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Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで  作者: 瑞月風花
第二章 消えゆく過去の澱みの中で
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ディアトーラと魔女・・・2


 扉の閉まる音がした。



 魔女は不思議に思ってそっと布団の外を覗いていた。とりあえず、今、誰かがこの部屋にいるということはなさそうだった。だいたい、どうしてあの時、人間の住む領域へ向かって走ってしまったのか、どうしてあの時、木の根に足を取られてしまったのか。まるで急に張り出したかのように、あの根は魔女の足を絡め取った。森の女神様があんなことさえしなければ、……。そう思って魔女はぞっとした。


 あんなことをしなければ、人間一人くらい何とでもなったのだ。今、魔女はそんなことを脳裏に過らせてしまった。魔女は今自分自身があの男を殺してしまおうとしていた自分に気付き、ことさら驚いていた。そして、そんなことを払拭しようと魔女は考える。


 どうして人間の住む領域へと足を踏み入れていたのだろう。どうして、よりにもよって人間の住む場所へと走り出したのだろうか。人間にとって魔女とは、大切な何かを奪っていく疎ましい存在だ。疎ましいどころではない。だからあの男のように、火を噴く者なのだ。あの男は間違っていない。


 だから、早く出て行かなければいけない。魔女の村にいるラシンお婆ちゃんは人間ほど恐ろしいものはないとよく言っていた。魔女を毛嫌いし、忌み嫌う。それだけに飽き足らず、魔女を狩り、胸に杭を刺されたり、火炙りにされたり、馬で引きずり回されたり……。


 村の者達は口々にそんなことを語っていた。


 自然と魔女の手が頬のガーゼをそっと押さえていた。


 ここにいてはいけない。早く……といっても、……。しかし、相反する気持ちが魔女の中で渦巻く。


 だけど、魔女は『人間』をこの目で見たかったのだ。容は同じにして異なるもの。見てどうするつもりだったのだろう。魔女は不思議で仕方なかった。


 分かっていたのだ。人間が魔女に会えばどうなるのかも、魔女の逃げ道が相手を動けなくすることだということも。それなのに、どうして、魔女はあんな場所にいたのだろう。魔女の中で疑問は膨らむ。あんな場所にいれば、人間に会うのは必至ではなかろうか。いくら、見たいという気持ちがあったのだとしても、それは危険極まりないということくらい、知っていた。


 魔女はそっと足を床に下ろした。左足は大丈夫だった。しかし、右足となると全く力が入らず、そのまま体勢を崩してへたり込んでしまった。綺麗に包帯を巻いてもらっているが、全く治っていない。


 森へ帰れば、ラシン特製の湿布がある。魔女自身だって作れる。人間の作る薬が気休めにもならないとは思わないが、魔女の作る薬なら、これくらいの捻挫なら今頃歩けるようになっていてもおかしくない。


 早く帰らないと……。


 ベッドを支えにして慎重に立ち上がると、ベッド脇の棚に何か匂いのする物があった。さっき、入って来た人間が置いていったものだろう。白いお皿にひよこ豆が液体に漬かってぶよぶよになっていた。匂いの元はこれだ。そこに匙が添えられているので、摂取するものだとは思ったが、どういう意図でここにあるのかが魔女には分からなかった。


 そして、扉が叩かれた。それと同時に扉が開く。魔女は慌ててベッドへと戻ろうとしたが、うまく足が動かず転んでしまった。右足がジンジンする。それでも、やっとのことでベッドへ戻り、やっとのことで掛布団の中へと頭を隠した。入って来た人間が何をしているのか全く分からなかったが、魔女の背後で動いているということは分かった。


 そして、その気配が魔女の真後ろに来た途端、視界が明るく開けた。アーチの様に弧を描いた掛布団が魔女の頭上で浮かび上がったのだ。


「さぁ、いい加減にしなさい。坊ちゃまが心配なさっています。魔女がどういう生活をしていたのかは知りませんが、夜眠ったのなら、朝は起きるものです」


そして、優しく掛布団が魔女の背中に掛けられた。


「そして、布団は体に掛けるもの。心配しないで。誰もあなたを取って食おうなんて思ってないわ」


 ゆっくりとその人物を見上げた魔女は、それが昨夜のターシャという人間であることを知った。ターシャは黒髪をひっつめて、黒いドレスにグレーのエプロンをしていた。そして、そのエプロンからは懐かしいラベンダーの匂いがした。


「立てるかしら? ゆっくりでいいから、ベッドに戻りましょう」


と、ターシャが首を傾げた。


「どうしたの? 足が痛むの? ほら、泣かないの。泣かないで言ってごらんなさい」


魔女は首をやっと横に振るが、どの言葉も全てが魔女の中にある氷を溶かすようだった。どうして、こんなに胸が苦しいのだろう。


 足は痛い。でも、痛いから泣いているのではない。ただ、……。よく分からない。


 ターシャの言葉通りゆっくりと、ターシャの肩を借りながら魔女はベッドに座り、ハンカチをもらった。


「落ち着いたら、まず着替えでもしましょうか。きっと奥様もお叱りにならないと思うから、ドレスも貸してあげましょう。そうだわ、ひよこ豆は嫌いなの? 全然手を付けてないようね」


ターシャは次々と言葉を繰り出して、部屋の中をうろうろしていた。そして、魔女の前に着く度、ドレスやら、タオルやら、洗面器やらを置いて行き、最後に金色のブラシを魔女に渡した。ブラシの背面には桃色の薔薇の花が描かれていた。


「さぁ、これで髪でも梳かしておいてね。私はあなたの体を拭いてあげるから」


と、言うや否や、魔女の体から衣服が剥がされてしまっていた。


 一瞬心臓が飛び出してしまったかと思う程、びっくりする出来事だった。下着姿で人間の前にいるのだ。無防備極まりない。しかし、恐怖はなかった。ターシャは発言通り水に濡らしたタオルで体を拭き始める。初めは体を固くしていた魔女だったが、次第に心地よくなるのを感じた。魔女の村では絶対に起き得なかった状況だ。


 魔女の村でも魔女の居場所はここと変わらない。ここの住人達からすれば、どっちの魔女も変わらないのかもしれないが、魔女の村で魔女に話しかけようとする者は育て親のラシンくらいだった。そのラシンでさえ、必要最低限にしか魔女と関わらなかった。


 だから、魔女はよく独りで森の深部にある大きな樹の根に体を寄せて、葉から零れ落ちてくる光を掌やスカートに映して遊んでいた。そこが魔女にとって唯一の安らぎの場所であり、母なる樹のある場所だった。


 そして、魔女の体を拭いていたターシャがクローゼットに近寄り、ドレスを二つ取り出した。緑色のドレスと薄桃の柔らかなドレスだ。


「どっちがいいかしら? あなたの服は汚れてたでしょう?」


人間とは不思議なことを気にする者だと思いながら、緑の方を指さすと、今度はもっとおかしなことを言った。


「やっぱりこっちがいいわね」


ターシャは魔女が選んだ緑の物ではなく、薄桃のドレスを魔女へ寄越した。着ろということなのだろうが、首を傾げずにはいられなかった。そして、人間とは、意味のないことを尋ねるものなのだと魔女は覚えておくことにした。


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