トレンディドラマ
「はいOKでーす!」
「え?」
どこからともなく聞こえてきた声に、私は思わず箸を止めた。家族だけで囲んでいた食卓に、見たこともないような輩が次から次へと雪崩れ込んでくる。
「な、なんだね君たちは!?」
「お疲れっす、斎藤さん!いい演技でしたよ!」
「は?」
頭にタオルを巻いた若者が、私に笑いかけてきた。…意味が分からない。この男、私のことを何と呼んだ?男たちは食卓に土足で上がり込み、次々に家具や食器を片付けていく。目の前で行われるとんでもない暴挙に、私は思わず立ち上がった。
「何やっとるんだ!やめろ!やめんか!君たち、私の家に何の用だね!?」
「ちょっと斎藤さん、もうカメラ止まってますよ!」
「何だと?」
目の前で、妻の聡子が小声で私に囁きかけた。後ろからドッと笑い声が起きる。振り返ってみると、そこにあったのはー…。
「何だ、これは…」
おびただしい数の、撮影用カメラがこちらを向いていた。先ほど帰宅した時は、確かになかったはずだ。盗撮…そんな言葉が頭をかすめて、私はぞっとした。
「君たち、ここで一体何をしてる?何が目的で…」
「何って、ドラマの撮影じゃないですか」
作業着の若者が、不思議そうに首を傾げた。撮影?ドラマ?混乱しっぱなしの私の横を、我が家の壁がまるで張りぼてのように次々に運ばれていく。私は呆然と立ち尽くした。
一体何の話だ?
そもそも私の名前は高橋。高橋慶一朗だ。長年この家で、妻と娘の三人で暮らしている。仕事は都内の本社に二時間かけて通い、毎晩帰ってくるのは終電一歩手前だ。決して裕福ではないが、娘だけは何としても大学に行かせてやろうと、老いていく体に鞭打って今日まで働いてきた…。
それが…ドラマ?そんな馬鹿な。私の信じてきたこれまでが、全部作り物だったっていうのか?ありえない。私は『斎藤さん』なんかじゃない。
「お父さん…」
「!!」
顔を上げると、受験生になったばかりの、見慣れた娘の笑顔がそこにあった。その言葉に、私は思わず顔を綻ばせた。
「瑞樹…!」
「大丈夫?」
「嗚呼。お前は私のことを、お父さんと呼んでくれるんだね…!」
「もちろんよ!」
「瑞樹!」
「だって斎藤さんの演技、とってもすごいんですもの!」
「…なんだって?」
「本物のお父さんなんじゃないかって、見間違うくらい。私、斎藤さんの演技に引き込まれちゃいました!明日の撮影も、よろしくお願いしますね!」
どんな天使よりも愛らしかったあの笑顔で、娘の瑞樹が私に丁寧にお辞儀をした。ちょうど反抗期だった娘が、父親に敬語を使って頭を下げるだなんて。ちょっと前までは思いつきもしなかった。私は空いた口を閉じることもできず、その場に膝から崩れ落ちた。
「撤収ー!」
「明日はカメラ三時入りでーす!」
「お疲れーっす!!」
暖かだったはずの我が家が、瞬く間に殺風景なスタジオへと様変わりしていく。やがて照明が落とされ、撮影班と俳優たちも現場から姿を消していった。一人取り残された暗闇の中で、私は頭を抱えた。
…これは悪い夢なのだろうか?
もしかして本当に、これはドラマだったのか?実は私は斎藤という俳優で、高橋役に入り込みすぎていただけだったのか?
一体私は何者なんだ?
すると、答えの出ない疑問に答えるように、どこからともなく声が聞こえてきた。
「はいOKでーす!」