4.9 (火)12:25
「あ、マー坊君、どこ行ってたのさ」
カフェテリアの出入り口できょろきょろと首を振っていた丈一郎は、真央の姿を認めると不満そうな言葉を漏らす。
「急に出ていっちゃうんだもん。本当にびっくりしたよ」
「ぎゃははは、わりーわりー」
先ほどとは打って変わった明るい笑顔を向ける。
その手には先ほど桃からもらった大きな白米の塊が。
それを時折ほおばりながら、機嫌よさそうな表情の真央。
「いやー、やっぱりさ、こんだけたくさんの女がいるとよ、どうにも落ち着かなくってな」
「本当ですよ」
じとりと睨むような視線を向ける少女の姿。
陶器のように白く透き通ったそのかんばせ、しかし今は眉間に小さなしわがより、ややすねたようななじるような視線が真央を刺す。
「そんなに私たちとお食事をするのが嫌だったんですか? きちんと席は空いていましたのに。それに、他のクラスメートと中を深めることが出来る、大変有意義な機会でしたのに」
「ぎゃははは、すまねーな」
それでも真央は変わらぬ笑顔。
「気持ちはありがてーんだけどな。やっぱ俺これだけたくさん、しかも女がいる環境ってなれねーもんだから。ほれ、葵だって逆の情況だったら、緊張すんだろ?」
「……それは、まあ、確かにそうですけど……」
それは確かにその通りだ。
葵自身も長らく女子校で育っており、もし逆に男子がたくさんいる環境の中にほおり込まれたら、やはり同じようにしり込みしてしまうだろう。
しかし、頭の中では納得できても、やはり葵の不満は解消されない。
「けど、あんな感じで出ていかなくったっていいじゃないですか。私だけではなく、クラスのほかの皆さんも、真央君とお話にするのを楽しみにしていらしたのですから」
それでもなじるような言葉を口にする。
「そっか、すまねーな。気ィつかわしちまって。これでワビいれにしてくれや」
ぼりぼりと頭をかき詫びを入れる真央。
「もうちっとばかし待ってくれや。そしたら他の生徒とも打ち解けられると思うからよ。な?」
ニイッと、あのいつもの笑い顔を作る真央。
「……まあ、あまり他の女子生徒と打ち解けられてもらっても困るんですけど……」
うつむきながら、見上げるような視線で小さく呟く葵の言葉。
「ん? なんか言ったか?」
ぴくん、かすかに響くその声に反応した真央だったが
「い、いえ! なんでもないです!」
ぷるぷると手を振り、葵はその言葉をごまかす。
ふと、葵は真央が手元に持ち、そしてほおばる白米の塊に気がついた。
「あら? そのおにぎりはどうしたのですか? 購買で買ったものの様には見えませんが、ご自分でおつくりになられたものなのですか?」
「ん? これか?」
そしてそれを大きく一口ほおばり、もぐもぐと大きく噛みこなし、ごくりと飲み込み言う。
「これな、さっき桃ちゃんからもらったんだ」
ぴくん、葵の表情が固まる。
「桃さん……ですって?」
その不穏な様子に、丈一郎は全身に緊張を走らせる。
その二人の様子に気付くことなく、あくまでも飄々とした様子の真央。
「おう、なんかな、今朝飯炊きすぎたっつってよ、それであまった分握り飯にしたらしーんだわ。」
そしてまたがぶりと豪華にかぶりつき
「やっぱ、これくれー食わねーと腹がもたねーな。つーか、やっぱ桃ちゃんの作る飯は、なんでもうめーわ」
「へえ、そうでしたか」
その様子をにこにこと笑って見つめる葵。
しかし、俯瞰する丈一郎は戦慄する。
「……」
葵のその目の奥に、全く光が見られない。
「そういえば、釘宮さんで暮らしているときは、お食事はどうしていらしゃるんですか?」
最上級の笑顔を作りながら訊ねる葵。
「ご自分でお食事は作れるようになったのですか?」
「ああ? んー、まあ、そっちは全く進歩ねーわ」
そういうとばつ悪そうに頭をもしゃもしゃとかきむしる。
「最近は、結局朝食が奈緒ちゃん、夕食が桃ちゃん、って感じになってんだけどな。奈緒ちゃんが“お弁当作ってあげるよー”なんつってくれたけど、やっぱそこまで甘えらんねーからな。昼食だけは、ボクシング同好会のコーチ代の中から出すことにしたんだ」
「ということは、昼食以外は全て釘宮さんの手作りのお食事を召し上がっていらっしゃるのですね」
内なる感情を見事に押さえつける、聖エウセビオきっての優等生、礼家葵の明るい笑顔。
「そうですよね。桃さんや奈緒さんたちとは、いつもお食事をご一緒にされているのですから、私たちと違って慣れていらっしゃいますものね。いえいえ、いいんですよ。真央君はそういうかただということは十分に存じ上げていますから」
しかしその笑顔をたたえるその背景に
「……」
丈一郎は不動明王を見ているかのような威圧感を覚え、何一つ口を挟むことが出来なくなった。
「でも、あの定食を召し上がって、まだおにぎりを三つも食べられるだなんて、あの量では満足できないということですか?」
ふと、気がついたように訊ねる葵。
「結構あの定食はボリュームがあると思うのですが、それでも足りませんでしたか?」
「ん、まあな。やっぱこの学校なんだかんだで元女子校なんだな。この俺の肉体はよ」
そういうと、またグッとボディービルダーのようなポーズを作り
「あんなもんじゃ足りねーんだよな。ぎゃははは」
豪快に笑った。
「あ、それでしたら」
ぱちん、小さく口元で合唱するようなポーズを作り
「私、真央さんの昼食、これからお作りします!」
弾むような声で言った。
「「ええー!?」」
真央と丈一郎、二人の驚きの声がユニゾンする。
「いやいやいや、それはさすがに……」
「ああ。赤の他人に、そこまで迷惑は……」
さすがの図太い真央もそればかりはと遠慮を申し出たが
「あら? 桃さんも奈緒さんも、本当は赤の他人じゃありませんか?」
その言葉に、真央はぽん、と手を打ち
「おお! そういやそうだ!」
「いやいやいや! そういう問題じゃないから!」
すばやく突っ込みを入れる丈一郎。
「いいんですよ。私の家、古くからある造り酒屋なんです。ですから、たくさんの職人さんの昼食などを母と一緒に、朝調理しているんです」
と葵。
「なにせ男の職人さんたちですから、少しでも体力がつくものを召し上がっていただけるようにと、たくさん食事を作っていますので、その中のものを適当につめたものでよろしければ、いくらでもお包み出来ますよ」
「葵って酒蔵のお嬢さんだったのか? なんとなくわかる気がするわ」
そういうと真央は両腕を組み、うなづくような仕草を見せ
「なんか、葵ってそういう感じだよな。日本人形ぽいっつぅか、桃ちゃんたちとは360度正反対な感じのお嬢様っつうかさ」
「まあ」
そういうと、葵は口元に手をやり、くすくすと笑う。
「……一応言っとくけど、それじゃ一周しちゃってるから……」
顔を引きつらせる丈一郎。
「しかし、酒蔵の職人さんのまかないかぁ」
腕を組んだ真央は、ゴクリ、とのどを鳴らす。
「なんかその言葉を聞いただけでもう腹が減ってきたぜ」
「……おにぎり食べながら言う言葉かな、それ……」
丈一郎は律儀にもいちいち突っ込みを入れる。
「ええ」
そういうと葵は、再びにっこりと笑う。
「本当に、ただ大量に作ったものを詰め込むだけですから。そんなに手間ではないので、気にしないでくださいね。あ! そうだ! どうせだったら、これからは一緒にお昼ごはんをご一緒いたしませんか? 川西君も、よろしければ。ね?」
チラリ、真央の顔を一瞥し
「……ま、僕は全然かまわないんだけど……」
「ん? 俺か?」
その視線に気付き、言葉を返す真央。
「おう、俺も全然構わねーよ。お前らと飯食うんだったら、むしろ大歓迎だぜ」
「そう! よかった!」
そのおしとやかなイメージからは想像も出来ないような無邪気な様子で喜びの声を上げる葵。
「ではさっそくですから、明日からお弁当お作りしてお持ちしますね!」
その様子を見て、丈一郎は
「あちゃー、またややこしいことに……」
と憂うつそうに顔を抑え
「……ま、傍から見ている分にはいいんだけどさ……」
とこぼした。
「ん? それはどういう意味だ?」
耳ざとく真央はその言葉に反応したが
「なんでもないよ」
いつもの柔らかい、中性的なへにゃりとした笑顔を返す。
「まあこういうの、なかなか見れるものじゃないからさ。僕は成り行きを見守らせてもらうことにするよ」
鼻歌交じりの、イージーな雰囲気でニヤニヤとして答えた。
「じゃあ、明日から、四時間目終わったらみんなでご飯食べようか。でもさ……」
今度は葵の顔を見て笑う。
「釘宮さんたちはどうするの? 一緒に誘ってみる?」
「それは――」
一瞬その表情が曇り、二の句が告げない様子だったが
「――私のほうからお誘いの声をかけてみます」
何とか作り上げました、というような優等生の笑顔で応える。
「ん。じゃあよ、どこで飯食うんだ? 今日はあそこで食ったけどよ」
そういって親指で学食の裏を指す。
「あんなせめーとこじゃ、皆で昼飯ってわけにもいかねえだろ」
「だったらさ」
そういうと、今度は丈一郎が三号館の屋上を指差す。
「ほら、あの屋上のテラスならいいんじゃない? ベンチもあるし、人工芝もあるから」
「……この学校なんでもありやがるな……」
そういうと真央は顔をしかめる。
「まあいいや、とにかくサンキュな、葵。これでまた無駄な出費減らせるぜ」
そしてニイッと笑った。
「ええ。楽しみにしてくださいね」
同じく最上級の笑顔で応える葵。
しかし、一方の丈一郎は
「うん。僕も楽しみだよ」
その中にに何かを含んだような笑顔を返した。
「……うん、なかなか僕たちの関係、面白くなってきたんじゃないかな……」




