、慎也に自分の気持ちを伝えるべきだろう。それが慎也のこれまでの理香への態度の変化と、「理香ちゃんとずっと一緒にいたい」という言葉への、理香なりの返答になるのだから。


****************************************


「………まぁ、なんだ。お前はまだちっこいからわからんかもしれんが、自分の好きな相手が、自分のことを好きになってくれるってのは、結構すごいことなんだぞ、ちびすけ。ちゃんと付き合うんなら、今度『マフネ君』がうちに来るときは、せめて俺には紹介しとけ。母さんたちに隠しておきたいんなら、協力してやっから」

 

 その代わり、もう人が寝てる隙にわさびを鼻の穴に詰め込むような真似はするなよ―――と言って、ベッドに突っ伏してしまった理香を置いて、雄一は部屋から出て行った。

 

 扉を閉める間際に聞こえた、小さくて子どもっぽくて凶暴で口の悪い、それでも可愛いくて仕方がない妹の、「お兄ちゃん、ありがと」という照れくさそうな声に、密かに頬を緩めながら。



 かくて、彼女は理解する。

 恋とは綺麗なだけではなく、それでも相手を強く求めてしまうものであることを。

 そして、その想いを伝えなければ、相手を自分のものにできないことを。



余談:

 食べ物、特に刺激物の類を、悪戯や報復に使ってはいけません。よい子と良識ある大人は、絶対に理香の真似をしないでくださいね。

 どうでもいい話ですが、作者は、世に存在する兄はすべからくシスコンであればいい、と妄想しています。

 

【追記】うっかり第1話で雄一の存在を書き忘れ、理香の家族を「4人家族」にしていたことに今気がつきました。訂正しました。すみません。

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