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Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで  作者: 瑞月風花
第二章 消えゆく過去の澱みの中で
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消えゆく過去の澱みの中で・・・3


 ときわの森は雨が多い。しかし、ワインスレー地方に多いはずの豪雨に見舞われることがない。これも魔女の仕業と考えられているが、当たらずも遠からずの考えだった。


 実のところはそれほど大きな時の流れがここで生まれたことがないからなのだ。


 静かな雨が音もなく大地に滲みこみ、葉に溜まる雫が雨の存在に気付かせる。ワカバは巨樹の麓でその雨を見つめていた。全てを滲ませる雨。時を大地に返す音。降り注ぐ雨の中、自分がまたも失敗してしまったことを思い出していた。ここに『ワカバ』が存在する。ルオディックの願いを叶えるには、キラの存在を消さなければならない。もしかしたら、別の望みを託すかもしれないとも願った。しかし、彼は姉を護ることを魔女に託した。だから、魔女を殺す英雄になればいいと思ったのに……。記憶を背負えば、彼はここで生きていける。姉も存在させられる。いなくなるのはワカバだけ。


 ワカバの持つ答えは、あと一つしかない。使いたくなかった答えではあるが、潰されるのはもっと怖かった。


 ワカバは母の樹の表面を撫でた。ごつごつと節くれだっているが、滑らかな表皮が手に触る。「お母さん?」ワカバはその木に呼びかけてみた。もちろん答えはないが、胸の奥が締め付けられる。


 ワカバがトーラになるということは、トーラの世界を奪うことになるのだ。それは娘たちの庇護を奪うということと同じであり、二度と戻らないということだった。


 そして、森の影から人影が、色を滲ませて静かに近付いてきた。その姿はラルーに似て少し違う。ワカバの目に映る者の瞳はオニキスのように黒く、緩やかに波打つ髪は墨を流したように黒い。


「ラルー……」


一瞬何と呼べばいいのか悩んだのだが、ワカバは彼女をラルーと呼んだ。


「『ワカバ』にお会い出来てよかったわ」


ラルーは微笑み、小首を傾げ、続ける。


「ルタになら勝てるとでもお思いでしたか?」


ラルーの言葉は紙切れのようだった。薄くて軽い。しかし、紙切れのくせにワカバの皮膚をすっぱり切ってしまう。きっとラルーは怒っているのだ。


「どうして邪魔するの?」


「看視役でなくとも、ルタは銀の剣を持つ者。トーラが危険であると認識すれば、それを止めようとしますわ。どうしてなんて尋ねる方がおかしいと思いません? それに、ルタは人間です。未来を変えようと奔走したとしても問題ありません」


ほら、やっぱり。ワカバは口に出さずに、目でそう言っていた。しかし、ワカバだって怒っているのだ。何に怒っているのかはよく分からない。ワカバはラルーのことだって好きなのだ。だけど、顔を見たくないと思うくらいには怒っていた。そして、ラルーが喋る度に胸が痛い。だからだろう。ワカバも自分の言葉にどんな感情を乗せればいいのか全く分からず、あまりにも自分の口調に抑揚がなくてワカバ自身が驚くくらいだった。


「まさかリリアと手を組むなんて思ってなかった」


リディアスと手を組むだろうということは何となく察しはついていた。しかし、トーラと完全に対極にいるリディアの化身に助けを乞うとは思ってもみなかった。もちろん、リリアは助けたつもりはないのだろうが、例えば、面白いことが起きるから、という言葉だけでワカバの足を絡め取ってしまう危険性をリリアは持っていた。だから、ワカバはリリアが苦手だ。


「正面切って勝てる相手ではありませんもの」


ラルーの唇が少し微笑んだ。その微笑みの意味はなんだろう。ワカバは考えを巡らせる。


「そんなことないでしょ?」


「ラルーとして存在したとしても、力では勝てませんわ。ただ、経験の差というところでしょう。前にもどこかで申し上げたことがあるかと思いますが、あなたの描く過去は粗いのです」


確かに言われたことがあった。世界を覆うだけなら問題ないが、その粗い網目で一体何を掬おうとしているのか、と。ラルーはその隙間を簡単にすり抜けることが出来るし、細かい網を器用に編み込むことも出来る。その網を使って、使える駒も掬い上げる。


 ただ、ラルーの力では、世界を覆い尽くせるだけのものは編めない。


「だけど」


「だけど?」


ラルーがワカバの言葉を復唱する。


「わたしの望まないことはしないんじゃないの?」


「それは、『ラルー』にのみ通じますわ。力を持たないルタにしたのはそちらでしょう?」


「……じゃあ、世界を滅ぼすつもり?」


ラルーはワカバがトーラを持った時点で、一度世界を滅ぼそうと奔走している。何故やめたのか、ワカバは知らない。その計画が復活していたとすれば、ワカバは、どうすればいいのだろう。踏み込みたくない質問は、ワカバの不安を煽るのには十分だった。しかし、ワカバが見遣ったラルーは、また、可笑しそうに微笑んでいた。


「そのつもりなら、とっくに刺し殺してましてよ。機会は今だけではありませんでしたわよね」


「じゃあ、……どうして? …どうして?」


ラルーがにやりと笑う。どうして、ルオディックを殺そうとするの? どうして、ワカバを生かそうとするの? どうして、……だって、わたしがいないだけじゃない。この世界をトーラに返すだけじゃない。みんないる世界を望むことはいけないことなの? わたしに与えられた世界をわたしが変えてしまえば、もうトーラが本当に叶えたかった者の願いは永久に叶えられないのよ。


 ワカバはラルーを凝視したまま、言葉を呑み込み続けた。頭の中に浮かぶ言葉の量が、ワカバの発語能力を遥かに超えているのだ。ワカバにはラルーに言いたいことがたくさんあり過ぎた。



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