リディアスの傭兵・・・3
しかし、だから研究所副所長の耳にまでそんなことが届いたのだろう。野良犬を保護して、衛兵犬として訓練している変わった奴がいると。
もともと副所長は変な奴だと噂されている人物であった。だから、犬を連れて城壁回りなんてしていたものだから、その変人に声をかけられたのだ。いつもするように会釈をして通り過ぎたはずなのに、今日に限っては踵を返してまでついて来てしまったのだ。その彼の行動にキラは最悪の状況を思い巡らせながら、副所長から声をかけられた今の自分の置かれている状況を考えあぐねいていた。
「その犬、どうしたんですか?」
あまり関わりたくない人物だった。へらへらしているくせに、何となくすべてを見透かすような雰囲気を持つ男。どんな言葉でも信じてしまいそうなくせに、全てを疑ってかかるような性質。そして、研究所長官を務めていたランネルが失踪してから魔女と言われるラルーに押されて副所長になった男、ランド・マーク・フィールドだ。そして、彼はキラが答える前に次の言葉を紡いだ。
「よく懐いてますね。いつから一緒に城壁周りをしているんですか?」
まったくお喋りな奴だ。これはキラの素直な彼に対する感想だった。しかし、何度かすれ違っているはずなのに、どうして今はこんなに話しかけてくるのだろう。やはり、犬のせいだろうか。不思議に思っていると、またもや先に言葉を発する。
「知ってますか? あなたが毎日回っているこの塀の中に、世界を恐怖に陥れる、あなたと同じくらいの年齢の魔女がいること」
そして、やっとキラが言葉を紡ぐ。キラの正体について当たり障りのない、当然の言葉だった。
「いったい、何の用ですか? だいたいここに勤め、相当な役職にあるあなたが魔女について軽々しく話すということに問題があると思いますが?」
キラはその言葉の後、彼の様子をしっかりと見つめ、観察した。しかし、黒い大きなメガネに覆われた顔にある表情と言えば、そのへらへらとしている口元だけで、考えまでは掴みにくい。
「でも、あなたはまだ私の質問に一つも答えてくれてないでしょう?」
ランドは柔らかい表情のままキラに質問を重ねた。本当に彼が求めている答えは何なのだろう。キラにはまだ分からなかった。だから、迷惑しているということを伝えながらも、素直に答えておこうと思ったのだ。キラは片手を腰にあて、ランドを見つめた。
「答えればいいんですね」
それなのに、彼はそれを否定した。キラの疑問は膨らむばかりだ。
「いや、申し訳ありません。別に邪魔をするつもりはなかったんですが、魔女について何かご存知かと思いましてね」
「知っていますよ。だって詰所の奴らが毎日のように早く死ねばいい、極悪非道の手の付けられない魔女だと言っていますから」
キラは慎重に言葉を選びながら、事実を述べる。魔女がそこにいるということはリディアスに関わる人間である限り知っていてもおかしくない。ただ、その魔女がそこでまだ生きているという事実は周知されていない。巷で生きる人々はあの魔女狩りで捕らえられたその魔女はとっくの昔に処刑されたと思っている事項なのだ。生きているなんて露も疑わない。
何と言っても、研究所内にいる魔女は村一つ吹き飛ばし、一人生き残っていたところ、魔女狩り第二部隊指揮官だったラルーに捕獲されたのだ。本来ならそんな魔女が生かされるリディアスではない、ということくらい誰もが知っていた。しかし、実際それが誰の気まぐれか、ラルーの口添えかは分からないが、魔女は生きているらしいのだ。そして、そこの長たる人物がその事実を裏打ちする。罠と考えるのが普通だろう。
「その魔女に何かお詫びの品を送りたいんですが、何がいいと思いますか?」
そのランドの言葉に、早くこの無駄話を切り上げたいという気持ちがキラの中に湧き起こった。キラは魔女になんて関わりたくないし、そんなことキラの知ったことでもなく、考える理由もない。ただ、キラは今ここでこの傭兵仕事を辞めるわけにはいかないのだ。何と言っても直属ではないが彼はキラの上司でもあり、人事だって動かせるだろう。下手は打てない。とりあえず、ランドは魔女に詫びたい。だが、一般的にそれは変人と言われるか、磔にでもされるか、というくらい危険な言葉である。キラは事実だけを並べて鑑みる。
「魔女に詫びるなんてこと自体、理解出来かねますが、副所長の方がずっとよくお分かりになるはずではありませんか?」
「でも分からないから困ってるんですよね。同じくらいの齢のあなたなら分かるかと」
ランドは肩を竦め、困ったような微笑みをその唇に表わした。その様子から試しているということはないのかもしれないと、キラに思わせるが、油断はできない。
「参考にだけ教えてください。もし、あなたが私と同じ場所にいたならどうしますか?」
ランドはただ本気で魔女に詫びなければならない状況になっているのかもしれない。これが相手国ありきの詫びならば、それなりの手土産とそれなり得る約束を取りまとめなければならないだろう。しかし、相手はランドが言う限り、キラと同じくらいの魔女だ。キラの中でランドの変人さは更に深まってしまったが、人間としてはまだ踏み外していないのかもしれない。だから、キラは人としての基本を伝えることにしたのだ。
「そんなこと、出向いて頭を下げれば済むことでしょう。物なんて何でも構わない」
この後の流れで行けば、普通なら感謝の意を述べる、になっただろう。しかし、彼はキラの一瞬緩んだ緊張を急激に呼び戻す質問を投げかけていた。
「メイ・k・マイアードさん。本当の名前は何ですか?」
驚いて見つめたランドの表情は、おそらく好奇心という最も厄介なものだった。
「メイ・k・マイアード。それ以外に名乗る名などありません。仕事中なので失礼させて頂きます」
その言葉を最後に深くお辞儀をし、キラは振り切るようにして歩き出した。そのキラを追い掛けるようにして、犬が小走りしたが、ランドはそれ以上付いて来なかった。