春待ち風
もうすぐ春が訪れる。
私は寂しかった。
しかし、特に何があったというわけでもない。
一つの季節が終わり、また新たな季節がやってきたのだとしても、私にはこれまでやり過ごしてきた年月があり、またそれがとめどなく続いていくだけである。
甲斐の国のホームに一人佇む私の姿は、電車の窓から見てもいかにも寂しげであるに違いない。
しかし、私の心に巣食う寂しさと、彼らが想像する寂しさとは決して同じものではない。
なぜなら、この気持ちが最も大きくなるのは誰かと共にいるときだからなのである。
そのことについて語り始めれば、私は原稿用紙を何十枚でも使うことができる。
しかし、私個人の戯言に資源を費やすのはいかにも無駄なことであるし、第一私はこの気持ちを誰かに伝えたいわけでもない。
何もない日々が行き過ぎたある日のこと、私は脈絡もなくあずさ2号の冒頭の歌詞を思い出した。
お金がないので鈍行で信濃路へ向かう途中、私はふらりと列車を降りた。
車内に一枚のメモ書きを書き残して。
本当はそんなことをするつもりはなかった。
それなのにこんな置き手紙のような真似をしたのは、本当は私も誰かに届けたかったのかも知れない。
都会へ向かう人の群れ
こぼれ落ちる砂のように
次から次へと消えてゆく
ああ 押し流されりゃ楽なのに
春待ち風
私の場所にも吹くのでしょうか
桜の蕾 芽吹いたら
出会い 別れの訪れと
涙の熱さえ豊かさよ
ああ 指先ひとつ動かせず
春待ち風
遠くのもやがそうなのでしょうか
疲れきった旅人が
雪解け水に手を浸す
それもまた生きる道とは知っていた
開けない夜がないのなら
沈むことさえない太陽
明日の天気も晴れでしょう
ああ それでも流す血は赤い
春待ち風
私の場所にも吹くのでしょうか
「春待ち風」のメロディーに見送られ、行き場の知れぬ私の思いを乗せた列車は初春の山麓に消えた。