それは恋に似て異なるもの・・・3
扉の前にはダルウェンが姿勢を正して待っていた。ルオディックの姿を見つけ、軽くお辞儀をすると扉を引き開けてくれた。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
いい加減、本当に坊ちゃまはやめてほしい。おそらくダルウェンもルオディックのそんな気持ちを知っているのだ。四角四面の真面目な顔が余計に腹の立つものになる。
「もう外には出ないから、帰っていい」
「分かりました。それではまた明朝に伺います」
ダルウェンには家がある。そこに妻と息子夫妻、娘がいたはずだ。これもリディアスの貴族達に驚かれたことの一つだが、ダルウェンは通いの執事なのだ。もちろん、ターシャもそうなのだが、ターシャの場合どちらかといえば、こっちに寝泊まりすることの方が多い。しかし、今夜はいないかもしれない。
歴代の領主付き本来の仕事は、領主を館から出さぬこと。魔女が出て来た際に、町まで魔女が行かないように、被害が及ばないように、あの鉄格子の鍵を預かるのだ。もちろん、それだけのために仕えてくれている訳ではないし、そこに憎悪的なものはない。実際には領主の命令のもとに鍵を閉めることが多く、領主付きが率先して鍵を閉めたことはない。鍵を外に出す、ということは、鉄格子の鍵を外から閉めて、領主の血縁者以外が外に出るということだ。魔女の対応は領主が受ける。
これは、領主の家系に続く昔話に由来する。
薄暗い廊下が続く屋敷の奥から、ターシャが廊下の燭台に火を灯しながら、歩いて来ていた。そして、ルオディックに気付くと、足を速めた。そして、呆然とするルオディックに、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。今日は少し火を灯すのが遅れてしまいまして。すぐに明るくして参りますから」
ターシャの遅くなった理由の一つに魔女が入っているのは確実だった。
「いや、ターシャも大変だったろう?」
「いいえ。そんな。これは私の仕事です。坊ちゃまに暗い思いをさせては申し訳ありません」
やっと、最後の蝋燭に火が灯った。ターシャはランタンの灯を消すと、もう一度頭を深く下げた。その時、鍵がジャラっと音を立てた。
「ターシャが預かるのか?」
「あぁ、これでございますか? いいえ。まだあの者が魔女だとは決まっておらぬ故、とダルウェンが置いてまいりました。だから、坊ちゃまに御返しするようにと」
何の冗談だろう。ダルウェンのその行動の意味するところは、いったいどこにあるのだろう。混乱する頭を冷静に保とうとしながら、素直にその鍵をルオディックが受け取ると、更にターシャがルオディックに混乱をもたらした。
「魔女にも食事を持って行っております」
何だかキツネにつままれているようだと、思わず頬を抓ってみたくなる。あれほど魔女を怖がっていたターシャが昨夜よりもずっと落ち着いて、魔女についてを語っている。しかし、ルオディックはそれをも疑った。何かの罠でもしかけられていないだろうか。例えば、ルオディックの考えを変えさせようとするような、何か。
「無理するなよ。本当に下がってくれて構わないんだからな」
「いいえ。そんな訳にはいきません。一つ屋根の下、若い男女が一緒にいるなんて不健全ですもの」
若い男女?……。そんな奴らいただろうか。混乱するルオディックの頭の中に、さらに疑問符がぶち込まれてきた。
「お気付きではありませんね」
ため息も出ないというターシャの蔑みが声の中に混じっている。
「えっと……」
一体誰と誰のことを、と考え思い思い出した。そうだ。魔女は若い女と考えていいのだ。自分でも驚くくらいに気付いていなかった。そう言えば、魔女をここに置く理由で自分自身が「女の子一人を森へ」なんてことも思っていたはずだ。そして、男の方は、誰であろうルオディックに他ならない。気付いていなかったことを責めるような眼差しでターシャが真っ直ぐルオディックを見つめている。これは説教されるに違いない。ルオディックは覚悟してターシャと向き合う。
「坊ちゃま。いいですか。魔女はその辺の野良猫の子どもじゃないんですよ。全く、拾ってきた、可哀そうだから育てる、ではいけませんよ」
「分かってるよ」
恥ずかしさのあまり、ルオディックはターシャの目を見ることが出来なかった。
「平素より坊ちゃまは迂闊なところがあります。いいですか。元来魔女は人を惑わすものでございます。そのような隙があれば、容易く取り入ってしまいます。どうぞ、お気を付け下さい」
そうだ、魔女は昔拾った捨て猫とは違う。森の中で拾った仔猫。親猫がおらず、衰弱していたのをルオディックが拾ってきたのだ。数匹いた猫の内、一匹だけ足が悪いのがいた。それだけが、屋敷に残った。確かに足が悪いのは同じだが、あの魔女が猫ではないことをもちろん知っている。それなのに、確かに猫と同じくらいにしか見ていなかった。そして、ターシャの指摘が全くルオディックの至らなかった点を刺していた。反論は出来ない。
「だから、分かったって言ってるだろう?」
ルオディックを睨め付けたターシャは大きなため息をついて、話題を変えた。
「お分かりになりましたら、食堂へどうぞ。夕食の用意は整えてありますので」
いささか居心地の悪いルオディックはターシャに連れられて食堂へと向かった。ぼんやりと灯る蝋燭の火は石で出来た壁の両側に温かさを添えて、ルオディックとターシャの歩く道を照らしている。食堂は突き当たり。仰々しい銀の両開きの扉を押し開ければ、普段使いには大き過ぎる食卓が現れる。そこにはターシャが母の庭で摘んできたハーブたちが飾られており、微かにその香りを感じられる。いつも違うハーブが活けられているが、その匂いは決してくどくなく、自然な形で、鼻孔をくすぐる。
そして、料理が運ばれてくると、胃袋をくすぐる匂いに変わっていくのだ。
「本日はしし肉のトマト煮込み、マッシュポテト添えになります」
ルオディックの目の前には、くったりと煮込まれた獅子肉がトマトのスープを纏って皿に乗せられていた。
「……肉なんて珍しいな」
ディアトーラでは肉はあまり手に入らない。だから、ルオディックは素直な感想を、素直に述べた。
「そうでございますね。今年はこっちの方も普段よりもよく獲れるそうです」
「ほどほどに…」
と言いかけて、ルオディックはゴーギャンを思い出した。よく獲れるということは、魔獣が獣を追い立てているということだ。狩りは基本森の浅い場所でしか許されていない。長年猟師をしているゴーギャンがそれを侵しているとも思えない。
「だから、撃ったんだな……」
普段よりも多い獲物。確かに少し欲を掻いたのかもしれない。だけど、禁猟区を犯したわけでもない。そこへ、あの鮮やかな新緑色の瞳を持つ者に出会った。咄嗟に魔女だと思ったのだろう。ゴーギャンにも娘と息子二人がいる。ゴーギャンに与えられた物は猟をする者としては嬉しいものだっただろう。だけど大猟と引き替えに子どもを喜んで渡すことはない。
「だからと言って、魔女を殺しては何にもなりません」
ターシャはルオディックの考えを見透かすように、静かに伝えた。ルオディックは黙ってそれを聞き止め、食事を進めた。




