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Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで  作者: 瑞月風花
第二章 消えゆく過去の澱みの中で
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ときわの森・・・3

 降り始めていた雨は霧雨のような雨になって、視界を霞めていた。ルオディックは大きく息を吐き出した。その息はまるで白く濁って霧を生み出したかのように、ルオディックの視界をさらに濁らせ、未来を曇らせた。


 ただ、あの魔女がどうであれ、気付かれているのならば、逃がさなければならない。トーラならリディアスに持たせるわけにはいかないし、たとえトーラでなかったのだとしても、魔女の汚名を着せられた者の行く末は磔台の上だ。ちゃんと逃がしてやらなければならない。それが領主としての役目である。


「奥方様は決して領主様のことを嫌っておいでではないのです。ターシャが言うように、ディアトーラもリディアスも奥方様にとってはとても大切な場所なのです。だから、時々お里帰りをなされ、近況をお話になられるのでしょう。ただそれだけなのです」


ダルウェンの言葉がルオディックの脳裏に蘇った。おそらくその通りなのだろう。おかしいのは、誰でもなく、あれだけ魔女狩りをし、その力を誇示し続け、魔女の力を否定するだけの知識を発達させながら、まるで、リディアスが滅ぼされてしまうかのごとく、トーラを手に入れればすべてが手に入ると思っているがごとく、眉唾物のトーラを信じているということだ。


 そう、リディアスがおかしい。


 ときわの森には珍しく雨脚が強まり、霧雨だった雨はやけに重たく降ってきていた。嫌な予感がした。森の中が騒がしいのだ。例えるなら、気配というものだ。ルオディックは魔女が森に消えた方向を振り返った。


 ここは一体どれほどにまで村に近かったのだろうか。魔女と別れてからはまだ数分だ。あの足の魔女がどれほど遠く離れただろうか。ルオディックは大きく息を吸い、背筋を伸ばし前を見た。

雨の音以外に、葉の擦れる音が聞こえた。反射的に脇差しに手を掛けたルオディックは、そのまま耳を澄ませた。そして、その緊張は全身に伝わっていった。


 葉にあたる雨の音が小刻みになってきている。そして、その音の隙間から人間の話声が聞えてきた。この国の言葉ではない。四人はいる。リディアスの奴らだ。あの木のあった場所からはまだそんなに離れていない。あの足の魔女がどれだけ前へ進んだのかも分からない。それに、村に近付いている、と言っていた。リディアスが森へ進軍する理由を与えるわけにはいかない。そして、魔女の怒りに触れることも許されない。


 止められない。


ここで足止めをするために、一番いい方法は……。


 ルオディックは手にした脇差しを抜いた。


 おそらく、ターシャもダルウェンも〝大切な坊ちゃま〟がトーラと思しき魔女を連れ帰るために、ときわの森へ入ったなんてことは言っていないはずだ。ルオディックは歯を食いしばり、体の中に溜まった息をゆっくりと鼻から吐き出した。ルオディックが取れる行動は二つだ。一つはリディアスに加担すること。もう一つは魔女を庇うこと。答えは決まっていた。そして、それに伴い自身に起こるだろう結果も変わらない。もう一度ゆっくりと呼吸し、吐き出すとともに、その脇差しの切っ先を腹に乗せ、そのまま突き立てた。


 殴られたような痛みと、思わず柄を握った手を離しそうになる痺れがルオディックに襲い掛かった。そして、力任せにその脇差しを抜き去った。思っていたよりも指先の強張りが酷い。ルオディックは思うようにならない指から離れない脇差しを振り解こうと全身にもう一度力を入れる。傷は深い。きっと抜く時に掛かった力が体力を消耗させたのだろう。自分の体なのに、全く自由に動かせず、ぎこちなかった。ルオディックが動く度に全身が麻痺したかのような痛みが走った。出来るだけ遠くに脇差しを放り投げたつもりだったが、それはまだ視認できる場所に転がっていた。急がねばならない。思うように動かない身体をやっと動かして、ルオディックは腰に残る長剣の柄を握った。


 最悪、この血の匂いに誘われた魔獣でも出てくればいいとさえ思っていた。魔女の去った方向はルオディックしか知らない。ときわの森の魔獣相手なら、いくらリディアスの兵だとしてもやすやすと片付くことはないだろう。そして、あわよくば、脇差しの方向へと走って行ってくれれば、僥倖だ。


 感覚としては五分くらい。実際は十秒にも満たない時間。ルオディックが崩れるまでにかかった時間だ。勢いでうつ伏せになっているルオディックの傍に跪き仰向けにする者がいた。そして、ルオディックの傷口を抑える。そして、ダルウェンが覗き込み、その横にもう一人の兵が膝を付いた。


 ダルウェンが大切な坊ちゃまを放っておくことが出来ないことは明白であり、森の中を少数のリディアス兵だけで歩けばどうなるか、くらい奴らにも分かるだろう。ただ、ダルウェンが一生懸命にどうしてこんなことになってしまったのかの説明をしていたが、彼らには聞く耳はないようだった。


 そして、ルオディックの耳に「ルタ様……」と衛兵の一人が零した言葉が届いた。リディアスの者はここに三人いるようだった。


「時間がありませんわ」


その言葉に慌てて声を厳しくする者があった。


「魔女もそんなに遠くにはいけないはずだ。よく探せっ」


ルオディックの状態を見て呆然としていた兵が、茂みの中へ飛び込もうとしているのを、ルオディックの傍にいる者が制止した。


「いいえ」


その声でルオディックの傷を押さえた者がやっと女であることが分かった。しかし、そう伝えている女の表情は何だかとても他人事に見えた。これはルオディックの意識が朦朧としていたから、だとは思えない。


「ここは魔女の領域。命の保証はし兼ねます。間に合わなかったのです。諦めなさい。それに、彼をここで死なせるわけにはいきません」


 雨が急速にルオディックの体温を奪っていってくれたおかげで、最後に見た顔がこの女になってしまった。女の目はあの魔女と同じ緑だった。しかし、もっと深い色だ。深い、雨に濡れるこの森を思わせる色。


あの魔女は無事に帰ることが出来ただろうか。


最悪の最善くらいにはなっただろうか。


ルオディックはそんなことを考えながら目を閉じた。




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