時は儚く散りにけり・・・2
薄っぺらい扉を隔てて、からからと音を立てる回転椅子に腰を掛けていたのは、ランドだった。キラはどこか意外そうにしながらも、彼を凝視した後、一礼した。いや、意外ではない。頭をあげたキラがそう思い直した時には、ランドが話しかけていた。
「いやぁ、お久し振りです。まぁ、そこに掛けてください。しかし、自分が悪いなんて殊勝なことを言うようになったものですね」
ランドの指し示した椅子は簡素な椅子で、彼はキラが座るのを待って話を続けた。しかし、キラに口を挟む隙は与えない。もしかしたら、キラが話さないことを知っているだけかもしれない。ただ、キラにとって厄介な情報を齎そうとしていることだけは確かだ。
「ちゃんと自己紹介させて頂きましょう。私は国立研究所所長のランド・マーク・フィールドです。会うのはもう数回に及びますね」
「そうでしたね」
面倒くさそうに返事をしたキラに対して、ランドはまるで気にせず、にこやかに話し始めた。
「色々と呼び名はあったようですが、今のあなたはどれにも当てはまらない。だから、代わりに私があなたの身元を照会しましょう」
ランドは嫌に勿体つけて微笑んだ。きれいな微笑みではない。何かを企むような、何かを含んでいるような厭らしいものだ。キラは黙ってランドを凝視した。
「そんなに怖い顔しないでください。だいたい、約束を守れなかったのはあなたでしょう?」
それは、スキュラで言われた「ワカバを護れ」というあの意味の分からないものを指すのだろう。確かにその言葉は聞いたが、キラは約束なんてした覚えなんてなかった。それに、約束と言えばランドだって約束を破った。
「そっちだって、邪魔しないって言ってただろう」
それはキラ自身でも驚くほど不貞腐れた声だった。期待も何もしていなかったはずなのに、どうしてこんなにも腹が立つのだろう。
「積極的な邪魔なんてしてませんよ。あれほどの騒ぎにリディアスが関わらない方がおかしいでしょう? それに私にだって立場がありますからね。だから、あなたを釈放することだって出来たんですよ。結構手間が掛かってしまい、二か月も経ってしまいましたが……。時間も記憶もどんどん過ぎていくというのに、本当に焦りました。そこで、あなたの名前です。あなたは今、ディアトーラ領主の息子であるルオディック・w・クロノプスという人物です。もちろんこの名前には心当たりはあろうかと思いますが、……」
ランドはさっきと同じ微笑みでキラの顔色を窺う。キラの頭の中では「どういうことだ」という言葉が廻った。いや、リディアスが調べ上げたから、その名前が出てきたのかもしれない。無暗に否定も出来ない。だから、キラは黙って様子を窺った。どういう経緯でその名前を知ったのか。言い訳をするにも、見極めた上での言い訳が必要なのだ。
「とりあえず続けます。そして、何かあれば質問してください」
キラは慎重に頷いた。そして、ランドがそれに呼応するように喋る。その内容はキラが脳裏に浮かべていたことをすべて否定するものだった。
「これはリディアス総出で探り当てた名前ではありませんよ。それと情報屋なども絡んでいません。これはあなた自身が名乗り、あなたがここの学校を卒業するまで使っていた名前なんです。正式な入学のための書類もあります。リディアス国立学校に入学する際には何が必要か。それは、信頼のおける者の名。そこにはワインスレー領主であるビスコッティ・w・クロノプスの名がありました」
「何を言って……」
キラは言葉を止めた。確かにルオディックはリディアス国立学校へと進学する予定だった。しかし、入学以前に魔女狩りがあり、ワインスレーの学校すら卒業しなかったのだ。だから、そんな推薦状存在するわけがない。しかし、ランドに限ってそんな虚偽を公明正大に言うはずがない。何かある。だが、キラにはその何かが分からない。いや、気付きたくなかったのかもしれない。だから、キラは冷静を装う。
「信用ないですね。もちろん、今回の件ではこの名前であなたは捕まっていませんよ。あなたは今現在、メイで捕まっています。だけど、ルオディックと言う名前が出た以上、メイに偽りがあるとしか思えなくなるんです。全く、これじゃあ、あの時殴られた意味がありません」
ランドがため息をついた。これは何に対するため息なのだろう。ランドがため息をつかなければならないことなんて全くないはずだ。別に好き好んで殴ったわけではない。あの時は殴られて魔女を逃がしてしまったとしてくれと頼まれたのだ。確かに手加減はしなかったが、言いがかりもいいところだ。
「今は混乱期のようで、あなたが家出をしたというところは変わっていないようです。そうでないと傭兵なんて立場でリディアスに兵役を志願することはなかったでしょう? まずご両親が反対なさったでしょうし、メイ・K・マイアードなんて名前で傭兵登録する必要もない」
一体ランドは何を言っているのだろう。キラの両親は既に死んでいる。キツネにつままれているのだろうか。それとも与太話に付き合わされているのだろうか。キラは全くの事実無根である話を真剣にしているランドを見つめて動けなくなっていた。
「私達は元々未来への変化を日々感じて生きているわけではないでしょう? 子どもの成長が良い例です。いつの間にか何かが変化して、いつの間にか大きくなっていたような……。同じように過去が変わっていってるんです。一人息子の帰りをきっと待っているのでしょうね」
ランドの真剣な表情がサングラスの奥から窺えた。キラは自分自身に言い聞かせる。これは、キラをはめるための罠だと。しかし、ランドはいったいキラに何を吐かせたいのか。自身が牢獄から自由にした相手だ。吐かせるのなら、牢獄内でよかったはずだ。その方が都合よく事が運ぶ。
「ちょっと待てよ。何勝手なことばかり言ってるんだ? だいたいなんだよ、ルオディックって」
堪らず叫んだ言葉にランドは暗い影を落とした。
「勝手なことにはならないんです。あなたはディアトーラの一人息子であり、その領主夫妻に訃報の事実はない。存在が確認されたわけではないので、まだ確定していないのかもしれません。もしかしたら、消えた存在を戻す作業は思っているよりも時間がかかるのかもしれません。しかし、確実に過去は歪んできています」
ランドの空笑いが虚空に響いた。違う。ランドはキラに何かを吐かせたいのではない。キラに気付かせたいのだ。キラが感じている違和感が今どうしてランドから齎されているのかを。
「おかしいだろ?」
しかし、ランドは落ち着いていた。
「おそらく、今、世界中の人を集めれば矛盾だらけの答えが返ってくるでしょう」
「でも、ワカバは……一緒に、いたんだ。おれはちゃんと覚えてる」
例えば、本当にワカバが時の遺児であり、トーラを持つ過去を持たぬ者だったのなら、全てが失われて然るべきだ。それなのに、キラは自分のことを今も『キラ』だと感じているし、ワカバがいたことも覚えている。何よりも、今ここでランドがキラにワカバのことを話しているではないか。
キラの感じる変化はあまりに歪だった。
「おかしいのは、今まであった『今』だったんです、きっと。ワカバさんが生まれた時点で、世界はワカバさんと共にあった、ということは、あの時点で銀の剣が使われなければならなかった、ということです。私はラルーさん自身が勇者だったのではないかと推察します。ラルーさんがトーラの看視者だったのならば、世界を護るのが彼女の務めですから」
それなのに、ラルーはそれをしなかった。そうだ、ラルーは看視役を一度放棄したと言っていた。
「どうして、ラルーはワカバを放っておいたんだよ」
「さぁ、分かりませんが、私が調べた限りでは、あの日銀の剣を持っていたのはラルーさんではありませんでした。ラルーさんは、単なる剣を持っていたんです。彼女の呼び名は死神です。世界を滅ぼす魔女。その通りだったんじゃないでしょうか? ラルーさんはワカバさんと共に世界はあるとおっしゃっておりましたから」
かつての上司へ対するランドの口調は冷たく響いた。しかし、その口調はまるで台詞のように用意されていたもののようだった。ランドの表情は眼鏡の後ろに隠れて見えない。
「……ワカバは生きているのか?」
ランドが静かに微笑んだ。世界と共にある魔女なのなら、生きているのではないだろうか。
「確かめようがありません。でも銀の剣を持った勇者は現れていないこととまだ世界は崩壊していないということは確かです」
キラは一息の間考えたが、答えはすぐに出すことが出来た。
「生きている……」
キラは肯定した。銀の剣が使われていないにもかかわらず、『今』が崩壊もせずにあるのだ。これは、ワカバが紡ぐ未来の一部。ランドが微笑んだ。
「同じ意見で安心しました。おそらくそれが正解でしょう。一つお聞きしたいことがあります。もちろん、ディアトーラ領主嫡男としてお答えいただきたい」
もやもやとしたものをすべて吐き出すように、キラは深く息を吸い、吐き出した。キラが納得しようがしまいが、ランドがそう扱うということは、そうあって然るべき態度で接せなければならないのだ。たとえ、嘘八百が並べられているのだとしても、罐をかけられているのだとしても、信用するしかない。結局は腐ってもリディアス国立研究所所長はそれだけの権限があり、これ以上ごてたとしても、何もいいことはない。
「……分かりました」
ランドの安心した微笑みが見えた。もし、その自身の表情がキラ自身に見えていたのならば、ランドの前にいるその青年は、若かりし頃のディアトーラ領主ビスコッティに瓜二つだと気付いたかもしれない。
「銀の剣は何を護っているのですか?」
キラは答える。あれは、特別な時の遺児を護っているのです。
「特別な、とは?」
「それは、トーラの娘達とその子孫のことだとされています。しかし、私も幼かったため、詳しいことは知らされておりません」
時の遺児である母と姉の存在を。だから、母はルオディックに願ったのだ。『お姉ちゃんを護って』と。それは、魔女に願え、と示唆するものであるとともに、叶わぬなら銀の剣で彼女たちの存在した世界を護れということも含まれていたのだろう。
キラはランドにそのことを伝えなかった。領主として話すのならば、それは、ディアトーラにとって危険極まりない事実なのだ。それに、領主嫡男としての意見を求めたのだから、ディアトーラに不都合なことまで聞き出そうとしていないのも確かだ。だから、ランドは納得して口を開いた。
「では、まず消えてしまった人々からお話ししましょう。今、この時の中で、『ワカバ』という魔女がいたということを覚えているのは、おそらくあなたと私と、ラルーさんくらいです。あなたがその名前を呼ぶことでやっと私の記憶に確実性が出て来る。ラルーさんが何を思っているのかは知りません。だけど、もし、私なら、幼いワカバさんに銀の剣を突き立ててまで、この、あなたには申し訳ありませんが、あなたのお姉さまがいるこの世界を護ろうとは思わなかったかもしれません。だって、この世界は私の妹を殺した世界ですよ。私だったら、まぁ、世界を滅ぼそうとは思いませんが、新しい世界に書き換わるのならば、こんな世界に未練はありません。だから、あの時、ラルーさんが踏み止まったお陰でこの世界は救われているのです。しかし、再び時は動き出した。確実に新たな時が流れ始めています」
まるで、昔話を言い伝えていく語り部のように、静かな口調だった。その話の間はまったりとした空気が支配して、時を感じさせなかった。加えて、ランドの語る内容はキラの思う内容とほぼ一致していた。おそらく、それが事実なのだろう。キラはゆっくりと噛みしめるようにして、その内容を自身の記憶と照らし合わせていた。
そう、ワカバは望まずしてトーラを持つ時の遺児。最悪の極みはキラの過去を含め全てを描き変え始めているのだ。
そして、キラはルオディックとして釈放された。それは、キラにとって許されないことだった。
真っ赤に染まった太陽が名残惜しそうに最後の一光を地上に留めているところだった。ちょうど、あの酔っ払いが蹴り飛ばしていた辺りだ。キラはそこに立っていた。あれが沈めば夜が来る。そして、その光を背負い、何も知らない警備衛兵が歩いて来ていた。
キラはその何も知らない警備兵とすれ違うようにして、歩みを進めた。向かう場所は、全てが始まったと思われる場所だ。
トーラは人々の幸せを叶えるために存在した。そして、より深い望みに引き寄せられる。例えば、あの日、まだ生まれもしない娘のために世界を望んだ母がいたように。
例えば、あの日、運命によって消し去られてしまう娘のために生まれたものを犠牲にしようとした母がいたように。
人はいつもトーラを望むことを止めようとしない。
そして、娘はそんな世界にもトーラにもうんざりしていた。全てを消してしまいたいと願った。
第一章『儚い記憶の物語』はこれで終了です。次話からまた新しい章になります。第二章部分はまだ見直したい部分があるので、少しお時間を頂ければと思います。
拙い文章にお付き合いくださりありがとうございました。これに懲りず、次章からもよろしくお願いいたします。
皆さまのご健勝、ご活躍お祈りしております。
瑞月風花




