願いはその手に掬われて・・・1
異国の学校を卒業して帰ってきたイルイダには居場所がなかった。領主の屋敷にはイルイダの知っている者は一人もおらず、後妻のミスティが大きなお腹を抱えてイルイダを迎えた。
「あなたはここの領主の娘。私は魔女。何も変わらないわ」
きっと、あの時にイルイダは全てを失っていたのだ。あの、魔女狩りがあった日に。
魔女がここにやって来た時と同じく、あの時も、見上げれば白磁の女神が青い光を掬い上げていた。
イルイダがここの領主として立った日。魔女はその新緑色の瞳を真っ直ぐイルイダに向けて、飾りのない言葉をイルイダに突き付けたのだ。
「あなたをわたしの駒として存在させてください」
魔女は、そんな言葉を伝えに来た年端もいかない少女だった。そして、その言葉とは裏腹に、どうしてかとても自信無げにイルイダを見つめてくる。
トーラとはこんなにも頼りない者なのだろうか、と思わざるを得なかった。拒否すれば、引き下がりそうな気弱なトーラ。ただ、あぁ、とうとう……そんな言葉がイルイダの中に生まれたのは確かだった。
「それでルオディックは助かるの?」
それは、母がイルイダのために捨て駒にしようとした者の名だ。イルイダの弟であり、既に弟ではない者。もし、どこかに今も彼が生きて存在しているのなら、イルイダは彼を助けねばならない。目の前にいるトーラの描く未来を準えるためにも。しかし、魔女は悲しそうに頷いた。
「悲しまないで」
自分の存在を消すかもしれない相手に、どうしてかイルイダは慰めの言葉を投げかけずにはいられなかった。どうしてイルイダが彼女を慰めたのか、それは今でもよく分からない。悲しまなければならなかったのはイルイダの方だったにもかかわらず、あの時はそれが口を衝いて出て来たのだ。
それは、きっと彼女がイルイダよりも弱者に見えたから。そして、彼女が誰よりも苦しそうに見えたから。だから、イルイダ自身に護りたい者がいない今なら、トーラの末裔としての運命をただ受け入れようと思った。
すると、魔女がイルイダの顔を再び悲しそうに眺めた。
「あなたはここの領主の娘、わたしは魔女。何も変わらない。だから……」
魔女はミスティと同じ言葉を伝えた。……ということは本当に変わらないということなのだろうか。だから、イルイダは魔女の途切れた言葉の先を魔女に変わって紡いだのだ。
「心配しないで、ときわの森は私が護るわ。だから、何も気にしないでいいのよ」
その約束が果たされるかどうかの保証は出来なかった。何と言ってもイルイダには何の力もないのだ。
「ありがとう。……庭にあるハーブ園、とてもきれいね」
魔女は泣きそうな顔をして微笑んだ。イルイダはその微笑みに頷いた。
「大切にするわ」と。
明後日、イルイダは婚約者を迎えることになる。隣国の良家の息子。ディアトーラの領主として迎えられるのだ。そして、彼は魔女狩りで名高い国、リディアスからやってくる。リディアス国王直々の縁談を断るわけにもいかない。時代が変わる。
だから、これからもずっと平穏な日々が送れるように、確固たるものを自分の拳の中から逃がさないように握り締めた。そして、イルイダが立ち上がると同時に静寂を破る者がいた。
肩で息をした万屋の長男が教会の扉を乱暴に開いたのだ。
「イルイダ様っ」
こんな所におられたんですか? と目が叫んでいた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「大変なんです! もうすごい出血で、診療所の奴が診てくれてるんですが、いかがしたもんでしょう」
ディアトーラの人々は余所者に対して臆病なのだ。それもおそらく過去の魔女狩りに由来している。しかし、まさかそんな余所者を放っておくわけにもいかない。臆病者で優しい民のいる町なのだ。
「分かりました。診療所にはすぐ行くわ。後はいつも通り、私が預かります」
いつも通り、厄介なものは屋敷で預かる。ほとんどの厄介者はイルイダを若い女だと見ると油断する。だから、いつも不安を感じさせない笑みを返すのだ。イルイダの実力を知っている村人達は、それで安心する。しかし、万屋の表情の緊張感が少し緩んだと思ったら、すぐに強張った。
「どうしたの?」
「いえ、……すぐに運ばせます」




