それは恋に似て異なるもの・・・2
ルオディックは、ダルウェンに焚き付けられたのもあり、ディアトーラの万屋の息子チャック・コランダムと共に石高の計算をしていた。ディアトーラでの領主がリディアスでの王と同じ役割をしているのなら、万屋は領主といったところだろう。ルオディックもチャックも次代を担う者として、それぞれに任された仕事をするのだ。万屋はこのディアトーラの富を、領主は魔女や他国との折り合いを考えて、数字を近付けていく。
まぁ、結局過去の事例に基づいていくだけの事務作業に過ぎないのだから、誰がしてもさして変わらない。
「ルオディック様、とりあえず、こんなものでしょうか?」
一つ年上で、同じ学校にも通ったことのあるチャックは、跡取りとして自覚してからルオディックに対して敬語を使うようになった。以前はもっとガキ大将風を吹かせ、ルオディックのことを「お前」呼ばわりしていたような奴だった。ルオディック自身は「お前」呼ばわりでも別に構わないが、ルオディックも彼と仕事をする時には名前よりも家名を使う。
「コランダムの言うように、そのくらいがちょうどいいだろう」
リディアスとの交易での収入から、ディアトーラの領民が欲しがっている物を購入して、ほんの少しお釣りがくる程度。過大な蓄えを持ってはいけない。
「魔女に守られていますからね」
日に焼けた太い指でチャックは丁寧に領主と交わした契約書の束を丁寧に揃え、鞄に入れていた。昔は大雑把な感性の持ち主だったため、よくルオディックの几帳面さをからかっていたのが嘘のようだ。
しかし、不思議なことに蓄えが無くなる頃に、次の収穫がやってくる。蓄えがある限り、豊作になることはない。運が悪ければ、凶作になってしまう。
「なぁ、チャック?」
「うん?」
砕けた口調のルオディックに釣られたのだろう。チャック・コランダムも万屋の顔ではなく、先輩風が戻って来た。別に何年来の再会でもなかろうに、それが無性に懐かしい。
「魔女って本当にいるのか?」
「さぁ。会ったことないから。でも、心構えがあってそれに越したことないだろう?」
そうだよな……。ルオディックはその言葉を呑み込んで、現在の状況を見つめた。魔女は、ここにいる。チャック・コランダムは、以前なら「そんなの関係ない」と言って自分の利益や思いを優先させていただろう。だが、おそらく今は違う。彼には彼の生活があって、婚約者がいて、弟がいる。まだ引退を考えないくらいだが、父がいて、母がある。将来、そこには小さな家族だって増えるかもしれない。
「もし、魔女が出てきたら?」
「出てきたら、困るだろう? 誰かが生贄になるんだぞ。リディアスみたいに殺してしまったら、それこそ、この町が生きていく道すらないだろうし」
「そうだよな……」
リディアスの様に魔女を狩ることも、魔女の力なしに生きていくことも出来ない国なのだ。ディアトーラの強さは魔女あってのものだ。
「ちょっと待っててくれよ。親父にこれ渡したら送っていくから」
「あぁ」
別に送ってもらわなくても帰ることくらい出来るのだが、それを無下に断って、彼が万屋に怒鳴られるのも可哀そうな話だ。いや、少なくとも、ルオディックが送ってもらわなければならないくらいに危険な道を通らなければならないのなら、彼をもう一度誰かに送らせなければならないだろう。しかし、その必要もないくらいにディアトーラの人間は行儀がいい。ただ、よそ者を極端に嫌う節はあり、旅人やらは領主館においで願わなければ、宿泊先すら見当たらない。
人見知りさえなければ、ここの領民は心が豊かで、優しい者達ばかりだ。
辺りはすっかり黄昏色になっていた。久々の夕日もくっきり見える。もう一時経たずに日は落ちるだろう。その僅かな時間を惜しむようにして、ルオディックはゆっくりと夕暮れの領地を見渡した。刈り取られた麦畑は大地に朱を吸い込み、まだ穂のある麦はその朱に輝いている。時を重ねる太陽が滲みだした朱が空と雲を染め上げ、金色の大地にルオディックの影を伸ばし始める。遠くには夕風に揺れる葉擦れの音。既に太陽と反対側の空は紫雲とぼやけた月が見え始めている。穏やかな夕暮れだった。
これで、魔女騒ぎさえなければ、ルオディックの心はこの夕暮れごとく穏やかなはずだった。そして、チャックの声がした。
「悪かった、待たせたな……あっ、いや、お待たせしました」
既にルオディックの斜め前に立ち、お辞儀をしているチャックが目に入る。僅かに焦って見えるのは、自分の使った言葉づかいのせいだろう。
「いいよ。気楽に喋ってくれて。その方がおれも気が楽だし」
リディアスの学校へ行ってからか、それとも、その他の者がルオディックを領主の息子であるとみなし始めたからか、最近は皆が敬語を使いたがる。やはり、リディアスの七年が大きいのだろう。それでも、チャックは時々昔に戻ってくれる。それが嬉しい。
「堅苦しくって仕方がない」
チャックは声を立てて笑った。
「お前、おれって言うのも禁止されてるって本当か?」
「なんで知ってるんだよ」
何だか探られたくない腹でも探られた気分だった。
「お袋がターシャの愚痴を聞いたって」
訊いて、驚いた。ターシャが町の者とそんなに仲良くしているなんて、思いもよらなかった。ルオディックの驚きがあからさま過ぎたのか、チャックが「そんなに驚くことか?」と不思議がった。
「いや、愚痴を言える相手がいてよかったよ。でも、あえて禁止しているのはターシャだけだから……」
ダルウェンは禁止していないし、父も母も咎めはしない。ただ、父相手の場合、私ということが多くなってきて、母相手には僕というように心がけている気がした。どうしてだか分からないが、何となくだ。いや、ターシャがそう言うから、母に繋がっているのだ。
「何だかちゃんと領主って感じなんだな」
「当たり前だろ、と言いたいところだけど、自分ではよく分からないな。全く実感がないんだ。ところで、さっきの話なんだけど」
振り返ったチャックの表情は夕日の影になっていた。
「いや、もし魔女が現れたとしても皆に危害が加わらないようにするから、心配しないで欲しい」
「滅相なこと言うなよ。魔女は来ないさ。だから、儲けを出さないようにしてるんだろ?」
「そうだな」
ルオディックは静かに微笑んだ。そうであればいい。しかし、それは叶わない。きっとそうなのだろう。
「ありがとうな。じゃあ、気を付けて」
「あぁ。お前も頑張れよ」
屋敷に近付いた頃にはすっかり兄貴風のチャックになっていた。この調子で彼が家に戻れば、また万屋に叱られるかもしれない。
屋敷の門の前でチャックとは別れたルオディックはその背後が見えなくなるまでその背を見送った後、屋敷の門をくぐり、重圧を吐くかのよう一息吐いた。
黒鋼の格子には薔薇の蔦が這っており、一見すると門に見えるかもしれない。しかし、門とは形だけで、これは鉄格子だ。この鉄格子は屋敷を護るようにして、森を取り囲み、ディアトーラを魔女から護っているのだ。森全体を囲っている訳ではないが、鉄格子は人が歩き続けて丸二日の場所まで伸ばされている。そして、もし、隣町からその鉄格子沿いを歩いて来たならば、五日間、森を歩いたとしても三日は掛かる。そして、森の中には人肉を好む魔獣が数多く存在している。もちろん、森の外にも魔獣はいるのだから、ダルウェンの言う通り、隣町から来た、と考えるには無理があるだろう。
いや、魔女だとしても、あの魔女が危険だとは思えなかった。足を挫いているような間抜けな魔女が、脅し文句に人を欲しがったとしても全く怖くない。ターシャからしてみれば、足の一本魔女にとってはどうでもないことなのかもしれないが、足が痛くて窓から下りられない魔女に何が出来たというのだろう。おそらく、ディアトーラでは何を根拠にそんなに恐れないのかと問われかねないのだが、ルオディックにはどうしてもあの魔女が恐ろしいものだとは思えなかった。
ただ、あの魔女は一体何をしに町までやって来たのか? と言う疑問だけがルオディックの中に渦巻いた。




