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Ephemeral note ~少女が世界を手にするまで  作者: 瑞月風花
第一章 儚い記憶の物語(第一部)
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 ★シガラスと魔女


 青い空に旋回する紅い点。それは過去の魔女狩りにもあった空だ。そして、キラを追ってオリーブに戻って来たシガラスが最初に見た空でもあった。逃げてはいけない。シガラスには珍しく、そんなことを胸に(いだ)いた。


 今のシガラスの目に映っているのは、喫茶アラクネの看板の文字だけで、聞こえてくるのは、雑踏と、一まとめできそうなものばかりだった。屋外といっても道の延長としか思えないオープンカフェと、屋内の喫茶スペースを持つアラクネは、オリーブでまともな営業をしている裏通りの喫茶店である。味も雰囲気も表通りにある大衆食堂『ミネルヴァ』よりもセンスがいいはずなのに、どうしてかいつも人気がない。シガラスは喫煙と書かれた、屋外スペースのテーブルに灰皿をちょうどいい場所に据えて、両手で頬杖をついて煙草をくわえていた。こうしていると、たまに長年の友とも言える、くたびれた帽子の中に煙が溜まって、目に沁みたが、別にそれを止めようとは思わなかった。


自分の口から吐き出される細い白い煙を溜め息で消し去ってしまったシガラスは、その幻影の中に見える未来を考えていた。キラの元に魔女がいることは確かである。しかも、そう仕向けてしまったのが、何を隠そうシガラス自身なのだ。だから、どうもばつが悪い。個々に延びていた糸を絡ませてしまったのは、シガラスなのだ。しかし、キラのその行動にはそつがなく、シガラス以外のどんな便利屋も、情報屋もキラの行動の意味におそらく気づいていないだろう。キラなら魔女を適当な場所へ逃がし、その後は関わらないことを選択するはずだと思っていた。


 そう願いたいし信じたいのは確かである。しかし、シガラスにはそう言い切る自信がない。


 そして、招かれざる待ち人とも言える黒い影がシガラスの前に延びてきた。


「今回はお逃げになられませんでしたのね」


魔女ラルーはそう言って、そっと銃を構えるシガラスを見下し、笑った。赤いインコが魔女の肩に止まっている。そのインコはあの魔女狩りの際にも現れたのをシガラスは明確に覚えている。シガラスはその魔女の表情に過去を重ね、恐怖を再生させた。引き金に掛ける指が震える。ラルーは、何がおかしいのかくすりと笑った。


 まだ十代の頃、シガラスは魔女狩りの傭兵部隊に参加したことがあった。そして、逃げた。人間の恐ろしさを見て、魔女狩りの悲惨さを見て、一人隙を見て逃げ出したのだ。怖くなっただけ。ただ、足が竦んで、それ以上前へは進めなかった。魔女の死体の山を前に、まだ息のある魔女達が呻き、嘆き、ささめ泣く。そして、まだ幼いあの魔女がすでに事切れた老婆に寄り添い、魔女狩り部隊を凝視していた。感情の籠った瞳ではない。ただ、恐ろしかった。何も出来ない幼子の瞳に映る色ではないと思えた。その瞳の中には、『死』というものを見つめる冷たい光しかなかったのだ。その時に空を旋回する赤い鳥を見たのだ。


「何が正義なんだ。この悪魔め」そんな声が耳に飛び込んできたことをきっかけに、シガラスの視線が空ではなく前方遠くに向かった。


 指揮を執っていた衛兵隊長へ誰かが意見したようだった。青い瞳に柔らかな金色の髪。元リディアス衛兵パルシラとそっくりな精悍な表情の彼が、衛兵隊長の胸ぐらを掴まんばかりに叫んでいた。衛兵隊長が彼の頬を殴り飛ばしたところまでは覚えている。


 しかし、シガラスにはそれが最後のチャンスだと咄嗟に後退りしたのだ。注目は彼の元に向かったままだ。シガラスは脱兎のごとく走り出していた。


 不出の森と言われるときわの森の中をどう走り、どう飛び出したのかすら覚えていない。


 その時の傭兵部隊を一任されていた研究所副長官が、魔女ラルーだ。ラルーは第二部隊を指揮しており、あの惨劇の後魔女の村へとやってきた。そして、あの先発部隊に残っていた傭兵達は誰も帰ってこなかった、と今もされている。


 それから身を潜めるようにしてシガラスは情報を手に入れる立場である便利屋になった。様々な『裏』がシガラスの元に集まるようになった。集められた傭兵達が、この副長官によって集められたということを知った。この魔女狩りを仕組んだのも副長官だとも分かった。それから、その傭兵部隊が全滅した。全指揮をとっていた前々国王のアナケラスも急逝した。そして、魔女狩り推進派のグラディールも同じく崩御。


 死神だと思った。あの時の魔女狩りに関わって生き残ったのはシガラスとランネルのみ。


 そして、ランネルの存在も消えていた。まぁ、これはシガラスにとってどうでもよいことだったのだが……。


「逃げてばかりじゃ、何にもならんからな……」


シガラスは(うそぶ)いた。ラルーはシガラスの唇が微妙に引き攣っているのを見て、おかしそうに笑った。


「騒ぎになりますわよ? それでもその手に握ったものの引き金をお引きになるのなら、ご自由に」


魔女は全てを見通していた。そして、冷たく唇を横に引く。冷たい風がシガラスの背中に吹いた。


「あなたの依頼人について、今日はお知らせに来ただけですわ」


シガラスの請けた仕事は一つきりだ。しかし、シガラスしか知らないはずの依頼なのだ。ランネルより請けた依頼。『魔女が別の誰かのものになった場合、その者と共に魔女をこの世から消し去って欲しい』


 あの闇に落ちた微笑みのまま彼は続けた。


  「きみに拒否権はないだろうがな」


シガラスは乾いてきた唇を少し舐めた。


「依頼人がいなくなれば、仕事は無効になりましたわよね」


確かに遂行義務はなくなる。しかし、まだそれがはったりである可能性も捨てきれない。そして、そんなことを言うラルーに対して、シガラスは冷静を保とうと常套句を述べる。だが、本当は、暗に何を意味するのかに息を呑んでいたのだ。


「それは事実確認の後、ワシが決めることじゃ」


「あら、喜んでもらえるかと思っておりましたのに。残念ですわ。だって、お望みになっていたことでしょう? だから、彼を差し向けたのではありませんでしたか?」


その楽しそうな声とは違いラルーの表情は氷の様に冷えていた。


「あれは、ちゃんとした依頼じゃ」


ちゃんとした、依頼。キング暗殺の依頼はシガラスの意向で生まれた仕事ではない。選別はしたが、依頼人が存在する。さらに、ランネルから請けた仕事だって、拒否できなかっただけで、仕事として成立するものなのだ。シガラスが望んだわけではない。しかし、その言葉にシガラスは苦いものを感じていた。それを見たラルーはシガラスを憐れみ、微笑んだ。


「まぁ、あなたの生き方は自由ですものね。でも、あなたがこれ以上魔女に関わりを持つことに対しての保障は致しませんわよ」


言い終えたラルーの視線はシガラスを刺し殺してしまうくらいに鋭いものに変わっていた。

シガラスはあの魔女狩りで死ぬはずだった。逃げ出したあの時から、すでに時の流れからは外れ、魔女に命運を握られているのだろう。シガラスの睨め付ける先には氷の微笑を浮かべるラルーがいた。


 ラルーの肩に止まっていた赤いインコが急に何かに驚いて飛び発った。一瞬シガラスの視線が魔女から外れた。赤いインコが青い空に呑まれ消えていく。そして、魔女も消えてしまった。あの冷酷な魔女がまさかシガラスに忠告するために親切に現れたとは、考えにくい。これにも何か裏がある、としか思えなかった。


 逃げ場のなくなった煙が、帽子から逃げていく。


 もし、キラがあの魔女から逃げきることができなかった場合。依頼を請けているシガラスはキラを手に掛けることになるかもしれない。


 いや、ラルーの言う通り、依頼は破棄でもいいのではないだろうか。しかし、万が一を考えると、それはできなかった。


 シガラスにだって護りたいものくらいあるのだ。



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