僕達が、僕達であるために
「ひっ、ひいいっ!」
僕は怖くて頭を抱えた。銃声が聞こえたからだ。建て付けの悪くなった木製のドアの向こうを、兵隊のブーツの靴底が激しく行き来する音が聞こえる。
「バカ!声を出すなよっ!」
チビ達七人を抱き抱えながら、ジョージが声帯を使わない声で僕を咎める。チビ達は見てわかるぐらい、がたがたと体を打ち震わせて僕とジョージにすがりついている。
「ごめん」
「‥けっ」
ジョージが舌打ちする。この山奥の孤児院で一緒に育った、唯一無二の親友。
「探せ!草の根分けても!バニ族は一人も生かすな!」
扉の外で野太い男の声が木霊する。こんな壁がひび割れた、無理矢理直して取り付けた扉しかない家なんてすぐに力づくで破壊されそうな力強さ。外にはきっと殺意に目をたぎらせた、ビリ族の兵隊がうようよしている事だろう。
なぜ僕らは生まれてきただけで、殺したいと望まれなければならないんだろう?もう親も、年上の兄弟も、神父様も孤児院のシスター達も殺された。僕達は充分殺される痛みと悲しみを味わっているはずだ。なぜその上で、僕達をも殺したいと願うのか?十字を切って祈っても意味がない。奴らは僕達が生まれてきてからずっと、なんの理由もなく理不尽に、一方的に僕達を殺したいと欲している。
この世に神はいるのだろうか?もしたとえいたとして、主もイエスも民族浄化の憂き目に遭うバニ族には微笑まず、なぜアメリカ人やイギリス人ばかり裕福で幸福な人生を授与なさるのだろうか?僕らの言葉は英語だし、僕らの名前も英名なのに、生まれがアフリカの真ん中だから、僕達は生まれながらに殺されるのだろうか?
バンッ!
その時扉を蹴破って、アーミー服にアサルトライフルを携えた真っ黒な顔の男達が現れた。僕らと同じ肌の色。
「見つけたぞ!こっちだ!ガキだ。」
ビリ族の兵隊は下卑た声をあげる。銃を構えゆったりと部屋に入ってくる兵士。そして引き上げられた銃口は僕を向き―――。
「死ねよクロヤロー!」
身動きできない僕を尻目に、横にいたジョージが突然弾けるように立ち上がって、兵士に体当たりした。
「て、てめっ!」
「や、やめてっ!」
腰あたりを絡め取られた兵士がジョージに向かって銃の引き金を引く。ズガガガッと、連射音。マズルから発する発射光。部屋に飛び散る血飛沫。銃弾を受けたジョージの体が空中で操り人形のようにカクカクと揺れて、おぞましい肉片が四散する。
奇跡なんて起こるはずもない。何の救済もない世界。その光景が、僕の最期の記憶になった。絶望的な激痛を一瞬感じた、自分の中から何かが飛び散った、と思いきや刹那もなく僕の意識はそこで途絶えた。
*****
再び視界が開けると、そこは大聖堂だった。
左右に信者席が並び、正面には説教壇、壇の奥には高さ5メートルはあろうかというイエス像。壇の右には巨大なパイプオルガンがあり、左にはルーベンスに似たタッチのマリア様の絵。信者席の向こうの壁にはアダムとイブや方舟のノア、ゴルゴダの丘を表現したステンドガラスが次々に並ぶ。正面の天井ずっと上には、天地創造を示したバラ窓が見える。
「なんだ、ここ‥」
僕の心の中と同じ疑問が真横から聞こえた。声の方を見た僕は驚く他になかった。
ジョージがいた。カラシニコフで無惨な姿になったはずのジョージが。完全に無傷で。
見つめていると彼もこっちに気づき、同様に驚いた表情を浮かべる。そのそばにはチビ達も並んでいた。誰も血を流していない。そういえば僕自身も、どこも痛くないし苦しくもない。
「そうか、ここは天国か。僕達は死んだのか。」
僕は誰とはなしにそう呟いた。
「その通りよ」
突然、頭に響く声がその呟きに応えた。直接脳に話しかけてくるような若い女性の声。
「クリストファー・アル・バンジャ、享年十六歳。
ジョージ・エリム・ムダリカ、享年十六歳。
サイモン・フィニディ、享年十歳。
アグネス・ママンガ、享年十歳。
マシュー・ビド・バーマ、享年九歳。
キャサリン・エル・シャバラ、享年九歳。
マーガレット・ヌドハイブ、享年九歳。
バーソロミュー・マルーワ、享年八歳。
アンドリュー・マキナ・シギニィ、享年八歳。
貴方達は死にました。」
気付くと説教壇の前に小さな女の子が立っている。身長150センチあるかないか、どこの民族衣装かわからないふわっとした服を着て、さらさらのロングヘアの両側の後毛を三つ編みにしている。背は小さいが子供ではない。だが大人とも言えない。そんな容姿。
僕たちが彼女に注目すると、少女はコクリと、一つだけ頷いた。どうやら脳に響く死亡宣告は、彼女の声で間違いないようだ。
「ここは、えーと、貴方達の言う天国ではないけれど、死後の一時を過ごす場所ね。場所のイメージは貴方達の信仰に合わせてるわ」
「お、お前誰だっ!死んだって何だよ?!普通に目も見えるし頭も使えるじゃないか!」
ジョージが狼狽えたように叫ぶ。すると少女は呆れたような顔をした。
「神に向かってお前はないと思うけど、まあいいわ」
神?
「何を言うんだ、僕らは主以外の神を知らない」
僕達は孤児院ーーーキリスト教会で生まれ育っている。だから神=主でしかなく、このような少女のイメージはない。
「ええ、まあ地球の神ではないわ。ここはもうそっちの領域じゃないもの。この神殿は地球側の神の手で作られたものだけどね」
「地球の神じゃない?」
「そう。貴方達がこれから行く世界の神の中の一柱よ。リリンって言うの」
なるほど。このパターンは。
「異世界転生?」
日本のアニメで最近流行っているパターンだ。
アフリカの少数民族の子供がなぜ知っている?と思うかも知れない。しかし現代の国際社会へのネットワーク技術の浸透と低コスト化の速度を浸透率を馬鹿にしてはいけない。中古パソコンは世界を巡り、我々の国にもどんどん流入している。そしてもはやどんな国でも普通にありふれているWi-Fiに接続し、HDMIのモニターを繋げれば、どこかのテロリストや政治団体がプロパガンダ目的で運営しているweb放送局など幾らでもタダで見放題である。二十世紀末、日本車が世界最貧国でもバンバン使われていた映像を見たことがあればわかるだろう。先進国で中古市場が飽和する頃には、途上国でも容易に入手できるようになる。
そしてプロパガンダ放送をする以上、客寄せのために人気のある作品を流さなければならない。最近は動画コンテンツの配信サービスが隆盛しているから、遵法精神とは無縁なテロリストや反政府団体は片っ端から録画して放映する。その大多数がアメリカの映画か日本のアニメだ。無政府状態で学校に行かない僕達みたいな紛争地帯の子供はむしろ、最近は世界の動画コンテンツの申し子と言っていい。水汲みと農作業以外の時間はひたすら動画を見て過ごしている。ジョージは戦いモノが好きで、僕は日常系が好きだ。チビ達のヒーローは『バケモン』の黄色いネズミである。まあ、それを享受できるのは僕達が英語ネイティブだからだけれど。
つまり―――大切なことはすべてアニメから教わった。学校に行かなくても動画コンテンツの字幕で読み書きを覚えたし、そういうコンテンツから科学や歴史などの知識も、類推混じりに覚えた部分が大きい。孤児院にいたものの、うちの孤児院は神父もシスターも読み書きできないので、先生はいつも動画だった。だから僕の脳内は結構日本の『OTAKU』に近いかも知れない。
「そうそう。日本人じゃないのに話が早くて助かるわ。貴方達は生まれてまもなく親が殺され、戦災孤児院で育って、そこで自分達も殺された。殺された理由は『バニ族だから』ーーーただそれだけ。あまりにもあまりな人生としか言いようが無いわ。そしてそんな境遇なのに真剣に、地球の神に対して本気で敬虔な信徒だった。今の世に稀なほどに。だたら一度ぐらい自分達で自分達の人生をやらせてみてあげたい。と言うのが地球の神の意思なの」
人生をやり直させてあげるなら、貴方達みたいな境遇の子こそやり直させてあげたいしね。と女神はくすっと笑った。
「これから行くのは典型的なファンタジー世界よ。剣と魔法。我々神々と魔族が実在し、人間や亜人が王国を築いている。貴方達にはレベル制RPGよろしくステータス画面が見られて、ポイントを消費して様々なスキルを取得したり、ジョブチェンジなんかも可能」
「なんか本当に日本のアニメみたいな話ですね。それに、そもそもファンタジーって白人の仮想時代劇では?」
「そうね。でもそもそもこの『異世界転生』という概念自体が仮想なんだから、どれだけ奇妙な世界もご都合主義な世界も存在しうるのよ。まあ確かに、本来あなたたちが今から行く世界は、日本人用に作られた場所であって、貴方達のようなケースは初めてだけどね。いわゆる黒色人種は、異世界側の住人含めて貴方達しかいないわ。異世界の人間族は全部白人」
「何だよそれ。じゃあ生前と同じように少数民族じゃねえか?黒人が俺達だけなら、また差別されるだけじゃねえのか?」
ジョージが悪態気味に言う。相変わらず神をも恐れぬ不遜、という言葉を地で行く男だ。この親友は。
「そんなことないわよ。亜人とか魔族すらいる世界だし、言ったでしょう?『黒色人種は貴方達しかいない』―――つまり、向こうの世界では貴方達が初めてなのよ。前例や歴史的経緯で差別されることはない。差別されるとしたら、貴方達自身の行動によってでしかない。迫害されるも英雄になるのも貴方達次第。つまりね」
転生前の僕の記憶の最後に、女神の慈愛に満ちた笑みとこの言葉が残っている。
「人種や民族の背景ごと、やり直せるの」
*****
僕達は、そうして異世界に転生した。
僕もジョージもチビ達もみんな容姿も年齢も死ぬ直前のままだった。異世界転生によくある新生児からのやり直しではない。よく考えてみたらそうだよね。新生児スタートするには現地の人間の両親から生まれなければならない。白人から突然僕達が産まれたら怪奇現象すぎる。下手すると怯えた村人が総出で新生児な僕達を、山頂の祭壇に神の供物として捧げてしまうかもしれないし。
その結果、全員親なしで無人の草原に放り出されるというスタートになった。こうなると異世界転生物というよりサバゲー物のスタートだ。ありがちな神からのチートな転生特典も何もない。チビ達含めて同じ場所に一緒に転生できたのが唯一の救いだった。これで孤独だったら絶対のたれ死んでいただろう。原始人が自然の中で一つずつ文明を進めて成り上がっていくサバゲーそのものの世界を、死んだら終わり、コンティニュー無し、初期レベル、武器すら無しいやむしろマッパという、極限状態を体験する事になったのだった。