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19/30

雨の魔物と書いて敵意と読む

「はぁはぁ……」


 日の光が消えかけ、夕闇が忍び込んできた山の中を私は魔物から逃げていた。

 草木が光をさえぎっているため、周りのものはかろうじて認識できる程度だったので、もうどこから来たのかも覚えていない。


「ここまで、くれば……」


 すでに息があがり、体力的にも限界を迎えていたので、いったん足を止めて、持っていた杖を支えに息を整える。


「これは届けるまで、あまり傷つけないようにして、常に持っていてください。いいですね?」


 神の奉仕に出発する前にオルティニウムさんが言われたことを思い出し、杖に傷がついていないか確認したけど、幸いにも傷はない。

 全体が木で作られていた杖は、私のモノではなく、オルティニウムさんが知り合いに届けるために作られたものであり、これをその知り合いの方に届けるのが私が3年前にするはずだった通称、『神への奉仕』。

 内容だけ聞くと、ちょっとした遠くまでのおつかいにすぎないと思われるかもしれない。

 ただし、孤児院でこれを任されて帰ってきた人がゼロであるということを除けば。


 あの人、大丈夫だよね?


 少しでも魔物から追われている恐怖をさげるために、今日会った冒険者(本人談)の少年を思い出す。彼は見た目は私と同じぐらいの年齢だったけれど、魔物に襲われかけていた私を勇敢にも助けてくれた。

 ただ、その結果、彼は傷を負ってしまい、今は洞窟内で休んでもらっている。本当なら助けてもらった私が彼をみてあげるべきだったのだけど、魔物は私を狙ってきているため、簡単な手当だけをしてその場を離れることしかできなかった。


 私はどうなってもいいので、どうか彼だけは助かりますように……


 孤児院に住んでいる私たちは、毎日修道院に通って、手伝いやお祈りをささげているけれど、今日は特に心をこめて祈る。

 しかし、そんな祈りの時間さえも私には存在しなかった。


「ゲ」(いた)


 私を追っていた魔物、ゴブリンが暗闇から現れた。

 子供の私よりさほど変わらない背丈ではあるけれど、その素肌は緑色と人とは明らかに違うもので、その凶暴さはさきほど襲われたことで知っていた。


「ゲルガ、ゴゴゲギガゴ」(皆、ここにいたぞ)


 ゴブリンが何を言っているのかわからなかったけれど、大声を出していることから仲間を読んでいるんだと判断する。


「ゲルル、ゴギガガゲゲ」(残念、もう逃がさねえよ)


 逃げるためにまた走り出そうとした私の前に違うゴブリンたちが現れて進路をふさぐ。

 気付けばいつの間にか集まってきたゴブリンたちに包囲されていた。


「うっ、ひっ……」


 声にもならない恐怖が口からもれた。

 包囲を狭めてゆっくり距離を近づいてくる彼らに私は恐怖から持っている杖を握りしめることしかできない。


 死にたくない、誰か助けて……


 ろくな思考もまとまらない中、ただ生への渇望だけが私の心を占める。

 思いを募らせるのはさっき助けてくれた彼。

 行先も告げていなければ、私のせいでさっき傷つけてしまった彼にあっさり助けを求めるほど、私は罪深かった。

 そして、そんな私を裁くかのようにで一匹のゴブリンが無情にも宣告を下す。


「ゲレ」(殺れ)


 その一言で包囲の中から数匹のゴブリンが飛び出し、手に持った棍棒を振り落とす。

 私は目前に迫る死を迎えることもできず、ただ子供のように(実際子供だったんだけど)目をつぶって待つことしかできなかった。

 けれど、


 ……あれ? 痛みがこない?


 いつまで経ってもこない衝撃に疑問を覚えておそるおそる目を開けようとした私に声が降り注ぐ。


「遅くなってごめん」


 聞こえたのはさきほどまで聞いた声。

 それは先ほど救いを求め、だけどそれを聞くことを期待すること自体が間違っている声。

 だけど、たしかにその声は私に届いた。


「でも、もう大丈夫だから。今度こそ、俺は君を救ってみせる」


 目をあけると夢じゃなく、幻じゃなく、たしかに彼はそこにいた。

 日が傾き始めた頃、コニーさんから降りた私はこれからのことについて彼女(性別は聞けなかったけれど、これからは彼女と呼ぶことにする)と話し合っていた。


「……と、まあ、あなたに会うまでの私の状況はそんなところよ」


 角はもらえることに決まったものの、私は次の問題に直面した。

 それは、この山にはコニーさん以外に魔物が来ていて、しかもその魔物たちは彼女を狙っているというのだ。


「……追われているのに、角をいただいていいんですか?」


「平気よ、平気。この山さえ出られれば仲間たちと合流できるしね。それに、もともと私がこの山に来たのも角の生え代わりの時期だから寄ったわけで、ちょうど良い機会だったのよ」


 角をとってしまうとコニーさんの生命線といえるスキルを発動することができなくなってしまうというのに、彼女はどこか楽観視している。だけど、もし本当に問題ないのなら、飢え死に寸前になるまで擬態などする必要はないはずだ。


 もしかしたら……ううん、そんなの嫌ですからね?


 コニーさんは口に出していないので、私もそれは確認することなくただ心の中で誓う。

 とりあえず、コニーさんとの話し合いの結果、まだしばらく受け取らないことに決めた。


「魔物が狙ってくるなら、ここを離れたほうがいいんでしょうか?」


 先ほどまではアー君を待つためにここにいたほうがいいと考えていたけれど、こうなると話が違ってくる。

 ここは草花は生えているけど、身を隠すような遮蔽物がない。

 そのため、誰かが近づいたらこちらが丸見えの状態になり、それが非常に危険なことであるというのは私でもわかる。


 ただ、コニーさんのスキル『神速』を発動するためにはなるべく障害物がないほうがいいらしく、悩ましいところでもあった。


「大丈夫でしょ。魔物は二人一組で私を追っかけているけど、一人は大したことないし、もう一人は手ごわいけど足音を隠さないでくるもの……あら? 雨かしら?」


 コートを着ていたので気付くのに遅れてしまったけれど、すぐに冷たい水滴が頬を濡らした。

 小雨だったら気にしないですむのだけど、雨脚はあっという間に強くなり、私はコートについているフードをかぶった。


「ごめんなさい。前言撤回になっちゃうけど移動しましょう。足場が悪くなると私のスキルは制御できなくなるの」


 私としては異論を唱える理由はなかったので、森の方へ向かう。

 まだ本降りにならないうちに木陰に隠れようと小走りで戻っていると、コニーさんの体が揺れはじめ、再び地面へと倒れこんだ。


「コニーさん!?」


「何この雨? 体の力が抜ける……?」


 私もしゃがみこんで彼女の様子を伺う。

 ちゃんと意識はあるけれど、彼女は再び立ち上がれない状況になっていた。


 でも先ほどまでと違うことは、彼女はお腹を空かしているわけでもなければ、怪我をしたわけでもない。

 彼女自身、何故倒れているのかわからないようだった。


「……イヒヒヒ、誰が大したことないだって?」


 粘りつくような低い声がすぐ近くの茂みから聞こえ、コニーさんは頭を、私は体を反射的にその方向へ向ける。

 そこから扁平へんぺいな体に虹色に輝く鱗を持ち、子供ほどの大きさをした魔物が四つん這いの状態で姿をあらわした。


「よおユニコーン、地面に座って呑気に水浴びか?」


 まるで友達のように声をかけてきたけれど、おそらく友好関係というわけではない。

 私にもわかるほど魔物から漂わせている雰囲気は敵意。


 きっと、この魔物がコニーさんを追っていたんだ。


「イピリア……!?」


「どうしてって顔をしているな。大方、お前の感知に引っかからなかったのを疑問に思っているんだろ?

 俺には魔力による感知に阻害できる力があるんだよ。スキルとまではいかねえが、お前を騙すのには十分だったようだな」


 イピリアという名前に、私はわずかながら授業で説明を受けた記憶があった。


 たしか山奥に住んでいる魔物の一種で、好戦的ではないんだけど、いい魔物でもないんだよね……?


 あくまで授業で聞いただけの話だったので、鵜呑みにするのもどうかとは思ったけれど、今このときに殺意を向けている彼(見た目も声も雄っぽいので)を信用しないほうがいいなんてさすがの私にもわかる。


「無様だな、ユニコーン。出会った時の威勢はどうした?」


「威勢だなんて野蛮なもの、美の化身である私にあるわけないでしょ。それより保護者のサイクロプスはどうしたのかしら? もしかして、あなた迷子になったの?」


「はあ? 迷子だあ? あんなうどの大木とは別行動に決まってんだろ。

 そんなことより自分の心配しろよ。今日まで散々逃げてくれたが、もう逃げられねえぞ」


「それはどうかしら? いくら弱っている私でもあなたに止められるのかしら?

 それがわかっているからサイクロプスと一緒にいたのではなくて?」


 コニーさんがゆっくり立ち上がり、あのとき私に向けたのものより強い敵意を向けたのだけど、彼は舌なめずりをして余裕を見せつけている。


「たしかに俺自身にはそこまで強さはねえよ。だがな、俺には『弱性雨(じゃくせいう)』というスキルがあってな。このスキルの詳細はお前の体がわかっていると思うぜ?」


「! もしかして、この力が抜ける感覚は……」


「ご名答。ちなみに俺がこうしてべらべらしゃぺっている間も、お前の力は抜けているだろ?

 さて、どうする? 立っているのもやっとじゃねえのか?」


 近づいてくる彼に対して、私は反射的にコニーさんの前で立ち塞がった。


「なんのつもりだ人間?」


「コニーさんは私の友達です。その友達に手を出そうというのなら、私はあなたを許しません!」


「る、ルカ!? 何をやっているの? あなたは早く逃げな……」


「嫌です! 友達を見捨てて逃げるつもりはありません!」


 勝算なんてあるわけなかった。

 私には魔道を使えるわけでも、スキルがあるわけでもない。だけど、それは友達を見捨てる理由にはならなかった。


「友達? 人間が? 魔物と? イヒヒヒヒ、ずいぶん面白い冗談を言う嬢ちゃんじゃねえか」


 魔物にとって人間がどういった存在なのかはわからないけど、イピリアさんの場合は私なんて全く警戒するに値しないようで、笑いながら近づいてくる。


「俺の弱性雨が効かないってことは、嬢ちゃんには魔力がないってことになるが、それでどうやって戦うつもりだ?

 言っておくが、いくら俺が肉体的にそこまで強くないとはいえ、ただの人間に相手できるほど落ちぶれちゃいねえぜ?」


「戦うつもりなんてありません。あなたが引いてくれるまで私は立っているだけです」 


「へえ、それは面白い、なあっ!!」


 距離を詰めてきたイピリアさんが、私の一メートル手前で急に体を半転させる。

 なぜ彼が背中を向けたのか私にはわからないまま、前足を軸にして勢いよく回転した下半身側についている大人の太股ほどある尻尾は、鞭のようにしなって私の横脇腹に直撃する。


「きゃっ!」


 突然の横殴りの衝撃に私は防御もすることができず、雨に濡れた原っぱを滑るように数メートル転がされた私は大木に頭からぶつかり、立ち上がろうとしても視界が揺れて立ち上がれないことに気づく。


「ルカ!」


「へっ、人間ごときが分をわきまえねえからこうなるんだよ」


「イピリア、あなたっ……!」


「おいおい、ユニコーンとあろうものが、本当にあんな小娘と仲間意識を持っているのか?」


「黙りなさいっ!」


「お怒りなこって。だがな、勘違いするなよ? 怒っているのは俺なんだぜ? おい、お前ら!」


 混濁した意識の中、デブリたちが三体現れて、いつの間にか私を囲んでいることにかろうじて認識する。


「殺れ」


 そういえば、たしか前にもこんなことがあったような……


 頭を揺さぶられたみたいで、デブリが円錐状に尖らせた腕を振り下ろしているというのに、私はぼんやりとした状態で昔の記憶を探っていた。


 そうだ、あのときに私は……


 振り下ろされたデブリの腕が私の上の大木に外れた……いや、外された。

 私とデブリの間に、あの日と同じように彼が立っていた。


「遅くなってごめん」


 ああ、やっぱりあなたは……


 次第に薄れていく意識の中、私に呪いを、私が生きるための呪いをかけてくれた彼だけははっきりと認識できた。


「でも、もう大丈夫だから。これからも俺に君を救わせてくれ」


「アー君……」


 あのときと変わらない安心感と幸福感に抱かれながら、私はゆっくり意識を手放した。

設定19


魔物No.5 ゴブリン

 緑の肌をした人型の魔物。

 大人になっても、普通の人間の半分も身長がないため、侮られやすいが、この魔物は基本的に群れで行動するため、一体を相手しているうちに囲まれてしまうことがあるので注意。

 知能はそこまで高い魔物ではないが、手先が器用なため、木を尖らせて槍として用いたり、それを投擲することができる。

 人の言葉をしゃべることもできず、理解もしていないと思われる。

 ゴブリンを獣人と定義するか、魔物と定義するかは長らく議論されているが、現在は彼らに体毛を持った個体がいないことと人の言葉を理解できていないことから魔物と定義されている。

 ゴブリンは早く走ることはできないので遭遇した場合は素直に走って逃げるのが得策だろう。


-魔物図鑑 マーシャル博士著-


次回更新 12月10日

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