4.9 (火)9:00
……ヒソヒソヒソ……
「……なあ、なんかあの転校生むかつかねぇ?……」
「……ああ。すかしやがってよぉ……」
A組の男子生徒たち5、6人が、先ほどの挨拶で女子生徒の注目を一身に集めた真央の後姿を鋭い視線で睨みつける。
ショートホームルームの終了した2年A組の教室、男子生徒たちが体操着に着替えている。
共学化したものの、もともとが女子高である。
男子用の更衣室は聖エウセビオ学園には存在しない。
ゆえに、もともと数の少ない男子たちはこのようにつつましやかに更衣を行うことになる。
「……広島出身だかなんだかしらねえけどよ、なんか調子に乗ってねえ? あいつ……」
たかだか数時間同じ教室で過ごしただけで何がわかろうというものではないが、クラスの女子生徒の関心の的になたということ、それが男子生徒の青くみずみずしい情熱と嫉妬心をかきたてた。
その彼らの視線に全く気付く様子も無く、真央は教室の机の上に座り込み、丈一郎と話し込んでいた。
……ヒソヒソヒソ……
「……なんだよ、川西の野郎、あのもじゃもじゃ野郎ともう友達になってんのかよ……」
彼らにとって、丈一郎もその羨望と嫉妬の的だった。
中性的な顔立ちとさらさらの髪の毛、そして女子生徒とも気さくに話せる社交的な性格。
進路実現のための勉強ばかりに取り組んでいるA組の男子生徒にとって、まぶしくもあり憎らしい存在、それが丈一郎だった。
その丈一郎と、目つきの悪い転校生が仲良くしゃべっている、それが彼ら男子生徒の心を嫌が応にも苛立たせた。
「このクラスにそんな悪い生徒以内から、心配しなくていいんだよ?」
丈一郎はいつもの、へらっとした笑顔を見せた。
「不安だって言ってた割には、きちんと出来たじゃん」
「……しょうがねーだろ……」
机の上に座る真央は、対照的に苦々しい顔。
「おめーも見ただろーが。あのおねーさんが俺の椅子を後から思いっきり蹴飛ばすのをよ」
「え? そうだったの?」
目を丸くする丈一郎。
「死角だったから、全然気がつかなかったんだけど」
「ったく、おめーは気楽でいいよ」
はぁ、と大きなため息をつく。
「しかもこんな女しかいねぇような環境、たまんねーよ。やっぱ俺共学校って肌にあわねーわ」
「まあまあ、そんなこといわないで」
丈一郎は苦笑しながらなだめた。
「ほら、僕以外にも男子生徒いるし。それに釘宮さんも葵ちゃんも同じクラスなんだからさ。きっと男友達も女友達も、たくさん出来るって」
そういって丈一郎は再びにこりと笑った。
「友達たくさんねえ。小学生みてーだな」
そういって真央は顔をしかめた。
……ヒソヒソヒソ……
「……なあ、見てたかよ?……」
「……何がだよ?……」
「……あの礼家があいつにすげえいい笑顔で手を振ってたのをよ……」
「「「なんだって?」」」
男子生徒は声をそろえてその言葉に反応した。
「あの清楚で美しい、礼家葵さんが?」
「この“聖エウセビオの一輪の白百合”、礼家葵さんが?」
「あの目つきの悪いもじゃもじゃ野郎にか?」
そういうと男子生徒は再び真央と睨みつけた。
「つぅかそろそろ着替えとかねーとかな」
ごそごそごそ、真央はエナメルバッグをまさぐり、体操着を取り出した。
「早く着替えとかねーと、また“でりかしー”だのなんだの、うるせーからな」
「あはははは、学習したじゃん」
同じく体操着を取り出す丈一郎。
「釘宮さんもしつけた甲斐があったってもんじゃない?」
おどけた様子で、からかうように言った。
「うるせーよ」
ゴンッ、こぶしで丈一郎の頭を叩く真央。
「人を犬ころみたいに言うんじゃねーよ」
「あはははは、ごめんごめん」
……ヒソヒソヒソ……
「……ああ、間違いない。俺はこの目で確かめたんだ……」
その男子生徒は、忌々しそうに呟いた。
「……それだけじゃねえ。あのもじゃもじゃ野郎、釘宮ともなんだかいちゃついてやがったぜ……」
「「「なんだってぇ?」」」
先ほど同様、男子生徒は驚嘆の声を上げる。
「あの聖エウセビオのクールビューティー、釘宮桃さんが?」
「陸上部のエース、“聖エウセビオのバンビガール”釘宮さんが?」
「あの目つきの悪いやろうといちゃついてただと?」
「……ああ、これも間違いなく俺は見たんだ……」
こくん、その男子生徒は重々しくうなづいた。
「……釘宮があの男の椅子にちょっかい出してよ、そしてあのやろうが後ろを向いてニヤニヤ見つめあってよ。それを何回も繰り返してやがったんだ……」
男子瀬生徒たちは、ぎりぎりと歯噛みをした。
「……許せねえ、あの野郎……」
「……ただでさえうちのクラスの女子生徒の注目集めやがっただけでも許せねえってのによ……」
「うちのクラスの誇る二大美女をものにしやがったってのか?……」
「……まだ許せねえことがある……」
その男子生徒は、さらに言葉を続ける。
「……あの野郎、釘宮の妹ともいちゃついてやがったんだ……」
「「「もう許せねえ!」」」
ガタン!
男たちは立ち上がって叫んだ。
「あの野郎、釘宮奈緒ちゃんまで落としたってのか?」
「“聖エウセビオの妹”、釘宮奈緒まであいつのものに?」
「あの“わがままボディ”の釘宮奈緒と“バンビガール”の釘宮桃、姉妹ドンブリこさえやがったてのかぁ!?」
男子生徒の妄想と欲望はとめどなく膨れ上がり、言いがかりとしかいえないようなその嫉妬は、もはや怨念とでも言うしかないようなものに姿を変えていた。
スクッ
「……行こう……」
その男子生徒も静かに立ち上がり、そして語りかけた。
「……俺たちのこの恨み、全てあいつにぶつけてやろうじゃないか……」
「おお! そうだそうだ!」
一人の生徒が賛同の声を上げた。
「一人だけいい思いしやがってよ! 俺達がどんな思いで礼家、釘宮を見ていたか、重い知らせてやろうじゃねえか!」
「……けどよ……」
1人の男子生徒は、躊躇したように弱弱しく言った。
「……あいつ、なんかいかつくねえ?……」
その言葉に、他の男子生徒たちも真央の姿を改めてみる。
「……」
ゴクリ、つばを飲む。
180近い身長に、広い肩幅、それになんといってもその鋭い目つき。
中学校時代から私立のカトリック校に通ってきた、いわばお坊ちゃんたちが感じたことのない空気をまとっている。
「んじゃ丈一郎、とっとと着替えようぜ」
「そうだね、マー坊君」
「か、かまうこたねえよ!」
恐怖心を振り払うかのように、1人の男子生徒は叫んだ。
「あ、相手はたった1人だ! 川西が味方したとしても、あのヒョロガリ一匹くらいどうってことはねえ! いくぞ!」
「「「お、おお!」」」
数人の男たちは、意を決して二人を取り囲もうとした。
そのとき――――
男たちの体は固まり、そして絶句した。
目の前には、着替えるためにはだけた真央の屈強な肉体があった。
太い腕、ゴツゴツと彫刻等で掘り出したかのように割れた腹筋、腕と胴体の付け根に盛り上がる、僧帽筋と三角筋。
たとえ複数人で取り囲んだとしても、勝ち目を感じることは出来なかった。
真央だけではない。
入学時、中性的な、ひょろひょろとした細いイメージしかなかった丈一郎も、一年間の激しいトレーニングのせいだろう、見事に引きしまた体格へと変貌を遂げていた。
「「ん?」」
自分たちを見つめる熱い視線に気付いた真央と丈一郎は、その方向を向く。
「なんか用か?」
ぶっきらぼうに声をかける真央。
「……え、えっと……」
「……あ、あのさ……」
「ひ、一ついっておきたいことがある」
ごほん、1人の男子生徒は咳払いをし、そして意を決したように言った。
「あ、秋元君って、すごい体してるんだね」
そのほかの男子生徒もそれに同調し、うなずいた。
「ん?」
真央はそういって自分の体を改めて見回す。
「まあ、俺はウェルター級だし、ま、多少はな」
「う、うぇるたーきゅうって?」
耳慣れない言葉に、戸惑い聞き返す男子生徒。
「ああ、俺ボクシング同好会だからよ」
そういってにやりと笑った。
「そ、そっかー、秋元君は川西と同じボクシング同好会員なのかー」
凍りついたような笑いを返す一人の男子生徒。
「うん、そうだよ。マー坊君ね、めちゃくちゃ強いんだよ」
へにゃっとした笑いで、丈一郎が言葉をつないだ。
「この間のスパーリング大会で、一階級上のインターハイ選手ノックアウトしたんだから」
「まあまあ、それほどでも……」
と謙遜する風を見せながら
「……あるけどな」
と胸を張った。
「あ、秋元君、こ、これから、よ、よろしくね」
おずおずと手を差し出す男子生徒。
「お? おお。つうか、秋元君なんてよそよそしいぜ」
にやり、と笑いながら手を握り返す。
「マー坊だ。マー坊って呼んでくれ」
「う、うん!」
そして、先ほどよからぬたくらみを考えていた男子生徒全員と真央は握手をした。
「なんだ、意外と気さくな連中じゃねーか」
拍子抜けしたような真央。
「だから言ったじゃん」
と丈一郎。
「このクラスの生徒、そんな悪い生徒はいないってさ」
「ぎゃはははは」
真央は、聖エウセビオに入学して初めてのこことのよい笑顔を見せた。
「思ったよりも楽しく過ごせるかもな」
それにつられるように
「あはははは」
丈一郎も笑う。
「大丈夫だって。何度も言ったじゃん。心配しなくてもいいって」




