消えゆく過去の澱みの中で・・・4
口を閉ざしたワカバにラルーがため息交じりに言った。
「あなたは誰の望みを叶えようとしているのかしらね」
ラルーが他人を馬鹿にするのは今に始まったことではない。ワカバの気分が優れないのはそんなことではないのだ。銀の剣を使わせようとしているのはワカバであり、ラルーではない。ラルーが作った時の流れを崩壊させようとしているのもワカバであり、ラルーではない。キラがそれを望んだかと言えばそうでもない。ラルーはそれを知っている。そして、ワカバは自分の至らなかった部分を認めたくない。認めれば、護りたいと思った気持ちすら否定することになってしまう。ラルーはそれを愚かだと言うだろう。
「黙ってらっしゃっては分かりませんわ。勝手に現れて勝手に消えてしまおうとする。本当に勝手なことですわ。それが望まれる結末になるとでも思ってらっしゃったの? あなたに与えられた力はそんな小さなものではありませんのよ。あなたはトーラよりもずっと自由にその力を使えたはずでしょう? なのに、それもしないで。どうして、わたくしに与えてくださらなかったのかしら。わたくしなら、誰よりも恐ろしいトーラになり得たはずですのに」
一気に話し終えたラルーはそこで口調を変えた。今までの物が『吐き出す』だとすれば、今度は『諭す』という雰囲気がぴったりだった。
「だけど、あなたが持っているのです。彼は姉の復活を願っていたのでしょう? 彼の母は彼の存在を願ったのでしょう? だったら迷う必要ありませんでしょう? それがあなたにとって最後の使える駒なのでしょう? 迷う必要なんて」
ラルーの言葉を最後まで聞くことが出来なかった。ワカバは堪らず声を上げた。
「だけど、ラルーはわたしが生まれた世界が嫌だったんでしょう? だから、わたしに枷を付けたんでしょう? だから、キラをわたしに近づけたんでしょう? だったら、その枷を生かそうとしたっていいじゃないっ。わたしがいなくなるのだって、構わないでしょうっ。勝手なことじゃないわっ」
ワカバの声は発した言葉が増える程に大きくなってきた。目頭が熱くなる。ワカバさえいなければ、歪むことのなかった世界。それなのに、ワカバが生まれなければ、生まれなかった存在がある。トーラの護り続けてきた者達は、ワカバが存在させなければ消えてしまう。だから、存在させようと思った。ワカバがいなければ居場所は一つ余る。『トーラ』はまた人間を巡るだけ。ワカバはトーラがワカバの母にしたように、世界を作り、廻ろうとした。しかし、ラルーはトーラから世界を奪えと言うのだ。
むかし、アナの願いを受けてトーラがしたように、過去を変えるのではなく、創り変えればいいと。それは、今まであった過去をすべて消し去るということに準ずる行為だった。
「あなたはよくやりましたわ。彼が生きるための道はまだ残っているでしょう? それを使えばいいことです。あなたの思う彼らの幸せな結末が、結果全ての人間の幸せに繋がるなんて、おこがましいこと甚だしいですわ。何様のつもりですか? あなたは神さまではなく『魔女』ですのよ。もっと、自分が生きるための愚かな未来を描きなさい。誰もあなたが消えることを望んではいないのですから」
そして、ラルーは静かにワカバの顔を覗き込んだ。
「自由がなくても、あなたの望まないことが出来なくても、『ラルー』なら十分に役に立ちますわ。あなたが作った綻びくらい、いくらでも繕って差し上げますわ。銀の剣に新たな記憶を沁みこませてあなたが消えないようにすることだって出来ますわ。だけど、あなた自身がワカバでいることを望んでくださいませんか? ルタならあなたに望んでも構いませんでしょう? どうか、わたくしの罪を拭って頂けませんでしょうか?」
深い黒。初めて見るラルーの瞳の奥には、魔女になる以前のルタがいる。ルタは嘆き悲しんでいた。
「でも、」
自信がない。答えを鈍らせるのは、きっとそんな程度のことなのだ。ただその壁がとてつもなく高い。だから、いくらルタが望んだとしても叶えたくない。ルタにしたのは願いを叶えるためじゃなく、本当にラルーの言った通りなのだ。ルタになら勝てると思った。それが傲りだと言われても仕方がない。看視役という役目でラルーがどれだけの魔女を看取ったか分からない。解放、と言う意味も込めての『ルタ』だ。もちろん、そんなことを言えば、望んでない、と突っぱねられそうだが、そうなのだ。ラルーはワカバには考えられないくらいの時間、トーラを見守ってきた。それは、母である『トーラ』を一人にしないためだ。その力をワカバが奪った。だから、ラルーが怒ってワカバを消したとしても、ワカバは構わないのに。
静かにワカバの答えを待っていたラルーが、ふっと視線を外した。
「知ってまして? ルタとして過ごした結果、わたくし、あと一日で二十歳になりますの」
俯いているワカバからラルーが離れた。ラルーが話題をいきなり変えた。その意味を考える。ぐちゃぐちゃになっていたワカバの頭の中では、いい答えは見当たらない。二十歳、という数字と関係あるのだろうか。
「これ以上時を重ねるルタとして存在させるおつもりでしたら、容赦いたしませんわよ。今すぐ銀の剣で止めを刺します」
「えっ?」
二十歳だろうが何だろうが、すでに二十年以上生きているんだから。きっと何か企んでいるのだ。ワカバはそう考えた。しかし、離れていくラルーの背中は無防備で、止めと言われても、剣すら持っていない状態だ。何も考えてさえいなさそうだった。いや、ラルーに限ってそんなこと……。
「そんな些細なこと、とお思いでしょうが、数千年と生きていますと、そんな小さなことが気になるようになるのです。だから、今すぐラルーに戻してくださいません? 少なくともあなたなんかよりもずっと優秀な魔女ですわよ。後悔はさせませんわ」
ゆっくりと振り返ったラルーはあの意地悪な微笑みを浮かべていた。
「あなただけ十六で止まるおつもりですか?一人で時間が止まるということは、とても辛いことですのよ。年長者の意見は聴くものです。そして、それでも必要でないと思われたのなら、その時に解放してくださいませ」
言葉を紡ぎ終えたその顔には微笑みがあった。それは大丈夫、の微笑みだった。ラルーはいつもワカバが不安になるとその微笑みをくれた。
「トーラは人間の願いを叶えるものです。彼はあなたに生きていて欲しいそうですわよ。あなたはそれを叶えるべきです」
そう、それは、懺悔の意味を込めて。あなたは生まれるべくして生まれた存在。あなたが生まれなかった未来なんて存在しない。しなかったのに……。あの時ラルーはそれを望んでしまった。ラルーは、あの時に感じた嫉妬のせいで狂わせてしまった小さな者の手を、やっと掴むことが出来たのだ。
ラルーの言葉を聞いたワカバの瞳からは、あの時と同じように涙が流れ始めて、止まらなかった。




