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Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで  作者: 瑞月風花
第二章 消えゆく過去の澱みの中で
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ディアトーラと魔女・・・1

 小鳥が囀り、風が窓を叩く音がする。壁には大きな絵が飾ってあり、ベッドに頭を預けて眠っている昨日の男の子が描かれていた。いや、描かれている彼は、ここで眠る彼よりもずっと年長者かもしれない。黄土を思わせる髪に青い瞳は同じだが、魔女の前で眠っている彼は絵程の厳格さを持っていない。魔女は足の痛みを感じながらも彼を起こさないように、そっと起き上がり、彼の顔をまじまじと眺めた。深い、深海を思わせる青い目だったはずだ。魔女はその目を知っている。どこで見たのだろう。メデューサのいる『目屋』だっただろうか。アシラのいる『染織屋』だっただろうか。しかし、長い睫の瞳は閉じられたまま開かない。


 部屋の中は白い小花が描かれたクリーム色の壁に、丸みを帯びた木肌の白い家具が揃えられていた。目を凝らせば、その家具にも線の細い花が丁寧に彫られていたり、金箔が嫌らしくなく添えられていたりとかなり手が込んでいる。


 穏やかな光を取り込んでいる窓には細かいレースと、束ねられた緑青のカーテンがある。そのカーテンにも薔薇の花が同色の刺繍糸で織り込まれており、これもまた落ち着いた趣を部屋に与えていた。そして、また金縁の絵画に視線を戻し、その隣にある扉を飛び越えた。


 扉右手奥には空っぽの白磁の花瓶があった。薄い緑の葉と弦がその底から筆を走らせるようにして描かれている。印象として花模様の多い部屋だ、と魔女は思った。きっと、彼の部屋というわけではないのだろう。そして再び額縁を眺める。あの金縁の絵だけが部屋にそぐわない。


 一通り部屋中を眺めまわした魔女は一先ず胸を撫で下ろす。少なくともこの部屋には魔女を傷付ける物は見当たらないようだ。


 安全を確認した魔女は、再び彼に目を遣った。領主の息子だと言っていた。青い深い海を思わせる瞳はまだ閉じられている。もう一度開いてくれないかな、と思っているとせわしく扉を叩く音が響いた。同時にその目が開かれた。魔女は慌てて布団の中に潜り込んだ。全てを静寂へと導く青だった。




 ルオディックの視線の先には慌てて布団に潜りこむ魔女の姿があった。元気になったんだ、と安堵する暇もなくターシャの声が扉の向こうから響いてきた。


「ぼっちゃまっ! お開け下さい。坊ちゃま、いらっしゃいますよねっ。どうかお返事を」


ちゃんと横になって眠らなかったせいか、どことなく体がだるい。グイッと背筋を伸ばしたルオディックは、その心配性のターシャを納得させるために扉へと向かった。


「何だよ、朝から騒がしい」


服を着替えさっぱりしたターシャと違い、ルオディックはグズグズな感じだった。


「何だよ、じゃ、ありません。魔女はどう……」


ルオディックを飛び越えたターシャの視線はこんもりと膨らんだ掛布団に注がれているのだろう。振り返っても同じ状態。魔女が隠れている場所がこんもりとしている。


「坊ちゃま、お一人で危のうございますわ。もし襲い掛かって来たらどうなさるおつもりです?」


ターシャが立居を正して説教体勢になっていた。もし襲い掛かってきたとしても、足が悪い魔女一人だろ? どうにでもなるさ。しかし、そんなルオディックの声を真面目な顔をしているターシャを前に出すことは躊躇われた。とにかく黙っているのが得策だ。ここは素直に謝ろう。ルオディックは打算の上の素直を実行するために、ターシャと目を合わせた。


「魔女を見縊ってはなりません」


「心配かけて申し訳ない。僕が悪かった」


意外にも素直なルオディックにターシャの勢いが止まった。まるで豆鉄砲を喰らったようだ。ルオディックだって、いつまでも小さな『坊ちゃま』ではないのだ。


「いえ、分かって頂いているのなら、何も言いません」


素直に謝り、睡眠不足のルオディックが黙って立っているのをかわいそうに思ってくれたのかもしれない。本当にターシャはそれ以上何も言わず、軽くお辞儀をした。そして、いつも通りに戻る。


「朝食の準備が整っております。どうぞお越しください」


「ありがとう」


ルオディックは静かに魔女を見た後、まずは自室へと戻り、服を着替えようと思った。


 とりあえず身だしなみは整えておかないとターシャがうるさい。


 領主たるものは……、お父上は……、坊ちゃまっ!


 耳の奥でターシャの声が響いた。いつまで坊ちゃまなのだろうか。呼ばれていてしっくりこない。しかし、だからなのか、ターシャはルオディックが『おれ』と言うのを嫌う。


 食堂の扉を開けると軽くお辞儀をするターシャが目に入り、その後すぐ嫌な者の影が目に入った。


「なんでお前がいるんだよ」


にたりと笑ったダルウェンがさも当たり前のようにお辞儀した。


「どうしてと申されても、領主様不在なのですからルオディック様に御付きするのが道理でございましょう」


「道理なんてないだろ」


「いえ、私も旦那様がいないと暇なのです。坊ちゃま、どうぞお気になさらず」


「そうですよ。坊ちゃま。お食事はたくさんで食べた方が美味しいものですよ」


この顔ぶれで美味しい訳がないだろう? だいたい余計に不味くなるに決まっている。そう思いながらもルオディクは素直に席に着くしかなかった。新鮮な葉野菜と煮豆が焼き立てのパンの上に載せられているオープンサンドとひよこ豆のスープ。リディアスでも他のワインスレー領地でもおそらく食べることの出来ない一品だ。まず、葉野菜など出て来ない。ルオディックは粗相のないようにナイフとフォークを操ってオープンサンドを食べ始めた。美味しいはずだ。しかし、ダルウェンが目の前で目を皿のようにしているため、味がしない。


「ダルウェンも、よかったらターシャも一緒にどうだ?」


「いいえ、滅相もございません」


「領主様と同じ食卓だなんて、恐れ多いことにございます」


当たり前のように二人揃って否定された。どうせ、領主として認めていないのならばそんなに否定しなくても構わないはずなのに、こんな時だけルオディックを領主扱いする。領主としての権限なんて全くないのに、見張られる。ダルウェンとターシャはこの後、同じ物を食べるのだろう。だったら、今食べたって問題ないはず。そして、鼻で溜息をつく。諦めるしかない。二人揃って頑固者だ。何を言っても何かが変わることはないだろう。


 ところで、あの魔女は……。あの魔女には朝食を届ける気があるのだろうか。いや、ない。ダルウェンは魔女にやる物なんてないと言いそうだし、ターシャは魔女を怖がっている。


「これ、まだあるのか?」


ターシャが珍しそうにルオディックを眺めた。


「どうなさったのです? 珍しい」


「あぁ、魔女に持って行こうかと思って」


ごくりと唾を呑み込んだターシャに代わってダルウェンが返答した。


「あの者は一刻も早く森へ返した方がいいと思われます」


「返すったって、あの怪我でか?」


「魔女の薬は人間のものと違い、効果は尊大です」


ダルウェンの落ち着いた声がルオディックの癪にさわった。


「まだ魔女だって決まった訳じゃないだろっ」


魔女だと決めつけてくるダルウェンに対してつい大きな声を出してしまったルオディックに、ダルウェンは更に落ち着き払って返してくる。


「ですが、坊ちゃま。百歩譲って森の向こう側から歩いて来たのだとして、あんなにきれいな状態だと思われますか? あんなに軽装備で、しかも裸足でございます。あんな少女が歩いてこれるほどときわの森は安全だと思われますか?」


ダルウェンを真正面から睨んだルオディックは、そのまま口を噤んだ。言葉は丁寧だが、ダルウェンには父と同じ厳格さが備わっている。長年勤めれば似て来るのだろう。それが苦手だった。ダルウェンは父よりも年長であり、皺も深く、日に焼けて逞しく見える。剣術なども父と肩を並べるのだから、見かけは嘘じゃない。だから、余計に迫力もあった。もちろん、それだけがルオディックの言葉を止めた理由ではないのだが、それ以上反論は許されない雰囲気を彼は十分に作り出していた。


 彼女は森からやってきた。そして、森へ帰ると叫んだ。森の中、ゴーギャンに会うまでに、魔獣に襲われなかったということが、それを物語っている。ダルウェンは間違っていない。自分の感情を押し付けているのはルオディックの方だ。


「坊ちゃま、お食事は私が持ちますので、どうぞご心配なく。ひよこ豆のスープをすぐに用意します。ダルウェンも心配しているのでございますよ。ここはディアトーラ。リディアスではございません」


申し訳なさそうなターシャの声が小さく響く。


「悪かった。大声出して」


ターシャもダルウェンも魔女を怖がってそこまで言っているのではないことくらい分かっていた。領民はいざ知らず、彼らはルオディックの身を案じてくれているのだ。しかし、ルオディックはもう一度念を押していた。


「だが、まだ、魔女だって決まったわけじゃない」


それは、ダルウェンに向けた言葉ではなかった。多分、ルオディック自身に呑み込ませようとした言葉だ。そして、どうして、そこまで自分自身がこだわりたいのか、分からない。


「ダルウェン。坊ちゃまのおっしゃることは正当です。真っ向から否定しても通らないということが道理ではありませんか?」


それは何かを呑み込んだような響きだった。そして、それはルオディックを冷静にもさせた。


「……そうですね。ルオディック様、申し訳ありませんでした」


「いや、ダルウェンの忠告は正しい。ダルウェン、ゴーギャンに事情を訊きたい。もし魔女だとすれば、怪我をさせたということこそ大変なことだろう? 都合付けるように言っておいてくれ」


父なら、まず魔女を庇う前にしたことだろう。ルオディックだって分かっているのだ。ここに魔女が下りて来るという意味も、魔女を怒らせてしまったらどうなるのか、ということも。だから、魔女を鎮めるためにここの領主が存在する。リディアスの脅威を恐れているのは領主だけで、領民達はただ魔女を恐れている。理由は、この土地自体が魔女に捧げられる場所だからだ。


「分かりました」


 ディアトーラの領主館の周りには、黒い鉄門がくるりと巡らされている。森に入るには領主の庭を通らなければならないし、森から逃げたくても領主の庭を通らなければならない。もちろん、森全てを囲っている訳ではないので、森さえ抜けることが出来れば、その鉄門も意味すらない物になってくるのだが、リディアスでさえ二の足を踏む森の中を、案内人なしの彼女が一人で歩いてくるということ自体が、奇跡よりも必至であったとしか考えられないのだ。



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