足立区滅亡SF
※実際に足立区に滅びて欲しいと思っているわけではないです。
※視点は注意を払っているつもりですが、何かお気づきの点がありましたらご一報下さい。
どうやら足立区は滅亡への運命を回避したようです。大変良かったです。(10/12記)
「足立区」からの一切の信号が途絶えて1週間が過ぎようとしていた。
特殊救助部隊「Red Crystal」に所属しているユウ・エビハラは、千住大橋を封鎖する巨大な扉の前にいる。
一世紀半ほど開かれていないそこは、「足立区」と外界を繋ぐ唯一の場所であった。
「駄目ですね。向こう側から完全に封鎖されています」
音波を使って扉を調査していた隊員の一人、タオ・ハイ・ハンが言う。
「仕方ない。扉を爆破して中に入る」
壮年の女性、イ・ソヨンが命じる。彼女はこの隊の隊長であった。
確か、彼女は自然分娩で生まれたと聞いたことがある。21世紀半ばには人工子宮の技術が確立し、自然分娩を行うのは、一部の富裕層の趣味的なものか、宗教的・文化的な理由に限られていた。
異性相手にしか子どもを作れず、また、妊娠や出産などで片方の配偶者にのみ負担をしいられる――そもそも、他人から子を持つか持たぬかという人生の方針を強いられたりする時代というのは、随分不便なものだったのだなと思う。
そんなことを考えてしまうのも、「足立区」を目の前にしているからだ。
2020年代にLGBTQによる滅亡を恐れた「足立区」は、高い壁を築き上げ、空をもドームで封鎖し、他との人的・物的交流を断ったらしい。今となっては全く理解出来ない思想だが、当時はその考え方に同調する人びとがいたのだというから、「足立区」の話を知ったとき、ユウは心底驚いたものだった。
国家の概念が無くなったのが21世紀末頃のこと。
それから、もうじき1世紀が経つ。
人類は月に進出し、火星にも足場を築き、その版図を木星にまで広げようとする中、「足立区」は、唯一残った「日本」の行政区画として、その門戸を固く閉ざしていた。
爆破に備え待避し、防音のためのヘッドセットを装着する。
3,2,1……
カウントダウンの合図を見守る。
小型爆破装置の炸裂音が、ヘッドセット越しにも聞こえた。
爆破結果の調査に向かったタオ・ハイ・ハンが、両手でOKのサインを出す。どうやら成功したようだ。ユウはヘッドセットを外し、大きく息をついた。
封鎖された千住大橋も老朽化が進んでいたが、扉と同時に大破するというようなこともなかったようだ。扉はというと、上手く人間が通過出来る程度の穴が開いていた。
鉄の扉の向こうに、コンクリートを流し込んで固めていたようだ。何者も侵入しないように。――そして、誰も出て行くことの出来ないように。
「何がそんなに怖かったんだろう――」
思わず、言葉が口をついた。
「さあな。――変わることが怖かったのか、理解出来ない自分を恐れたのか」
ソヨンが言った。
「進むぞ。生きている命があれば、救うのが我々の仕事だ」
「最後の信号の発信は――昔の地図との照合によると、足立区役所――足立区議会の議場のあった場所と思われます。このまま、旧国道4号線を北上しましょう」
タオがグラス型デバイスを操作しながら言った。
荒川の流れすら寸断したドームの中の空気は淀んでいた。
まともに空気を吸えば、きっとカビと埃のにおいに満ちていることだろう。
「――生体反応、一切ありません」
念のためにガスマスクと防護服で身を包み、旧国道4号線を進む。
人の気配は全く無く――それどころか、ここ数十年、人が生活した痕跡すら感じられなかった。
数度、旧東京都を襲った地震の影響か、ビルは大きく崩れ、道路はそこかしこで寸断されている。ただ、外壁だけは幾度も修復したあとが見られ、それでも尚、外界との交流を恐れていたことが分かった。
空を覆うドームで、太陽のことも忘れてしまったような世界だ。
ただ一カ所、ドームの割れた隙間から差し込む光だけが、外の世界に光が満ちていることを思い出させてくれた。
その光は、丁度目指す場所、足立区議会の議場へと伸びているように見えた。
◇ ◇ ◇
鍛え上げられた「Red Crystal」部隊の脚は、難なく足立区議会の議場へと隊を導いた。
「ここだな」
古びた扉――先程とは違い、小さな、木製の扉である――を前に、ソヨンが確認する。
「はい、間違いありません。最後の信号は、ここから発信されました。
念のため確認しましたが、爆破物のようなものが仕掛けられている形跡はありません」
「それでは突入する!」
開かれた扉の先から飛び込んできたものに、ユウは目を焼かれた。
――いや、正確には突然目に飛び込んできた光によって、目がくらんだのだ。
ほどなくして、扉の向こうの光景が視認できるようになる。
扉の向こう、旧足立区議会議場には、白い百合と紅い薔薇が咲き乱れていた。
議場の崩れた天井から、光が差し込んでいる。
その中央には、巨大な機械に繋がれた老人の亡骸があった。今際の際に、救難信号を発したのだろうか。
「足立区」は既に滅びていたのだった。
<了>
皆が幸せになれる国になってくれ。