4.9 (火)14:15
「さ、君たち、そこに正座しなさい」
冷静を装った言葉を慎重に選びながら命令する桃。
「「「……はい……」」」
奈緒、丈一郎、そして真央は、その言葉に従い素直に講堂のステージ脇のスペースに正座をする。
「さ、ひとりづつなんでこんなことになったか、反省の言葉を言ってもらおうじゃないか」
さながらイワン雷帝のごとく、桃は威厳と脅威を含んだ言葉を続ける。
「君たちのその軽率な行動がもとで、今日の部活動説明会が大混乱に陥ったんだ。それは理解できているな?」
「「「……反省はしています……」」」
うつむきながら呟く二人の少年と少女。
「さ、言うんだ。“私達が悪うございました。もう二度といたしません”と」
わずかな慈悲を含んだ視線と言葉を桃は投げかける。
「「「……私達が悪うございました…もう二度といたしません……」」」
「甘い!」
怒気を含んだその表情で声をはりあげる桃。
「反省だけならサルでもできる! そんなもんで許してもらおうなんて、考えが甘すぎる!」
「「ええー!?」」
丈一郎と奈緒は、あまりの理不尽さに驚愕する。
「……いや、桃ちゃん、むちゃくちゃだぜ、それ……」
その理不尽ないい様に、さすがの理不尽大王真央も、そう呟くほかない。
しかしその言葉に耳もくれず
「大体君たちは、自分達が一体何をしでかしたのか、そしてなぜ反省しなければならないのか、その自覚はあるのか?」
そして桃は妹の奈緒を指差し
「まずは奈緒! 自分が何をやらかしたか、しっかり自分の口で言ってみろ!」
その言葉に、奈緒は小首をかしげながら
「……ええと、あれは――」
時は数十分前にさかのぼる。
「ボクシングというスポーツは、あまり親しみがないかもしれませんが、古代ギリシアから存在する、最も古いスポーツの一つです――」
滔々と、語る奈緒。
かわいらしい女子生徒が、真剣にボクシングの歴史を語るなどということはめったに見ることができるものではない。
そのもの珍しさもあり、会場の新入生たちは真剣にその言葉に耳を傾ける。
「――古代ギリシアではすでにオリンピックの種目として採用され、“神事としての格闘技”としてレスリングとともに人気を博した競技でした。」
その会場の雰囲気が、奈緒をいっそう奮い立たせ、あらん限りの知識を振り絞りボクシングの魅力をアピールする。
「ローマが地中海を支配するようになった頃、神事としてではなく、見世物、娯楽としてのボクシングは生まれました。俗にに言う“パンとサーカス”の時代には――」
そして、およそ数十分、驚くべき時間が流れる。
しかし、奈緒の言葉はいっそうの熱意を帯び始める。
「――そして、“最も憎悪を掻き立てる黒人”こと、ジャック・ジョンソンは、カラーラインを始めてこじ開け、白人と黒人との間でベルトを統一した初のチャンピオンとなり――」
「――そしてジャック・ジョンソンを倒した“グレート・ホワイト・ホープ”ジェス・ウィラードは、かの有名な“マナッサの殺し屋”ジャック・デンプシーに――」
「――ナチス政権下のドイツ人チャンピオン、マックス・シュメリングと、優等生的な雰囲気を持つ黒人ボクサー、ジョー・ルイスとの一戦。それはまさしく、ファシズム陣営と自由主義陣営との戦いと評されましたが、わたし自身の考えからすれば――」
会場は徐々にざわつきだす。
あまりにも長すぎる、そして熱のこもりすぎる奈緒の大演説に、会場の雰囲気は一気に倦怠感に包まれる。
しかし気持ちよさそうに、あふれんばかりのボクシング愛を込めて熱っぽく語る奈緒。
後ろで控える二人のみ
「おお! そうなのか!」
「すごいね奈緒ちゃん! それ、初めて知ったよ!」
奈緒の言葉に引きこまれていた。
「……やっぱりこうなったか……」
桃は顔を覆った。
「……あの子がボクシングを語りだすと、いっつもこうなちゃうんだよね……」
「……なんだか、奈緒さん、性格まで変わっていらっしゃるみたいですね……」
葵も顔を引きつらせる。
「……なんというか、何かに憑依されたみたいですね……」
「……って感じかな……」
あさっての中空を見つめながら、奈緒は丹念に記憶の糸を手繰り寄せた。
「……ほら、わたしって、ボクシングの話しだすと止まらなくなっちゃうんだよねー、えへへへへへー」
いつもの人懐っこい笑顔を浮かべ、何とかこの場をやり過ごそうとするが
「ばかもの!」
どん!
怒号をはりあげながら奈緒は右足で床を踏み鳴らした。
「部活動紹介はひとつの部活につき5分程度だと言われているはずだ! それが冒頭の説明だけで10分以上かかってどうするんだ! 紹介を待っている部活に、ものすごく迷惑がかかるじゃないか!」
「……だって、初めてなんだもん。こんな大勢の人が私の話に、しかもボクシングの話に耳を傾けてくれるなんて、今まで一度もなかったんだもん……」
しゅん、とした悲しそうな表情で奈緒は呟く。
すると、バシッ、奈緒の肩を叩く力強い手。
「奈緒ちゃん! その気持ち、すごくわかるよ!」
その両目を潤ませながら、丈一郎は感動しきりの言葉をかける。
「僕もさ、この学校でボクシングのことを話すことのできる友達、今まで奈緒ちゃん以外にはいなかったんだ! だから、奈緒ちゃんの言葉があんなに熱かったか、僕には痛いほどわかるよ!」
そしてそれに続き、ポン、優しく暖かな手が奈緒の肩に。
「そうだよな。奈緒ちゃんは今まで、自分の趣味を受け止めてくれる人が欲しかったんだよな。わかるぜ、その気持ち。なんだかんだいって、日本じゃぁボクシングなんてマイナーな競技なんだよな」
この男からは想像も出来ない、柔らかく暖かな微笑み。
「野球とかサッカーと違ってよ、ボクシングの話をしっかり聴いてもらえるなんてありえねーもんな。だからよ、俺も奈緒ちゃんの気持ち、心の底から理解できるぜ」
「……丈一郎君……マー坊君……」
奈緒は両目をそっと閉じ、肩に置かれた二人の手に自らの手のひらを重ねる。
そしてかすかに、その閉じた瞳からは一筋の涙が。
「わたし、わたしいま、すっごい幸せだよ」
一ヶ月前に出会ったばかりの三人。
ボクシングという共通項で、つながりを持った三人。
そして楚の三人の心は、こうしてまた一つとなり、その絆は――
「こらそこ! 勝手に盛り上がってるんじゃない!」
桃の怒りをよそに自分たちだけの世界を作り上げる三人に、桃は再び堪忍袋の尾を切った。
「全く、川西君までそんなんじゃほんと困るんだよ……」
そういうと桃は、いらだたしそうに爪を噛む。
ボクシングのこととなると、本当にこの三人は押さえが利かなくなる。
問題児二人に加え、いつの間にか問題児の仲間入りをしてしまった丈一郎。
その存在が、事の成り行きをいっそうややこしいものにした。
「あ、桃ちゃんまた爪噛んでるぜ」
桃にら立ちを一顧だにすることなく、のんきに真央が口を開く。
「だめじゃねーか。ガキじゃねーんだからって、奈緒ちゃんがいっつも言ってんだろ」
「あんたに言われたくない!」
真央をきっと睨みつけると、苛立ち紛れに怒鳴りつける。
「だいたい、君たちがさっさと奈緒を止めないからこうなったんじゃないか! それだけじゃない! 君たちがしでかしたこと、胸に手を当てて、しっかりと考えて説明してみろ!」
「「…はい…」」
真央と丈一郎、二人のボクサーはタンクトップ姿のままうつむきながら答える。
「「……どうしてこうなったかというと……」」
再び時はさかのぼる。
滔々とボクシングの知識と、ボクシングへの愛を恋人のように語る奈緒。
生徒会からの促しの放送ももはや耳には届いていないようだった。
「どうしましょう、桃さん」
葵ももはや手をこまねいて入られない、という様子だ。
「……仕方ない、これしかないか……」
そういうと桃はおもむろに片方のローファーを脱いだ。
そしてそれを右手に持つと、メジャーリーガーのような美しく豪快なフォームで
「うりゃぁあっ!」
ブンッ!
それは、綺麗な直線軌道で勢いを増し――
ガンッ!
「あだっ!」
ごつごつとしたラバーの靴底が、見事に真央の右こめかみを捕らえた。
その足元に転がるローファー、真央はそれが飛んできた方向に目をやる。
すると、美しいフォロースルーを取りこちらを睨む桃の姿。
「てめえ! なにすっだ! これ親しい人間同士じゃなかったら暴行だぞコラ!」
「そんことはどうでもいいから、さっさと奈緒を止めろ!」
人差し指でつつくようにして、何度も奈緒の方を指差す。
「もうすでに大幅に予定時間過ぎているんだ! さっさと切り上げさせろ!」
「ああん? ったくよお……」
右のこめかみを押さえながら、真央はしぶしぶとその言葉を受け入れる。
「おう丈一郎、あのおっかねーお姉さんが、さっさと説明切り上げさせろだとよ」
その言葉に、丈一郎もはっと我に帰る。
「そ、そうだね。はやく本題に入らないと」
そういうと丈一郎は、奈緒の肩をぽんぽんと叩き、耳元でささやく。
「……奈緒ちゃん、そろそろ切り上げないと。時間大幅にオーバーしてるから……」
「え? えええ?」
奈緒は向こう正面の壁にかけられた時計に目をやる。
「あー! やばいよ! もう完全に時間オーバーじゃん!」
あたふたと慌てふためく奈緒。
その奈緒をなだめるように、落ち着かせるように優しく言葉をささやきかける丈一郎。
「……しょうがないからさ、さっさと実演終わらせちゃおうよ。ね? 大丈夫……」
「……う、うん……」
奈緒は小さくうなづき、再びマイクに向かう。
「……えっと……とりあえず長くなった様なので説明はここまでにして、簡単な実演をお見せしたいと思います……」
「よっしゃ、やるか!」
バシン、胸元で拳と手のひらを合わせる真央。
「ようやくだね」
同じく拳を固める丈一郎。
その様子に、ほっと胸をなでおろす葵。
「よかったですね。これでプログラムも時間通りに……」
「どうかな」
しかし、胸によぎる不安に再び苛立ち爪を噛む桃。
「あの三バカのことだからね。このまますんなりと終わるようには思えないんだけれど……」




