4.9 (火)11:55
「……なあ、まだかよ」
学校指定のブレザーに身を包み、ネクタイを無造作に崩しながら訊ねる真央。
ぎゅるるる、やけに大げさに腹の虫が鳴る。
「大体よ、この学校無駄に広すぎなんだよ。学食一つ探すのに」
面倒くさそうに周囲を見回す。
「なんでこんなに長いこと歩かなきゃなんねーんだよ」
「まあまあ、もうすぐだから」
柔らかく笑いながら応える丈一郎。
真央の一歩前を歩くその足元には、レンガを敷き詰めた、カフェテリアへ通じる道。
春先の心地よい風が吹き抜ける。
「一号館をまっすぐ行けば、もうすぐにカフェテリアだから。今後は迷わずに来れると思うよ」
「“かふぇてりあ”ねえ」
ふう、ため息交じりで不満そうな表情の真央。
カフェテリア、という耳慣れない、しかし瀟洒な印象を残す横文字の単語に、真央は本能的な警戒感を覚える。
「きちんとした食いもんあんのか? だからさっさと学校抜けだしてその辺の食堂行こうっつってんじゃねーか」
「うーん、それもいいかもだけれど……」
振り返り、苦笑いを見せる丈一郎。
「この近く、そんなに大した店もないし。そもそも、開校時間に外出することは禁止されているからね」
「ったく、めんどくせーなぁ」
ガリガリと頭をかく真央。
「大体、“かふぇてりあ”なんつって、きちんと腹持ちいーもんあるんだろうな? サンドウィッチとコーヒーしか置いてねえなんつったら、飢え死にしちまうぜ」
真央のボヤキをよそに、丈一郎はスタスタとレンガ舗装の道を歩く。
「ほら、もうすぐそこだよ」
そう言って前方の建物を指差す。
これまたコンクリート造りの、三階建てのがっしりとした建物。
「二階までがカフェテリアで、三階は合宿所になってるんだ」
目を丸くして、一階から三階をなめるようにして見上げる真央。
「……こんな豪華な建物、必要なのか?」
そして丈一郎を磁路り、と睨む。
「おめーら、つーかおめーの親、一体いくら学費払ってんだ? 普通の額じゃこんなもんできねえだろーが」
「いや、そんな大したものじゃないと思うけど」
へにゃ、っとしたいつもの柔らかい笑いを返す丈一郎。
「前もいったじゃない。僕の家は普通の公務員だよ。釘宮さんみたいな超大金持ちってわけじゃないんだからさ」
「……なんでもいいけどさ……」
不貞腐れたような、ひがみっぽいような表情を見せる真央。
「とっとといこーぜ。 こっちはさっきっから腹減ってしょうがねーんだからよ。どっかの誰かさんが面倒事に首つっこまなきゃぁこんなことにならなかったんだしな」
「ははは、そうだね」
ごまかすように、苦笑いを返す丈一郎だった。
「……ぼったくりじゃねえのか? これ……」
お盆を持ち、心の底から悲しそうな、そして小さな憤慨を混ぜ込んだ表情の真央。
「Aランチ大盛り350円、それがたったこれだけしかねえのか?」
今日のAランチは、チキン南蛮定食だ。
形良く盛り付けられたチキン南蛮に、ちょこんとポテトサラダが添えられており、味噌汁と、大盛りとは言いつつも申し訳程度のボリュームしかない白米が並ぶ。
お年頃の女子生徒に配慮した、すこぶるヘルシーなメニューだった。
「いくら単価が安いからっつってもよ、こんなんじゃあとてもじゃねーけど元とった気がしねーよ」
「うーん、実はそう言うと思ってた」
先ほどから苦笑いを返すほかない丈一郎。
日頃、丈一郎も同じことを考えていた。
丈一郎の手元にも、同じくAランチ大盛りのトレー。
「ほら、やっぱりうちって、聖エウセビオってもともと女子校だったからさ。そう言う名残がまだあるんだと思うよ」
「つったって、鶴園さんが入学したころにはもう共学化してたんだろーが」
はぁっ、大きなため息をつく真央。
「この学校の男どもは本当にタマついてんのか? こんなとこにまで女に気をつかわなきゃいけないなんてよ」
「だから声が大きいって!」
慌てて口元に人差し指を近づける丈一郎。
コホン、小さく咳払いをする。
「とにかく、さ、早く食べようよ。ね? きっとお腹が空いてるからイライラするんだよ」
そういってにっこりと真央に微笑みかける。
「……つってもよ……」
真央は眉間にしわを寄せる。
「……こんなに混雑してたら、座るところなんかねえんじゃねーのか?」
一階のフードコートのようなフロアには、たくさんの生徒たちが昼食をとっている。
時折男子生徒の小さな塊は見えるものの、その多くは女子生徒だ。
カフェテリアのメニューではなく、持参したお弁当を広げている生徒もちらほらと見受けられる。
「……うーん、今日は特に混んでるかもだね……」
同じく困った表情の丈一郎。
二人はきょろきょろと座るべき席を探す。
すると
「あら、真央君。それに川西君も」
二人にかけられた声のその先を見れば
「あ! 葵ちゃん!」
丈一郎が小さく手を振り返す。
「お二人もご昼食ですか?」
真央と丈一郎の同級生、大和撫子という言葉からイメージするそのすべてを具体化したような黒髪の美少女は、にっこりと笑い二人に声をかけた。
「よぉ、葵」
真央も小さく会釈して返す。
「見ての通りだ。座る場所なくてよ。その辺プラプラしてたところだわ」
「まあ、そうでしたか。あの、でしたら」
すると、葵は虫食い状に空いた席を指す。
「私たちと一緒に、ご飯、ご一緒しませんか?」
葵は、クラスメートや部活の仲間、その他数名の友人たちと昼食を取っていた。
「せっかく同じクラスになれたのですから、お食事くらい一緒にいたしませんか?」
ボソボソボソ、周囲の女子生徒が頬を寄せ合って何事か言葉を交わす様子が見える。
「……マジ? 川西君と一緒にご飯? すごくラッキーじゃない?……」
「……うんうんうん! それってすごくラッキーかも!……」
「ありがとう、葵ちゃん」
いつもの、あのへにゃっとした微笑みを返す丈一郎。
一斉に周囲の女子生徒のキュン、としたときめきが伝わってくる。
「……そういえば、川西君の隣のあの人って……」
「……この間、プールにいた人?……」
「……うん。今年からうちに転校してきたんだって。なんでも、釘宮さんのいとこらしいんだけど……」
丈一郎の隣の真央に気づいた女子生徒たちは、再び頬を寄せ合い何事か語り合う。
「……最初、ちょっと怖そうかも、って思ったけど……」
「……なんか、川西君とタイプは全然違うけど、結構かっこよくない?……」
「……うんうんうん! ワイルドな感じだし、それによく見ると顔も整ってるし。今日って、まじラッキーじゃない?……」
自分自身に寄せられる熱い視線を、野生じみた鋭い勘で察知した真央。
それは、真央にとって初めての経験だった。
今まで、これほど多人数の女子生徒に後記の視線で見られたことは経験したことがなかった。
これを正の感情でとらえるべきか、もしくは負の感情でとらえるべきか、真央自身はどのように対処すべきか全く理解ができずに戸惑った。
しかし、理解できたこともある。
「あ、ああんと」
丈一郎を眺める。
この女子生徒たちは、少なくともこの中性的な可愛らしい顔をした親友と食事を一緒にしたがっているのだろう。
だとすれば、自分はそこに居座るべきではない。
何よりも、多人数で和気あいあいと食事をとるという経験がほとんどなく、自分がこの少年少女の輪の中に入ったとしても、きっと空気を悪くしてしまう事だろう。
「なあ丈一郎、お前は葵たちと飯食ってろよ。俺はこの学食の裏でゆっくり食うからよ」
そう言ってニイッ、といつもの軽い笑顔をと食った。
「え? どうして? せっかくだからマー坊君も一緒にご飯食べようよ!」
真央の言葉の真意をはかりかね、怪訝な声をあげる丈一郎。
「そうですよ、真央君!」
しかし、一番大きな声を張り上げたのは葵だった。
せっかく意中の男性と、仲間と一緒ではありながらも食事がとれるというのに。
葵は何としても真央を引き留めたかった。
「同じクラスの仲間もいるのですから! ぜひ一緒に……」
その言葉を制すように、再び真央は笑う。
「サンキュな、葵。けどな、俺なんかのために気ィなんか使う必要ねーよ。俺は俺で、ゆっくり一人で食うからよ」
そう言って小さく手のひらを向け
「ほんじゃな」
トレーを持ったまま踵を返す。
これでいいんだ、どうせ自分と一緒に食事をしたところで、きっと空気を悪くしてしまうに違いない、真央はそう考えた。
気の利いた言葉一つ言えるわけでなし、そもそも他人と群れることが、極端に苦手なのだ。
今までは全く意識することはなかったが、この聖エウセビオに転校して、自分がいかに一人でいることになれていたのかにを思い知らされた。
「……これでいーんだよ。俺には……」
小さくつぶやき、学食を後にした。
「「……」」
葵と丈一郎は、無言でその後姿を見送る。
そして、女子生徒たちの不満そうな顔が見えた。




