家族内会議と書いて不毛と読む
民主主義は無責任である。
皆が決めるという建前ゆえに、決めたことに誰も責任をとることをしないからだ。
これは、アーサたちが魔犬を飼い始めて1週間経ったある日の出来事である。
「えっと、それじゃあ、家族内会議を始めたいと思います」
白色の柔らかい毛質の短髪をした少年、ネクはやや緊張した面持ちをしてそう言った。
この日に行われるのは、月に一度の定例家族会議なのだが、まだ経験の浅い彼には司会を務めるにはまだ慣れていないようだ。
「今日はネクが司会なんだね」
亜麻色の長髪を後ろで結んだ少女、ルカは今日彼が会議の司会を務めることは知っていたが、ネクの緊張をほぐすためにもあえて話しかける。
「うん……じゃないや、はい。本日の司会を勤めさせていただくネクです。よろしくお願いします」
司会が必ずしも敬語でないといけないというわけではないが、心を切り替える方法の一つとしてネクはそうすることに決めていた。
「ぱちぱちぱちぱち」「ひゅー、ひゅー……」
「おい、擬音を口で言う必要があるのか?」
囃し立てる碧と緑の髪が特徴的な双子に茜色のショートカットが映える少女、トーリが疑問を口にする。
「言う必要があるんだよ。ね、アンヌ姉ちゃん?」
「…………あぁ」
双子のうち、碧のセミロングに右側のサイドテールがはねている少女、ミーリィの言葉に、艶やかな黒真珠のような長髪を無造作に垂れ流している女性、アンヌが答えたが、いつもは薄く赤みがかっているその目は明らか濁っていて、どこを見ているのかわからない。
「……ほら」
緑のセミロングに左側のサイドテールが垂れている少女、ユーリィが引き継ぎ、フンスといった表情をみせる。
「いや、明らかに返事がおかしいだろ!? というか、死にそうな顔をしているけど、姉貴どうした!?」
トーリが近づくと、女性は何かぼそぼそとつぶやいている。
何か重要なことがあるのではないかと思い、おそるおそる近づいたのだが、
「酒を、酒をくれぇ……」
アンヌの返答は家計が赤字のときによく聞く悲鳴だった。
「ねえ、アー君。いくらアンヌちゃんでも、やっぱり2週間禁酒は可愛そうじゃないかな?」
「いや、今回ばかりはちゃんと禁酒してもらう」
黒髪の固い毛筆の短髪である少年、アーサは腕を組み、断固拒否のかまえをとる。
「アー兄、珍しく激怒だね」
「……だね」
この世界に触らぬ神に祟りなしという言葉があるわけではないが、下手に触れるのはよしたほうがいいということはわかっていたため、双子は目をそらすことに決めた。
「ネク、話を続けてくれ」
会議は始まったが、いつもと少し違う様子のアーサに司会のネクが切り出すタイミングを迷っているのに気づき、本人自ら助け舟を出す。
「う、うん。それで今日の議題は、ヘルヘル……じゃなかった『犬をこのまま飼い続けるかどうか』です。
議題の発案者は僕で、できるなら飼い続けたいと思っています。最後に多数決で決めたいと思いますが、その前に皆の意見を集めたいと思います。皆はどう思いますか?」
「賛成、賛成! 私とユーちゃんはヘルヘルを飼うのに賛成しまーす」
「……賛成。ヘルヘル可愛い」
ミーリィは緑の目を、ユーリィは碧の目を輝かせて手を上げる。
(もう名前をつけたのか。というか、ヘルヘルなんて謎ネームにしたのはこの二人だな)
アーサはそんな双子にあきれながらも、その思いつきと行動のよさには感心する。ただ、魔物ということもあり、少し厳つい顔をしているあの犬を可愛いと評するのは、家族でもこの二人だけだった。
「ミーリィ姉さんとユーリィ姉さんは賛成っと、トーリ姉さんは?」
「アタシは反対だ。ただでさえウチにはやかましいやつが多いのに、これ以上やかましくされたらたまらねえしな」
アンヌのほうから呆れて戻ったトーリは、髪と同じ色をした瞳を動かして鼻で笑うかのように双子を見る。
「むっ、それって誰のことを言っているの?」
「はっ、自覚がしているならわかるだろ」
「……自覚していない人も私たちの目の前にいる」
「何だと……?」
碧、緑、赤、三つの視線が火花を散らし、空気に緊張が高まっていく。
「あ、あの……その、ここで喧嘩は……」
ネクが仲裁しようとするが、まるで異に介さない三人に褐色の目に不安がともる。
「ユーリィ、ミーリィ、それとトーリも、これ以上ネクを困らせたら3人ともご飯抜きにしちゃうよ?」
そんなネクか、はたまた三人を見かねてか、ルカが口を開く。
その言葉は柔らかく、琥珀色の目を細めて笑顔を貼りつけていたが、三人は逆にそれが危険だということを知っていた。
「ご、ごめんね、ネク」
「……ネク、ごめん」
「ちっ、悪かったよ」
三人の謝罪の言葉にひとまずルカの笑顔が解除される。
ただし、続いた「次はないよ?」という警告にに三人は息を合わせてうなづいた。
「ううん。僕のほうこそ司会なのに止められなくてごめんなさい……トーリ姉さんは犬が嫌いなの?」
「それはないよね? だって、トーリはたまに街の野良犬にご飯あげているもん」
トーリの返答より早く、ルカがトーリの秘密をばらす。
「ええっ!?」
「うそ……!?」
「ね、姉さん、それは言わないでくれって」
双子が驚いたようにトーリを見るが、トーリにはそれを気にかける余裕もなく、勝気な性格の彼女が珍しく慌てた。
「あれ? そうだったっけ?」
ルカがとぼけた表情で笑う。
アーサは、言葉には出さなかったが、意外にもお茶目なところがある彼女に知れ渡った時点で、隠すのを諦めるべきだったなと後でアドバイスを送ることを決めた。
「だったら、どうして……?」
「と、とにかく、家の敷地でわんわんほえられたらうるさくてしかたねえし、アタシは反対だ! 次だ、次!」
髪に負けないくらい真っ赤に顔を染めたトーリは、遮るようにしてこの話題を断つ。
「次は私、だよね」
「ルカ姉さん……」
「ルカ姉ちゃんは賛成してくれるよね?」
「……賛成のはず」
ルカは家族にとっていつも優しさの象徴であった。
実際に、魔犬もとい、ヘルヘルがこっちに来てからも犬の分の食事を特に不満を言いうことなく彼女は作っている。
だから、賛成派にとって彼女は仲間になるのは必然だと考えることは無理なからぬことだろう。
「うーん……ごめんね。どちらかといえばなんだけどね、私は反対かな」
それゆえ、ルカが裏切った事実は賛成派を動揺させる。
「ガーン!? ルカお姉ちゃんなら絶対賛成してくれると思っていたのに……はっ、まさか!」
「アー兄に何か吹き込まれた……?」
双子が糾弾するような目でアーサを睨む。
「何も吹き込んでいないから」
アーサはそう言ったが、双子は彼がヘルヘルに対してよく思っていないことを知っていた。
彼は隠していたが、二人やネクがヘルヘルに近づくことを薄紫の目をひからせて警戒していたのを感じていた。
「アー君は関係ないよ。これは私の考えだから」
しかし、普段から家族に嘘はつかないルカがそう言ったことでその望みも断たれる。
「ワンちゃんを飼うこと自体は反対じゃないの。ただ、ちゃんとお世話をしてあげられるかなって思っちゃって」
「僕、ちゃんとお世話するよ。それに、この1週間だって面倒見てたし」
「私たちだって一緒に遊んであげたよ」
「……散歩もしてあげた」
彼らの言葉に偽りはない。
たしかに、ヘルヘルが来てから一番時間を共にしていたのは三人であった。
毎日様子を見て、外につれていってあげて、ご飯もあげているからちゃんとお世話はできている。
そんな根拠が彼らの自信を支えていた。
そして、ルカはそんな彼らの微笑ましい勘違いを笑うわけでもなく、ただ諭すように言葉を紡ぐ。
「たしかに、この1週間はちゃんとお世話できていたけれど、飼うってことはそれがずっと続くってことなんだよ。雨の日も、風の日も、暇な日も、忙しい日も、嬉しいことがあった日も、悲しいことがあった日もね。
生き物を飼うってことは、命に責任を持つってことだから、楽しいことだけ経験してはい終わりじゃすまないでしょ? それがわかっているからトーリも反対しているんじゃないかな」
「別にそこまでは考えてねえよ……けど、責任を持てってのは姉さんと同感。
命はおもちゃじゃねえからな。飼いたいっていう自分の都合だけを考えているお前らにはまだ早いんだよ。少なくとも、面倒見ているっていうのなら、姉さんがつくっているご飯についてでも手伝いをすると言い出すべきなんだよ」
「……」
トーリの言葉に三人は黙り込む。
それは彼女の言うことに三人とも心当たりがあるからだ。
ルカが毎日ヘルヘルのご飯を作っていたけれど、ミーリィはそれを不思議に思わなかった。
アンヌとアーサが犬小屋をつくり、首輪やリードも用意していたのをユーリィは疑問にも思わなかった。
ヘルヘルが汚れたりしたときは、トーリが一日の終わりには必ず洗っているのをネクは知っていた。
兄や姉がやってくれていた行動に対して、それを当たり前のものだと、言われていないのだから自分はやらなくてもいいのだと甘えていたことを突きつけられてしまった。
「私が言いたいことはもうないかな。じゃあ次は、アー君だね」
だが、そんな三人が反省する間もなく次の人に番が回る。
家族会議では基本的に年齢の昇順に発言権がまわる(ミーリィとユーリィは例外)ので、次に話すのは反対派の最大勢力であるアーサだった。
設定7
最近、皆と報連相ができていないと感じたため、月に1回家族全員で集まって家族会議をすることに決めた。
会議は基本的には家族内での情報共有が目的だが、家族全員に関わる意思決定のさいにはこの場で議論をする。
議論の形式は、直接民主制であり、議論の後に多数決による決をとるという形だ。
また、司会は持ち回り制と決めた。
-アーサ 日記より-
次回更新10月10日