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微少年  作者: 海之本
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出発



「じゃあ、行ってくるからね。戸締り、火の元、水道の栓。気をつけんのよ!?」


母さんは何日も前から繰り返し言っていた言葉を再び口にすると、慌ただしく家を出て行った。

「はい、はい」と聞き流していた僕は、玄関先で母さんの後ろ姿を見送ると、深呼吸を一度だけした。

ちょっと寂しくなるな、なんて思わないようにするためだ。

姉貴は空がまだ暗いうちに出発したから、きっと今頃は空港だろう。

今日からこの家に独りだ。

母さんは単身赴任中の親父の所へ行き、姉貴はハワイへ友人たちと旅行に行った。

二人とも一週間は帰ってこない。


僕は最初、母さんに一緒に来るよう言われたが、断固として拒否した。

親父は都心にいる。そして僕は都会が嫌いだったからだ。

都会の圧迫感と人の多さがどうしても好きになれない。

それに親父が住んでるアパートの、あの息が詰まりそうな程狭い部屋に、一週間も親子3人が寝泊まりするなんて想像しただけで気が狂いそうだ。なんて訳を言うと、意外にもあっさり母さんは僕の拒否を受け入れてくれた。

心配性な母さんにしては、珍しいこともあるもんだ。

そんなこんなで口煩く幾つかの注意事項を残して、母さんは行ってしまった。


この瞬間から、僕の1週間の一人暮らしが始まる。

さあ、僕は自由だ。

行く当てなんかないけれど、解放された奴隷のようにいてもたってもいられず家を飛び出した。

僕には確かめなければいけないことがある。

皮膚の下で何かが蠢くように、心の奥でずっと疼き続けているもの。その正体を確かめなければいけない。

ずっと、ずっと探している。だけどまだ見つからない。

答えが分からなくて僕は変なのかもしれないと思っていたけど、でも同時にその正体がもうすぐそこにまで来ているような気がしてならなかった。

だから、一人になったらその答えを見つけ出そうとずっと心に決めていた。




気の向くまま、赴くまま、感じるまま、自転車を漕いだ。

財布も携帯も持って来なかった。

母親や誰かから連絡が来るのも煩わしいし、本当に必要なのはそんなものじゃない気がして、自分とこの自転車以外のものはどうでもよくて家に置いてきた。

風を切って走る自分が、怖いぐらい身軽に思える。

青い空は広く、耳にはどこかで鳴いている鳥の声が心地好い。

川の向こうでは、昔から変わらないはずの山並みがやけにはっきりと浮かんでいる。

僕は自分のやっていることが肯定されているように思えた。

今はあいつらからもあいつらに振りまわされる自分も、見えない未来も不安だらけの自分からも、解き放たれている。

何も繋ぎとめるものがない僕の体は、このまま吹きつける風にどこか知らない所まで飛ばされてしまうような気がした。

これが自由って事なのかもしれない。


知らない道をゆっくりと、人一人いない田んぼ道や川沿いの土手を走り続けた。

時々、必死にペダルを漕いでる僕の横を、車がいとも簡単に追い抜かしていく。

別にいいんだ。羨ましくもない。

風や太陽、全ての景色を独り占め出来ているのは僕の方だ。

自分の脚で好きなだけ進んで行けることがこんなにも楽しいことだったなんて、どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。


どれぐらい走ったのか。

喉の渇きも腹の空き具合も感じないまま走り続け、どこかの街に入り大通りに出た。

デパートや企業の工場が続き、木々や花が塀のように植えられた広大な敷地の横をひたすら走る。

夕日が空を彩り、辺りがオレンジ色に染まり始めていた。

車の数も少なく、歩いている人もいない。

温かいけれどどこか冷たい風が僕にまとわりつく。その心地好さに意識がオレンジ色の光に溶けだしていた。

さすがに足も気だるくて疲れてもいるけれど、でもこのまま走っていたい。

夜を迎えるなんてもったいない気がした。

だけど時間を止めることなんて出来ないから、せめて空を染め上げる太陽をこの目に焼きつけておきたい。

どこか夕日がもっと綺麗に見えるところはないだろうか。


と、その時。

目の前の店から車がバックしてきていることに僕は気づいていなかった。

はっとしてとっさにハンドルを切ったが、避け切れずに全身の衝撃と共に体が横倒しになった。

視界が僕の意志に反してアスファルトに迫る。

頭に固いものが当たるのを感じた、瞬間。

頭蓋骨中に鈍い音が響いて、響いて、響いた。

段々と意識が白く染まっていく。

なぜか痛みの代わりに、車の深い海のような色とその後ろでライトアップされた「Runa Warld」の看板が目に焼きついた。


僕は生れて初めて気絶した。

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