オリーブにて・・・4
ジャック達のいなくなった通りはいつまでも静かだった。空は青く、雲が千切れて流れていく。真昼を過ぎて、傾きかけた太陽は少しばかり熱を下げている気もする。そんな中、靄のような微睡がキラに襲いかかろうとしていた。
「嘘です! そんなこと、信じません! だって……戻ってくるっておっしゃっていました」
金切り声と共に、すすり泣く声がした。短い青髪にパステルブルーの上下セットのスーツを着ている。どこかで見たことのある女だ。彼女の前にもう一人、誰かがいるのだが、屋根の影になって姿は見えない。女はすすり泣きながら、その影に掴みかかったまま動かない。そして、その両手で口を覆い、悲嘆に暮れ始めた。路地にもう一人背の高い男が入って来た。よくよく見覚えのあるランドだ。金髪に大きなサングラス。見間違うわけがない。学者ばかりで話し合う第二会議の帰りのようだ。そして、それが引き金になって、キラの記憶に彼女が何者であるかということを思い出させた。研究所長官の秘書だ。彼女はランネル、ラルーの秘書も務めていた。
「もう、マリアさん。探したんですよ」
そして、ランドは意外な顔をする。もう、あの影はいなくなっていた。
「どうしたんですか? もしかして、ヒカリクルウ学士に言われたことを気にしてるんじゃ……」
彼女は目の周りを拭い、きりっとランドを見つめ返して言った。
「まさか、あんな方にリディアスの崇高な考えは分かりません。悔しかっただけです。だから、あなたも早く代理なんて肩書きを取って頂かないと、いつまで経っても馬鹿にされるんですからね。リディアスにはろくな科学者はいないだなんて。全く悔しいです。私がいくら頑張っても、リディアス国立研究所所長が代理止まりなんですもの」
「でも、以前はランネル長官が戻っていらっしゃるまでの代理だとおっしゃってたじゃないですか?」
ランドは首を傾げて腕を組んだ。代理だと言っても、代理である方が難しい位置にいるランドに対して、マリアはカリカリしている。
「あなたのやる気のなさを見兼ねての言葉です。あなたはあなた御自身の出世に一生懸命になればいいんです。私は長官を補佐するために存在するんですから。長官不在なんて、私の能力が否定されているようなものなんです」
「まさか? 私はいつもマリアさんを、高く評価してますよ」
「あなたに評価されても、全く嬉しくありません」
「でも、どう頑張っても、私は長官ではなく所長止まりですって」
「そんなこと分かっています」
キラは身を潜めたまま、ランドとマリアの会話を聞いていた。そして、薄らぼんやりと、そのマリアの言葉の裏にあるものを考えていた。彼女の慕う研究所長官ランネルは、もう帰って来ないのかもしれない。元副長官のラルーはどうなのだろう。帰ってくるのだろうか。
美人だが、何を考えているのか分からない冷たい瞳の持ち主。魔女という響きが最も似合う人物。
そのラルーは時を越えて二度リディアスに現れていた。それが事実なら魔女であることは確かだった。一度目はアーシュレイ王がまだ幼少の頃。二度目があの魔女狩りの数年前。二度目に現れた時に接点のあった衛兵が彼女の言葉を覚えていた。あの愚痴ばかり言う兵士だ。
「争いに犠牲はつきものですわ。目的は達成されています。他に何をお望みだとおっしゃるの?」
彼女の率いた魔女狩り遠征部隊は壊滅。だが、ワカバは捕えられた。リディアスの求めた魔女は確かに手の内に入った。
しかし、彼女の目の前にいるランドは「ランネル長官なんかよりもずっと物事を良く分かっておられる方ですよ。うちの副長官は」とラルーを褒めていた。打ちひしがれていたランドがやっと答えた。
「分かりました。ほら、次のスキュラの会議の準備に取りかかりますから。それで納得してくれますよね?」
「納得? 納得も何も、それは代理の仕事でしょう?」
ランドは苦笑して、探すんじゃなかった、とでも言わんばかりの溜め息を吐いていた。マリアがランドの前をすたすた歩いていく。それを追いかけるランド。
二人がいなくなった路地はまた静かになった。そんな場所にキラはすとんと降り立った。そして、影のあった場所に立った。古くなったレンガ塀に手を置いて、キラは首を捻った。いったいどうやって消えたのだろう。路地から去っていく姿もなく、壁にも何の仕掛けもない。マリアが二役をしていたわけでも、もちろんない。いったい誰と話をしていたのだろう。オリーブの英雄の記念碑文にある魔女。銀の剣に突き刺さった魔女は黒い染みだけを残して、魔女はこの世の悪と共に跡形もなく消え去った。
染みはない。しかし、確実にここにいた誰かが消えた。ラルー……本当にそうだろうか。ワカバを逃がしたはずのラルーは、キング邸にはいなかった。
今度はキラがワカバを迎えるための手紙をマーサに宛てなければならない。




