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Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで  作者: 瑞月風花
第二章 消えゆく過去の澱みの中で
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薄れゆく記憶の中で・・・2

 キラはマルゴをときわの森に案内した。いいや、違う。マルゴがキラにとっての招待状になるのではないかと期待した。そして、その日はディアトーラらしい雨がときわの森を濡らす静かな朝だった。


 招待状だったのかもしれない。しかし、違ったのかもしれない。キラとマルゴは確かにワカバに出会った。だが、ワカバはキラを拒絶した。


「どうして来たの?」


 そして、「来ないで」と。


 マルゴはキラの渡した薬入りの手紙を持って、逃げ出したワカバの背中を追い掛けた。「来ないで」と言う言葉に歩むべき道を失ったキラは、しばし、動けなかった。動いていいものだろうか。進んでいいものだろうか。そんな葛藤を胸に抱き、佇んだ。ミスティの言葉が脳裏を掠めなければ、動けぬまま時を過ごしていたかもしれない。


 キラは、わずかマルゴに遅れてワカバを追いかけた。


 一緒に追いかけたはずのマルゴは、ときわの森から出て来なかった。キラは、また吐き出された。


 六日目、チャックが来た。


「ルオディック様、良いお天気ですね。お父上から引き継がれた仕事はいかがですか?」


チャックの涼しげな微笑みにキラは凍りついていた。


 イルイダの存在が消えていた。姉上から引き継いでいたはずの領主代理の仕事。イルイダがチャックの中から、領民の中から消えてしまったのだ。そして、嫌な夢を見はじめた。朝、キラが起きて窓から射し込んでくる光は、ディアトーラに似つかわしくない、穏やかな光。それがあの日を除いて一週間続いている。


 長い廊下を進み、食堂の扉を開く。表面を綺麗に磨かれてある栗皮色の長いテーブルが占める食堂。キラの座る斜向かいにはミラ、長い食卓を縦に挟んで正面にはミスティがいた。


 キラは、食卓を挟んで座るミスティに目を凝らした。彼女が魔女と言われる所以は知らない。しかし、その雰囲気は誰よりも『魔女』だった。


 漆黒の髪に闇のような瞳、蒼いとも取れそうなくらいに白い顔には不気味なくらいに赤い唇がある。ただ、距離があり、細かい表情はつかめない。キラのそばには彼女の娘であるミラがいる。これも異母兄弟だと言われているが、全くしっくりこない。母譲りの黒髪は短く切り揃えられていて、おそらく父譲りであろう青い瞳は、キラと同じ深い色をしていた。そして、キラがこの領主館に来てから彼女の声を聞いたことがない。元々そうなのか、キラがいるからなのかは知らないが、この喋らないという点ではワカバで免疫があったため、魔女とはそういうものなのかもしれない、という確信をキラは深めたくらいだった。ただ、ミラを見る度に、姉であるイルイダもキラに対し同じような感情を抱いていたのだろうか、という疑念が深まる一方だった。


 妹だと言われてもしっくりくるどころか、どんどん遠くに感じてしまう。


 ミラはほんの少しのパンを何十分もかけて食べる。それを放って出て行くと、慌ててキラの後についてくる。そのため、ミラを待つことがキラの日課の一つになっていた。特別に急ぐ必要もないのだ。それは、諦めによく似た感情であることを、キラは知っている。しかし、キラは誰よりもこの状況を恐れていた。


 今ここにある過去は、全て紛い物だ。それなのに打つ手がない。


 キラは領主として存在してはいけない者であり、イルイダこそが領主の座にあるべきだった。魔女狩りに熱心になった父を殺したのは『キラ』なのだ。ワカバが願いを叶えないのなら、母の願いを叶えないのなら、魔女の娘を父から護らなければならない、と思った。あの時、父の刃がキラの右上腕を切ったのだ。キラは迷うことなく父の首を狙っていた。父の声が、あの時の解放されたような父の表情が今もキラの五感に染みついて、忘れられない。


「慌てなくても、時が来れば向こうからやって来るわよ」


ときわの森の魔女に会うためには、魔女に招待されなければならない。ミスティが慌てるな、と言っても、もう限界だった。焦るなという方が難しい。


 ルオディックは一人息子であり、早くに妻を失ったビスコッティの後添えとしてミスティがやって来た。父はリディアスへと呼び出されていて、留守だという。キラは領民達の変化する情報に合わせながら、魔女が来るのを待っていた。それはミスティの慌てなくても時が来れば向こうからやって来る、という言葉を信じたからだ。信じるしかなかった。しかし、未だにミスティの言う、招待状は届かない。夜、夢を見るように過去が今を呑み込んでいくのだ。明日の朝起きれば、キラの記憶は捻じられているかもしれない。既にキラは、何が事実で何が幻想なのか分からなくなっている。


 マルゴ達が来る以前からキラの記憶はどんどん頼りなくなってきていた。朝起きて、ふと自分がキラであるということを忘れていることもあった。首を捻り「一体何を慌てていたのだろう」と考え耽ることもあった。そして、イルイダの存在が消えてからの二日、夢に魘されて飛び起きる。


 キラがワカバを殺す夢だ。


「魘されているようね」


ミスティがお茶を飲み終えたようで、キラを眺めて、珍しく話しかけてきた。ミラは最後の一切れを口に放り込んだところで、ミスティの声に驚き、怯える。ミラが怯える理由ははっきりしないが、ミスティの醸し出す独特の雰囲気から、キラにも共感することができる。そして、ミスティもまた人の心を読む。これに免疫が付くことはないだろう。ただ、ラルーよりもより自然に読まれているせいか、それほど気分の悪いものでもなかった。


「あぁ、嫌な夢だ」


「そう」


何事か考えるような雰囲気で、ミスティが空を見上げた時に館の扉が叩かれた。毎朝の出来事だ。毎朝誰かが扉を叩き、それにミラが応えるようにして扉を開けに行く。大概がここの領民であり、万屋チャックの報告である。喋らないミラだけに応対をさせるということにもならないので、いつもキラが付き添うのだが、どうしてか、今のミラはミスティの顔を穴の開くほどじっと見つめるばかりだった。急がせればパンを喉に痞えさせてしまうかもしれないし、暇を持て余しているキラにとってそれは、特別ミラに任せなければならない仕事でもなかった。


「出て来る」


領民の相手をした後は、再び過去探しで過ごすしかない。ときわの森へ足を踏み入れても魔女に会うことなく、迷うことすらせずにここに戻されてしまうのだ。


 キラが食堂の扉に手を当てた時、ミスティの声が背中に響いてきた。


「今、あなたが望んでいることを忘れないことね」


それはキラが領主館の扉を叩いた日にミスティが言った言葉と同じだった。望み、といっても何を望めばいいのか分からない。振り返ったらミラの視線とぶつかった。


「心配するな。ゆっくり食べてろ」


ミラが頷いたかどうかキラは知らない。扉に視界が閉ざされ、キラは扉の外へと出て行った。そして、人騒がせな領民を相手するのだ。


 人騒がせで臆病な領民の勘違いは、キラが来る以前から毎日のようにあった。例えば、旅人を魔女だと言ってみたり、運が良過ぎるので、魔女がそれを阻止しに来るかもしれないと言ってみたり。子どもが病気なのは、魔女がその子を欲しがっているからではないだろうか、と言ってみたり。


 子どもの場合は丁寧に話を聞いた後、医者を呼び、旅人の場合は領主館で一晩過ごさせ、次の日に出て行ってもらうようにしていた。運が良過ぎる時は、敷地内にある教会で許しを乞うて頂いた。


 それは姉がいた頃からずっと続いていたことで、それをミラとミスティが引き継いでいた。キラはそれを準えて過ごしただけなのだ。


 夜、横になったキラはふとミスティの言葉を頭に過らせた。あなたの望みを忘れないこと。あの時、キラが願った「お姉ちゃんを護ってあげて」という願い、これは母の願いだ。母は姉のことを心配してルオディックによくそんなことを言っていた。幼いキラはそれが当たり前のように思って過ごしていた。例えば、キラが何かを望むのなら、今何かを望むのなら……。

 

 姉を元に戻すこと。そして、ワカバが消えないこと。キラが『キラ』として生きていくこと。


 ふと、ミスティとミラに朝から出会っていないということに気付いた。いくら姿を見ない日があったとしても、こんな日は初めてだった。しかし、襲い掛かる睡魔がキラの意識を無残にも呑み込んでしまった。

 




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