滅びの魔女・・・1
ワカバの足は思った以上に遅く、キラ達はそのままその日の内にキャンプに辿り着くことが出来なかった。だから、経由地として、キラは月下を選んだのだ。月下は砂漠を越える駱駝便の男達が拠点として野宿する場所である。砂漠をよく知る旅人もそれを知っていて、ここに立ち寄ることが多い。なぜなら、夜盗は駱駝便を襲わない。駱駝の唾が苦手だとか言われることもあるのだが、おそらく、夜盗なりの同じ砂漠を生きる者としての仁義のようなものを持っているのだろう。人肉すら構わず喰らうというのに不思議な奴らだ。
そして、ここもかつては魔女がいたとされる場所だった。キラは魔女を探す旅人を装い、ここで駱駝便をする男に魔女についての話を聞いていた。駱駝便の男が言う。
「でも、ここの魔女はあの手配書にあったような魔女じゃないよ」
絶世の美女だったんだ。
「あ、でもその魔女には娘がいたんだよね。もしかして、あの手配書の魔女ってその子孫とかなのかな」
例えば、その子孫だったら……。キラがそんなことを考えていると、駱駝便の男から水と果物と毛布を手渡されていた。駱駝便の男から二人分のそれらをもらったキラは、金貨一枚を彼に渡す。
空には満天の星がある。キラが戻ってくるのを待っていたワカバはそれを見上げながら、星を指さし、それらを繋ぎ暇をつぶしているようだった。とりあえず、百科事典の魔女像とは程遠い。
あらゆる魔獣の頂点に立ち、その全てを手下として動かすことの出来る者。死んだものから生まれ出ずる者。悪魔に魂を売り渡した者。悪魔の化身。そして、気持ちの悪くなるような挿絵が添えられてある。魔女誕生の瞬間らしい。死人を喰い破り、血糊に塗れた手を天に突き出して、その体内から這い出そうとする魔女。汚らわしい表情、目は釣りあがり、口は裂け、よだれが垂れている。醜悪そのものである。
魔女を編纂してある百科事典にはそのように記されていることが多いのだ。
「あ」
帰ってきたキラに気付いたワカバが言葉に詰まり、慌ててあの大切な鞄の中を探り出す。言葉に詰まった理由もワカバがキラを怖がる理由も、全て原因はキラにあった。一つはキラがワカバの足の遅いのを責めたからだ。それでもワカバはやっと封筒を取り出して、キラに差し出す。
「あの、……これ…マゴの熱が下がらないって言ってたから……あのお婆ちゃん。えっと……キラがわたしを見つけた時に、助けてくれた人間……だから、その」
「駱駝便に出しておけばいいんだな?」
おどおど、びくびくするワカバの言葉を引き受けたキラはその手紙を受け取り、代わりに駱駝便から買ったど派手なピンクと緑の縞模様をした果物と毛羽立った毛布をワカバに渡した。
キラが受け取った手紙は三通あった。マーサ宛と世話になったという薬屋のカミュア宛。それから、あのゴルザムで処刑された老婆宛。
ラルーがワカバに教えた手紙の出し方は、紙飛行機を風に乗せる、だったらしい。しかし、「お前からの手紙? 届いていないな、そんなのは」というたった一言で、ワカバはそれが確実な方法だとは思えなくなったらしい。それをワカバに諭してしまったのは、他でもなくキラなのだが、その一言でワカバは自分に完全に自信を無くしてしまったようだ。今から思えば、キラはあの時、確実に不機嫌だった。しかし、別に悪いことをしたわけでもない。キラは夢見がちなお姫様に現実を少し教えただけ。だから、月下の駱駝便の説明を聞いていたワカバがキラに手紙を差し出した時、キラがワカバの言葉を引き受けられたのだ。
再度、駱駝便の元に現れたキラに呆れたような表情を浮かべた駱駝便が柔和な微笑みをキラに向け、手紙を受け取った。
「何か大変そうだね。けんかでもしてるの? あ、もう一つ思い出したよ。その娘って君の連れのように綺麗な緑色の瞳をしてたんだって。だから、気を付けてあげてね。間違われたら大変だよ」
「あ、あぁ。ありがとう」
きっと駱駝便の男は何か色々と勘違いしているのだろう。そう思いながらもキラはお礼を述べていた。そして、その言葉でやはりあの手配書があまりワカバの雰囲気を伝えていないという証明にもなった。どう見ても、ワカバは凶悪極まりない魔女には見えない。
はっきりと時間を測った訳ではない。しかし、キラが再びワカバの元に戻ってくるまでに十分もかかっていないはずだった。それなのに、ワカバは既に毛布をしっかりと頭まで包みこんで砂漠に横になっていた。確かに砂の上の雑魚寝になるということは告げていたし、毛布に包まって眠るようにという説明はしておいた。しかし……。
「よく眠れるよな……」
ワカバは縞模様の果物をその手に包んだまま寝息を立てていた。その様子は、キラに言われたことをつつがなく済ませた後、果物を食べようとしてそのまま力尽きたようにも見えた。慣れない砂漠を歩くのだから、疲れて当たり前なのだ。そして、今までワカバの置かれていた状況を思い出し、ここの方がまだ悪くないのかもしれないという考えにまで達した。研究所での生活はよく分からないが、キング邸での扱われ方は酷かった。
ワカバの横にそっと腰を下ろすと、思わず大きな一息が口から飛び出した。しかし、それは安堵から出たものだった。これ以上振り回されることがないと思う安心感と人間のようにちゃんと疲れを感じるワカバに対する安堵。しかし、ワカバと再会してたった一日しか経っていないはずなのに、既に何ヶ月もの疲れがたまってしまったかのようだった。キラはワカバを起こさないように、そっとその手から果物を取り上げると、出せなかった手紙一通と共にそれを自分の鞄にしまい込んだ。
「これは皮を剥かなきゃ食べられないからな」
ぼそりと呟いたキラは視線を頭上へと上げた。
シルク老婆へ向けた手紙。薬入りの宛て名すら書かれていない白紙の封筒。それを出せる日なんてキラには思いつかなかった。




