草原の住人
「クリス、あれ、どう見ても牛だよな?」
「うん、似てるよね」
石斧と槍を持って草原に身を伏せながら、ゆったり闊歩する動物を観察する僕達。群れからはぐれたのか、一匹で行動している。滅多にない『美味しい獲物』だ。
ちなみにアフリカ人を誤解されないために断っておくが、僕達はこの世界に来るまで生まれてこの方、狩りなんてしたことはなかった。この世界での僕達はまだ原始レベルの文明にしか達していないため、草で編んだ腰巻き一丁の姿だけれども、地球時代はジーパンとかパーカーとかちゃんと着ていた。先進国の古着などが戊アフリカの庶民にも充分に行き渡っているし、昨今は洋服工場をアフリカに建てる企業も多々あるため、内戦中でもなければアフリカの衣服事情はそんなに悪くはない。だから、腰巻き一丁がアフリカのイメージぴったりとか、黒人にお似合いとか言われたら、それは無理解なアフリカ蔑視と言わざるを得ない。ましてやアフリカでも簡単に銃が手に入る今日び、石斧とか石槍とか持っているアフリカ人は、今や秘境に行っても見つけられないだろう。
「似てるってことはさ、肉の味も似てるよな多分?」
「食べたいよね‥‥‥牛肉。生前含めて五年は食ってないよ僕」
「でもよ、捕獲して飼うとかできれば‥‥‥」
「いやこんな装備で捕獲は仕留めるよりキッツイんじゃないかな。野生の牛だよ?突進されたら死ぬと思う」
それに飼う事を目指すなら、この無人の草原地帯を脱出し人里に出て、牛飼いから牛を売ってもらった方がずっといいだろう。野生動物を飼い慣らして家畜化するのは膨大な時間と労力がかかる。
女神様がこんな無人地帯に僕達の転生先を選んだのはおそらく、比較的安全に異世界生活のスタートを切らせてくれるためだろう。その世界に珍しい黒色人種が親もなく人里近くに裸一貫で登場したら、野盗なり人買いなりの格好の獲物でしかない。それに比べてこの草原は少し行くと森があり、森の中を小川が流れ(流水なので煮沸無しでも飲める)、凶暴な肉食獣などが全然いなかった。川の近くには大きめの岩があり、その窪みが半洞窟で雨露がしのげたし、気候も温暖で森には手で簡単に詰めるベリー種?っぽい木の実や、古木の幹に寄生するよく分からないキノコ(食べられる)とかはそこそこ子供でも入手できた。洞窟の中に落ちている石は鉱物成分を含み、火打ち石にも石器にもなる。サバイバル系ゲームの難易度最低の初心者用マップ並みの至れり尽せり環境に、女神様の親切心を感じずにはいられない。
このある意味都合のいい草原で原始から始め、生活基盤を確立しつつ人里進出を目指してきた。しかしチビ達もいるし、衣食住を確保して余裕ができ、狩猟とかするようになるまでに半年もかかった。この草原を出て現地人に会えるのはいつになる事だろうか。そのためには上手いこと捕獲、テイムして牛車を引かせるとかが理想だけど、あんなデカイ牛を捕まえる苦労、捕まえた後も水や飼い葉の確保で僕かジョージの労働力を丸一日分持っていかれるのは確実だ。そして何より、爬虫類とかでない肉が食いたい。切実に。
「よし、じゃあ狩るぞ!クリス今ハンタージョブ何レベル?」
「この間7になったばっか」
「マジ?俺まだ6。7になるとスキル何がつくの?」
「『死点看破』。モンスターや動物の弱点が見える」
「おお、そりゃすげえ。それならあのでかい牛もやれそうだな。じゃあ俺が槍で距離取りながら威嚇するから、クリスはそのスキルで隙を突いて一撃って作戦で行こう」
「おっけ。ファーストアタック取れるならそこは僕がやるよ」
僕達はハンター2レベルスキルの『野伏歩き』(草原や森林、山谷などのフィールドで足音などの気配が消せるスキル)を発動しながら、ハンター1レベルスキル『風読み』を使って風下から素早く、かがんだまま移動する。牛型動物の左後ろ目の前まで気づかれずに移動に成功した。この距離まで近づいて『死点看破』を使用すると牛型の首や胸、足の関節などの数カ所が鈍く光って見えた。ジョージに向かって不意打ちで死点が取れそうだと頷いて報せる。するとジョージがハンドサインを寄越す。3、2、1と指を折る。ゼロ!
ヒュッ
力を込めるために鋭く息を吐きながら、石斧を上から垂直に牛の首へ振り下ろす。ズガッと鈍い音がして、石斧に切先が3センチぐらい食い込む。血飛沫が飛ぶ。しかしなまくらな刃はそこで止まった。死点は外していない。弱点とはいえ野太い牛の首を一撃で切り落とせる訳が無いということか。
「ムムムゥゥゥ‥」
攻撃に背中がビクンと反射して地団駄を踏んで前に飛びのいた牛が、首から血を垂らしながら振り返る。目は血走ってらんらんと輝き、低い唸り声をあげて僕に正対する。
ミスった。先に足をやっておけば!牛はあのテレビの闘牛で見たことのある、後ろ足で地面を馴らすような動作をし始める。あれば突進準備に違いない。死ぬ。あんな、体重500キロを超すだろう巨体のツノ突撃なんて、人間なんて一撃で死ぬ。
「でやあ!」
その時牛の横に回ったジョージが、牛の腹を槍で突いた。哺乳類にとって腹は、骨で守られていない攻撃しやすい部位だが、その分大抵の哺乳類にとって弱点ではない。しばしば推理ドラマなどで腹を刺して殺す場面があるので勘違いしている人も多いが、哺乳類の重要な臓器は胸部、肋骨に守られた場所にある。腹は多くの場合消化のために長さが必要な腸が格納されていて、摂取した食事の量に応じて体積が増減するので骨があると邪魔になる。そして哺乳類の腸は少しばかり損傷しても問題ないし、回復力も強い。腹部を刺されて死ぬのは大抵失血死で、よほど大きな怪我をしてある程度の時間出血し続けた場合だ。
だが腹を刺された場合、どんな哺乳類にも共通して激しい痛覚が発生する。つまり、ものすごく痛い。
「ブオオオン!!!」
牛はその痛みに暴れる。そして石槍を掴んだままのジョージはそのまま盛大に数メートル引きずられ、手が離れた瞬間空中にすごい勢いで飛ばされた。おそらく6、7メートルの高さには飛んだだろうか?その高さから背中を下に地面に叩きつけられる。
「がはっ」
ジョージの口から血が飛び出す。肋骨が折れたか内臓が破裂したか、しかし頭から落ちたら即死だっただろうからまだマシか。駆け寄りたいが、そんな状況では無かった。
牛が僕目掛けて突進してきたのだ!!!!!
「ぎゃうっ」
視界が縦向きにぐるーんと一回転する。その一瞬後に背中に衝撃。脇腹に鈍い痛み。
ツノ突進を咄嗟に石斧でガードしたものの、受け切れるわけもなく牛の真上の空中を舞い、一回転して地面に落ちたのだ。受けきれなかったツノが脇腹を切り裂いたらしく、腹筋が血に染まっていた。
どうにかして体を起こした僕の目に、絶望的な光景が映った。突進で通り抜けた牛が再び振り返り、もう一度僕目掛けて走り始めでいたのだ。
これは、死んだーーー。
ああこんな事なら女神様、日本のアニメのようにチート能力くれればいいのに。ちゃんとしたレベリングをして、相応な装備を整えないと動物相手にも簡単に負ける。最上位の魔法が使い放題とか、世界を革命する魔剣とか、そういうのありがちなのがあれば、ここで二人とも死ななかったのに!
その時突然、尻餅をつく僕の眼前を何かがすごいスピードで横切った。それも一つではなく、複数。
ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!
その横切った影から何かが次々に飛び、牛の顔や脚などに直撃する。当たった瞬間それは小規模に爆発し、牛の肉が飛び散る。
横向きに駆け抜けた『何か』達は円を描きながら回り込む。その間に再び牛に攻撃しようと手に持った紐ーーー投石器に黒い球を取り付けながら。
『何か』ーーー犬のような動物に騎乗した、背の低い人間だった。いや、耳が少し尖っているから、ファンタジー世界でいうところの妖精族だろうか?それが6人いて、巧みに犬を御しながら、次々に爆発球を命中させていく。見事な手際で、僕はもう見ているしかできなかった。数分の攻撃の後、牛はこんがりバーベキューのいい匂いを漂わせながら地面にその身を沈めた。
「やあやあ!大変だったね!」
底抜けに明るい声で、駆け寄ってくる妖精。やたらフレンドリーな感じだ。
「君は怪我は大丈夫かい?もう一人の人は重傷みたいだけど」
あ、そうだった!ジョージは?!
「あー大丈夫大丈夫。僕達マジックポーション持ってるから、あのぐらいなら治るよ」
見ると既に他の妖精が、ジョージの治療をしているようだった。
「いやマジックポーションって、きっと高いんじゃ?僕達お金持ってないよ?」
「あー、いいよいいよ。回復薬ってこういう、要救助者を見つけた時のために持ってるもんだから」
人懐っこく笑う妖精。
「いやそんな。流石に悪いし!せめて何か手伝うとか‥‥」
「ええ、いいよ気にしなくて。あ、そーだ!こうしよう!」
何かいたずらでも思いついたように、ニヤッと笑う妖精族の男性。
「あのタムタム。さっきの動物ね。あれすっごく美味いんだけどさ、あれを山分けにしてくれるって事でどう?」