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願いはその手に掬われて・・・3


 ときわの森が雨に濡れていた。意識遠のく中、キラは声を聞いていた。


「人間って案外しぶといものなのね」


ワカバにしては随分と流暢な言葉遣いだった。しかし、キラはと言うと、雨が出血を増長させ、思う存分にその血を大地に滲みこませていた。痛みというよりも凍えから、その口は全く動かなかった。これだけ瀕死の状態で生き恥を晒しているのだから、しぶといと言う言葉は正確な表現かもしれない。


「過去は準えられただけ」


よかった……。目を開けているのも、もう辛くて仕方がない。しかし、声は続いた。


「このままがいいのね?」


あぁ、何も変えなくていい。もちろん、言葉にはならなかった。キラの瞳は静かに閉じられた。


 静かな闇がキラに安らぎを与えた。深い闇は光を呑み込み、どんな光もキラに与えなかった。深い眠りがただ淡々と続いた。


 しかし、何だか息苦しくなって、意識は現実へと引き戻されたのだ。目の前に、いや、胸の上に分厚い本が載ってある。一瞬まだ夢の中にいるのかと、意識をめぐらせたが、頭ははっきりしていて、ここはキラの部屋だった。そして、横に誰かが座っていることに気づき、頭だけでその方向を見た。


 ミラがキラを机にして、本を読んでいた。キラの覚醒に気がついたミラは何の表情もない顔でキラをじっと見つめた。そして、一言も喋らない。キラが声をかけようとしたら、その上にあった分厚い本を手に取り、本棚に戻した。体が軽くなったキラは大きく息を吸い、吐き出した。心持ち楽になったような気がした。


「ありがとう」


感謝の気持ちはそれほどなかったが、キラは礼儀としてそれだけ言っておいた。それからミラはまた戻ってきて、横で本を読んでいる。いったい何を考えているのか、全く分からない。とりあえず、自由になった上半身のお陰で、枕棚に重湯があることに気が付くことが出来た。


「……姉さんは?」


ミラはキラの問いかけなんて何も気にせず、短い足をぶらぶらさせながら、分厚い本をぱらぱらとめくっている。重湯があるということは、キラが眠っている間にイルイダが来たということなのだろう。いや、もしかしたらミラが持ってきたのかもしれないと過らせはしたが、ミラ相手にそれを聞き出そうとしても、おそらく徒労に終わることは目に見えていた。キラは諦めて体を起こした。


 不思議なとこに痛みがなかった。そして、思わず右上腕を擦る。やはり、傷はない。イルイダの言葉が頭に過る。「父を殺したのは魔女……」


 キラは慌てて重湯に手を伸ばしていた。無理して体をよじったせいか、さすがに痛みが腹部に現れたが、さっきの今という感覚では測れない回復だった。それを含め、重湯の器を両手で受けるようにして膝に乗せた。まだほんのり温かい。やはり、そんなに時間は経っていないのだろう。


「これ、いつ?」


思った通り、ミラは答えない。あの後の一瞬で、イルイダの存在が消えてしまったわけではなかろうと、自分を落ち着かせながら、キラは諦めて、その匙で重湯を掬い始めた。


 この体の状態でときわの森を彷徨いたとしても、魔獣の餌にしかなれない。


 あれだけ音を立てていた雨音が聞こえない。どうも雨も止んでいるようだった。ということは、イルイダが去ってから、数分ということはないのだろう。ただ、数週間という時間は経っていないはずだ。キラは答えないミラに代わり、考え続けた。


 そして、ずっと同じことばかりをしていたミラが急に何かを思い出したように高い椅子から飛び降りた。


「おい」


キラはミラを慌てて呼び止めたが、思った通り無視されてしまった。しかし、本を抱えるミラにとって、その目の前に立ちはだかる扉をどうにかする手はなかった。要するに、『開けろ』ということなのだ。キラは、よいしょとベッドから降りた。当たり前の動作が当たり前に出来た。いや、キラはさっきまで動けるという程にまでは回復していないのではなかっただろうか……。キラの心臓は一瞬で凍りついた。ミラはじっと扉を見つめたままだった。キラは慎重にミラに声を掛けた。


「開けろということか?」


もちろん返事はない。そもそも、動けるようになった時点で、ここから出て行かなければならない身分だ。キラは、自分の着替え、荷物を手早くまとめ始めた。持ってきている荷物なんて、たかが知れている。ミラは待ってくれているのか、ただ、扉が開くのを待っているだけなのか、じっと扉の前で立っていた。


「待たせてごめんな」


ミラに反応はなかったが、扉を開けてやると、素直にその扉から廊下に出た。廊下は穏やかな日が差し込んでおり、風が通り抜けて行った。そして、ミラは扉の前に立つキラを数メートル先で見つめたまま待っている。キラはそんなミラに静かに近付いた。すると、今度はその風を匂うように鼻を突き出したミラがまた歩き始めた。彼女の足音はまるで猫のように忍ばされていて、羽でも生えたように軽い足取りだった。キラは、ミラをゆっくりと追いかける。夢の続きなのかもしれない。キラは歩きながら何度かそんなことを思った。


 一週間眠っていたとされたとしてもおかしくなく、これが夢の中だと言われても納得してしまいそうだった。キラはしっかりと大地を踏みしめているはずなのに、全くその感覚を得ずにミラの後に続くだけ。ミラは屋敷を出て、花盛りの薔薇園を通り、そして、枯れた噴水前を通り過ぎ、ラベンダー薫るハーブ園で一度立ち止まった。しかし、ミラの見ていたものは、咲き誇るラベンダーではなく、ローズマリーだった。キラは何かに引き寄せられるように、その一枝を掌に乗せた。何か忘れている。


 掌に移ったそのはっきりとした香りは、キラの記憶を刺激させた。しかし、その刺激は何かをちくりとさせるだけで、何も思い浮かばせなかった。


 キラと同じようにして見ていたミラの視線が動いた。


「ミスティ……」


移した視線の先には、凛と立つミスティがいた。その雰囲気がラルーによく似ていた。今まで感じなかったのが不思議なくらいに、彼女達はよく似て、陶器の置物の様に完成されており、冷たく完璧で、もの悲しい厳粛さがある。いや、容姿は異なるが、その姿形もどことなく似ている。


「魔女には会えたようね」


おずおずとミスティの背後に隠れたミラの頭に手を優しく乗せながら、ミスティは言った。


「あぁ」


会えた。だが、キラとしてではなくルオディックとして魔女に会った。そして、その魔女はワカバではなかった。いや、どんな容でさえいい。ワカバが『ワカバ』でなくてもいい。ただ、存在を消して欲しくなかったのだから、あれがワカバであったとしても、いいはずなのだ。


「同じことを願った者がいるのよ」


ミスティはローズマリーを手に取った後、キラの心の中を読んだ。しかし、キラの返答は要らないようだった。


「心配しなくてもイルイダなら、教会にいるわ。そして、もうあなたの記憶は変えられないわ」


ミスティの口調からすると、イルイダがいるこの世界はキラが『キラ』である世界なのだろう。しかし、歪みがある。キラは右上腕を擦る。変えられないというのは、変えることが出来ないということなのだろうか。それとも、ワカバの意志で変えることはないということなのだろうか。その様子を見たミスティが穏やかな微笑みをキラに向けた。


「それであの子が納得するのなら、そのくらいのことはあの子のわがままを通してあげてもいいんじゃないかしら? その事実は元々あなたしか知らないものなのでしょう? あなたが忘れなければいいだけのことよ」


いや、でも……。キラは言葉を呑み込んで、別の言葉を選んだ。そうだ、それは元々公にはなっていないことなのだ。忘れなければいい。全てはキラの中に残っている。『キラ』として生きた全てが失われたわけではないのだ。キラはその言葉を頭の中で復唱した。


「……そう、だな…」


ミスティはにっこり微笑んだ。


「そう。忘れなければ。どうしても納得出来ないのなら、教会で祈りを捧げてみればいいわ。きっと願いは届くはずよ」


ミスティの言葉はそこで終わっていたが、キラの中にはその続きが明示されていた。ミスティを見つめるキラに、ミスティは頷いた。きっとキラの思っていることが正しいのだろう。


 きっとワカバは泣きながらそれを叶えるだろう。


 いや、また願いを覚えているなんて言って、消えようとするかもしれない。


 ……ということは、世界の崩壊か……。


 世界の崩壊と天秤にかければ、そのキラの記憶は確かにそのくらいに値するかもしれない。それに、ジャックとして生きるのであれば、それは好都合なのだ。覚えていればいいのだ。父を殺したのが魔女だというのなら、その魔女の名前は『キラ』だ。キラの中にはその感覚が残っている。一生かかっても消えない記憶。背負わなければならないもの。そう思えば何も変わっていない。顰笑したキラにミスティが静かに微笑んだ。


「記憶のずれに気を付けなさい」


「あぁ。しばらくはすり合わせていくことに尽力するよ」


ディアトーラには珍しい晴れ渡った空。清々しいとも言えるそんな日に、キラはディアトーラを去った。『祈り』は捧げなかった。元々キラはそんなあやふやな物、信じていないのだ。ただ、ここには風の子や神様を信じているような、泣き虫な魔女がいる。そして、そんな魔女がトーラなのだ。




 ここは、ディアトーラ、ワインスレー領。領主の館とときわの森の境に位置するようにして、教会の青い屋根が太陽の光を受けていた。そして、その中にある白磁の女神は今も希望の光を掬い上げている。




                                                                                          完


 物語としてはここで筆をおかせていただきます。本当に長い時間付き合って下さいましてありがとうございました。何度も読み返してはいるのですが、誤字があったり、文法上の問題があったり、読みづらいこともあったと思います。それにも係わらず、ブックマークをしてくれた方、評価してくださった方、感想を書いて下さった方がいて、本当に励みになりました。半年間という期間読んで下さっている方がいていると思うと書ききる力になりました。感謝しております。


 ただ、あと一話投稿します。これは、ミスティの言葉を借りるなら、作者のわがままといったところでしょう(笑) もとは、こちらの文章を完結文として描きたかったのですが、力のなさから、どうしても、つなげられませんでした。

 もしよければ、そのわがままにも付き合っていただけますと幸いです。


瑞月風花

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