薄れゆく記憶の中で・・・1
ディアトーラ領主の館。ミスティは時が来るのをただ見つめていた。心待ちにして待っていた、という訳ではない。ただ、その時が来るのを、まるで、津波に襲われるのを知りながら海辺で立っているようにして、その時を待っていたのだ。
彼女は彼女の娘達を思い、安らかに微笑んでいた。きっとトーラ最初の娘『アナ』が求めたことはこのようなものなのだろう。あの時トーラはそれを叶え切れなかった。その望みを叶えたとしても、それはトーラの創る世界なのだ。
アナは言ったのだ。
「こんな世界いらない。お前なんかいらない」
世界がトーラから離れ、娘たちが生きている。そう思うと、ミスティの心は穏やかだった。
扉が叩かれた。その扉を叩くは本来の領主跡目。マイラが罪。
その彼が魔女に懇願する。
「魔女のお前なら知ってるんだろう? なぁ、どうすれば、ワカバに会えるんだよ……教えてくれよ……」
ミスティの両腕を掴んだまま、話す相手の目を見ることすら出来ないくらいに、彼は項垂れていた。
「時が来れば嫌でも会えるわ。だから、あなたの願いを考えておきなさい」
ミスティが答えた。そして、キラはまるで気を失うようにして、深い眠りに就いた。それは今までにない深い眠りだった。
現時点でのリディアス王は、グラディールだ。もちろん病弱なんかではない。賢明な王で有名であり、リディアスをさらに発展させるであろう王だが、魔女狩り推進派でもある。そして、その彼の前に銀の剣を持つ女が現れた。
国士無双の王アーシュレイが魔女を討ったとされる幻の剣である。
それは少なくともキラにとっての吉報ではない。
リディアスに現れたという銀の剣を持つ者の容姿を聞く限り、彼女はラルーに違いないが、その女は『ルタ』と名乗っていた。もし、ラルーが看視役なのなら、彼女の記憶は変わるはずがない。その名の意味するところはなんなのだろう。あの女のことだ、きっと何か意味がある。
キラがディアトーラ領主館の扉を叩いてから一週間が経っているはずだ。もちろん、何もせずに領主の務めを繰り返していたわけでもないし、すぐさまここの扉を叩いた訳でもない。ただ、どうしようも出来なかったのだ。頼りの綱として叩いた領主館でも、毎日同じ不安を抱え、同じ朝日を眺めて起きるだけになった。
そして、食堂に向かうとミラとミスティがいる。二人は静かに硬いパンを食べ、水を飲む。キラも用意されている同じものを口にする。すると、領主館の扉が叩かれるのだ。
ルオディックとしてここに滞在することを決めた一日目の来訪は、万屋のチャックだった。チャックはキラの幼馴染でもあり、低級学校の先輩にもあたる。そして、一つ上で、イルイダの後輩。しかし、彼はイルイダの話を避けようとした。
「ルオディック様。姉上様のことはお気の毒ですが、もうその話はよしましょう。ルオディック様にはイルイダ様が為すべきだった仕事を引き継いで頂かないといけません」
魔女を畏れる一人としてではなく、ルオディックのことを気にする友人としての助言だ。ここに辿り着いて初めの一週間、領主館に入りもせず、ときわの森に入り続けていたルオディックを影から心配していたのだろう。
そんな風に心配される理由があったのだ。
姉が父を呪い殺したという過去が広まっていたのだ。父は喉を掻きむしりながらも姉の足首を掴んだ。
誰も異議を唱えなかった。その姉は魔女罪で磔になった。そして、残っていたのが後妻のミスティだった。そして、息子であるキラ、いやルオディックは悲劇の真っただ中にあり、領民達は彼を迎え入れる際に多大な同情をくれたのだ。
おかげでキラはディアトーラ領主の息子として、なんら問題なくここに居座ることができている。
たった二週間だ。キラがディアトーラに着いてわずか二週間。当時というのにも恐れ多い短い時間だが、当時キラはリディアスに留学していたここの息子で、イルイダはここの娘であり、領主を務めるキラの姉だった。
二日目と三日目は村人が扉を叩いた。一人目は子どもが病気だということだった。医者に見せればいい話なのだが、彼は医者に子どもを預かってもらった後、ここにある教会に祈りを捧げに来たのだ。
二人目は結婚が決まり、その上、実りの多い畑をもつ村人だった。運が良過ぎるという理由からだった。
二人とも同じく魔女を畏れて祈りを捧げ、赦しを請いにきたのだ。
四日目は、パルシラとマルゴが現れた。
キラにとってそれは大きな変化だと思われた。もしかしたら、ミスティの言う魔女からの招待状というものに、彼らがなるのかもしれないという期待も抱いた。
彼らはキラが為し得なかった『魔女に会う』ということを為し得ており、さらに、あのシルク婆の孫娘ルリがいなくなったことも教えてくれた。
「あの魔女がここにルリを存在させるための鍵があると言ったんだ」
マルゴが言った。
キラは何かが動いたと感じた。だから、ワカバの手紙を彼らに託したのだ。しかし、翌日パルシラが消えた。いや、消えたのではなく、一人で館から出て行ったのだ。おそらく、キラの素性を知るパルシラにとって、キラは信じるに足らぬ人物だったのだろう。
これが五日目の朝の出来事だった。




