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    4.8 (月)8:15

「いったい何のつもりだよ?」

 真央は岡添に詰め寄ろうとした。

「大体自分で言ってたじゃねーか? こんな成績じゃ聖エウセビオの中学校にも入れねーとかなんとかよ」


 真央の接近に対し、岡添は胸を押さえて後に飛び退いた。

「ち、ち、ち、近寄らないでよ! もうあなたには、指一本触らせないんだから!」 

 

 その言葉に、真央は顔を赤らめた。

「誤解を招くようなことを言うんじゃねえ! あれは事故だろうが!」

 ひとしきりのどなり声を上げると、真央は頭をぼりぼりとかいた。

「あんたほんとにそれで俺らの担任なんか務まんのかよ」


「か、か、か、関係ないでしょう! 今は!」

 そう言いながら、以前のように体を震わせた。

「す、少なくとも、あなたの担任を務めなければならないのは、わ、私なんだからね? 絶対にあなたは私の言うことを聞かなければならないんだから!」


「どういうことなんですか、岡添先生?」

 葵は先程より胸によぎる疑問を岡添にぶつけた。

「秋元君の成績は、まあ……この間、私も確認させていただいたのですが……」

 そういうと真央の目を見つめ、すまなそうに苦笑い。

「……とても……Aクラスに編入できるとは思えないものだったように記憶しているのですが」


「そうですよ。えっと、岡添先生。実力試験の時のマー坊の成績は……」

 やや憐れんだような表情で真央の顔を確認し

「……あれがAクラスとは……ちょっと、ねえ……」


「うっせー!」

 二人の言葉に、真央は再び感情を爆発させた。

「いわれるまでもねーよ! どうせ俺は頭わりーよ!」


「ひっ!」

 びくっ、その真央の態度に、岡添女史は慌てて後ろに飛びのいた。

 そして、5人の冷たい視線を感じながらも、ゴホン、取りすましたような咳払いをし

「あ、秋元真央君のような生徒には」

 というと、桃、葵、そして丈一郎の陰に隠れながらも、クールで威厳を込めた口調で言い切った。

「歯止め役、監視役が必要です。その役目を果たせるのは、釘宮桃さん、礼家葵さん、そして川西丈一郎君を置いてはほかにありません。しかし、成績の良い御三方をあえて下のクラスに下げるというわけにはいきません。ですから、あえてあなたをAクラスに編入することにいたしました」


「さっきからいってんじゃねーか。言いたいことがあるんなら人の目を見て言えってよ」

 耳を小指でほじりながら真央は言った。

「別に取って食いやしねーんだからよ。要するに、桃ちゃんたちを、俺の保護者にさせたい、そう言うことだろ?」


 すると、三人の後ろで、岡添はおびえた様子でこくこくとうなずく。


「……さすがにそれは……」

「……うん、ちょっと……」

「……ねえ……」

 三人は顔を合わせて苦笑いをするが


「そ、そんなこと言わないで! お願いだから!」

 岡添の絹を切り裂くような声が響いた。

 桃と丈一郎のの腕を掴むと

「お願いだからそんなこと言わないで! 何かあったら、またあの時みたいに襲われでもしちゃったら、あたしどうしたらいいの? あなたたちだけが頼りなんだから!」


「ちょとまてやぁ、ねーちゃん!」

 真央は飛び上がるようにして言った。

「まだそんなこと言ってんのか? また俺を犯罪者みたいにいうの、やめえや!!」


 すると岡添は震えながら真央の全身を見回し

「無理!」


「おゥい! この制服は、おまえらぁの学校の制服じゃろうが!」

 真央は岡添に詰め寄ろうとする。


 桃の後に隠れて岡添が叫んだ。

「いやー! こないで!! 助けてー!!!」


「ああー、もう……またこういう……」

 そういうと桃は目じりを人差し指で押さえた。

 いったいなぜ自分がこの少年の面倒を、学校の中においてまで見なければならないのだろう、桃は暗澹たる心地がした。

「えっと、とにかくわかりました、岡添先生。私たちがこの男のお目付け役をすればいいんですよね? 何かあったら行ってください。すぐにしめますから」


「大丈夫ですよ、岡添先生」

 葵も語りかけながら、岡添女史の心を落ち着け様とするかのように、柔らかく笑った。

「桃さんに任せておけば、先生の身に危険が及んだ時にも、きっと助けてくださるでしょうから」

 葵にしてみれば、桃が一緒にいるとはいえ、真央との時間を今まで以上に増やすことができるのだ。

 それは、願ったりかなったりといったところだ。

 

「……おめーら、いったい俺の事をなんだと思ってやがんだ……」

 苦虫を噛み潰したような表情の真央だった。


 その二人の言葉に、岡添は安心を覚えたのだろう 

「とはいえ、私どもも今のままのあなたに、そのままAクラスで勉強についてくることができるとは思いません」

 眼鏡の位置を右手の人差し指で直し、しかし、三人の後ろに隠れたまま言った。

「あなたには放課後、1時間程度の補習を受けてもらうことになります。サボったりすることのないよう、しっかりと受講するように。わかりましたか?」


「な、なんだよ。また急に強気になりやがって……っつーか補習なんて勝手に決めやがってよ……」

 しかし、その言葉に逆らうことはできない。

 あの桃、そして葵、丈一郎が同じクラスにいるのだ。

 彼らの顔をつぶすわけにはいかない、真央はその言葉をしぶしぶながらも受け入れざるを得なかった。


「これをみても、そんなことが言えるのでしょうか」

 ふう、やれやれ、と言ったため息をつくと、ポケットから数枚の原稿用紙を取り出した。

「これを見てください。これはせめて実力試験の埋め合わせとして課した、読書感想文です。提出期限は三日前。何とか期限に間に合わせたまではよかったのですが」

 岡添女史は四人の前にそれを突き出して見せた。


「ああ! てめえ、なにしやがんだ!」

 真央は顔を真っ赤にして叫んだ。 

 そこには、とても高校二年生になろうとする男の書く文章とは思えない、ミミズが張った形跡の方がまだましな文体で、わずか数行の、文章のような何かがしたためられていた。


「「「「……これは……」」」」

 三人は顔を見合わせ、表情を引きつらせた。

「「「「……ちょっと、何とも……ねえ……」」」」


『どくしょかんそうぶん 「さんびきのやぎがらがらどん」をよんで

かんそう やはりからだがでかいほうがつよいんだなとおもいました。てゆうかおおやぎ、おまえがせんとうにいけ』


 はあっ、岡崎女史は天を、チョモランマよりも高い頂を仰ぎため息をついた。

「本当にあなたはいったい何を勉強してきたのかしら? 私は実力試験の不出来を補うためのせめてもの救いの手を差し伸べようと思ったというのに! 夏目漱石の『坊ちゃん』など、お勧めの本も示したでしょう? あなたのこの文章からは、全く真面目に取り組もうという意思が感じられません!」


 真央はうなだれたままぶるぶると肩を震わせた。

 

 その真央の様子に、嫌な予感のした丈一郎と奈緒は、とりなすように言葉を挟んだ。

「……あの、先生、もうその辺にしておいた方が……」

「そ、そうですよー。マー坊君、こう見えて、結構ナイーブで、えへへへー」

 

 奈緒の愛想笑いをよそに、岡添女史の精神攻撃は続く。

「だいたいですね、あなたのような人間をこの高校で預かるなんて、そもそもが間違っているのよ!」

 腰に手を当てて岡崎女史は続けた。

 完全に精神的優位に立ったことを実感したせいだろうか、数日前に自分の身に何が起こったのかも忘れたような強気な様子だ。

「しかもあなたの担任になるのはわたしなのよ? あなたのような人間を面倒見なければいけない私の――」


「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 真央が爆発した。


 その声に、びくっ、岡添は体を硬直させた。


「うっせーんだよ! わりーかよ!! どうせ俺は頭わりーよ! 返しやがれ! 俺の原稿用紙!!」

 そういうと岡崎女史の手から原稿用紙をひったくろうとした。


「ちょ、ちょっと! 乱暴はやめ……あっん」


 ズタァン


 二人はもつれあい、そのまま倒れこんだ


「……ってぇ……」

 頭を振る真央の手には不思議な感触が。

 この感触は、すでにこの間経験したことがある。

 スーツの上からもわかる、葵とも奈緒とも、そして桃とも違う成熟した大人の





 胸のふくらみ





「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」  

 岡添女史は真央を突き飛ばし、胸元をきつく抑えた。

「おかーさーん! たすけて! またおそわれるー!!」


 ああ、いつものパターンだなこれ、全てを受け入れた真央は、おとなしく桃の右ストレートを、そして葵の股間つぶしを制裁として受け入れた。


「あちゃー」

 丈一郎は顔をしかめた。

「……真央君、インターハイ予選の前に、体持つのかな……」


「すごいねー、二人とも」

 一方であくまでものほほんとした表情の奈緒。

「相変わらず桃ちゃんの右ストレート、すごい威力だね。あのタフなマー坊君がほとんど意識飛びかけてるよ。それに葵ちゃんもすごいねー、にこにこしたままマー坊君の股間、けり潰しているよー」


 その真央の痛みを思うと、同じ男として丈一郎はその無事を心の底から祈るほかなかった。

 静かにその両手を合わせ

「……マー坊君、僕にはどうすることもできないんだ。非力な僕を許してくれ……」


「んんー」

 首を傾げる奈緒。

「ねえ丈一郎君、股間をつぶされるって、そんなに痛いのかなー?」

 無邪気に訪ねる奈緒に対し

 

 丈一郎は静かに首をふった。

 そして優しく奈緒の肩を掴むと

「……世の中にはね、君のような女の子が知らなくてもいいことがあるんだよ……」

 その目は遠くを見ているような、慈悲に満ちた目をしていた。


 奈緒は頭の中をひねくり返して色々と想像を働かせようとしていたようだが

「んんー、わかんないや」

 想像を絶するが故に、その想像を超える痛みに対して考えを及ぼすことの無意味を悟った。

「ところでさ、丈一郎君、今月の『ボクシング・ライム』もう一度見せてよ」


「あ、うん、いいよ」

 悶絶する真央、怒りに震える桃、冷酷な笑顔の葵、一柱の阿修羅像仏像のような三名をよそに、丈一郎は『ボクシング・ライム』をカバンから取り出し

「ほら、どうぞ」

 と奈緒に差し出した。


「ありがとー!」

 それを受け取ると、丈一郎と二人でその記事を読みだした。



「あ、全国高等学校ボクシング選抜大会の結果のってるねー」

 奈緒は、先月開催された全国高等学校ボクシング選抜大会の結果を目にした。

 全国高等学校選抜大会とは、インターハイ、国体と並ぶ高校ボクシングの頂点を決める大会である。

 これらをすべて制覇すると高校三冠とよばれ、その栄誉が称えられる。

 現在活躍する奥のアマチュア出身のプロボクサーも、この高校の頂点を決めるタイトル戴冠を、何らかの形で果たしている。

 それほどに、この大会は高校ボクシング界において重要なタイトルなのだ。

「……なになに……“高校ボクシング界の新星、ウェルター級王者、神崎桐生(群馬)”だって」


「へえ、そこまで見ていなかったな、どれどれ……」

 そこには、選抜優勝を果たした選手、群馬の神崎桐生に関する記事が掲載されていた。

「“当時まだ一年ながら、卓越したボクシングテクニックで瞬く間に高校ボクシング界にその名をとどろかせた。国体出場はならなかったものの、インターハイと合わせて高校二冠を達成した”か」

 そして奈緒の顔を見て言った。

「この人、順当にいけばマー坊君と対戦することになるのか」


「そうだねー。それにほら、この海外ボクシングの記事、見たー?」

 ページを繰ると、小さな囲み記事を指差した。


「ああ、それは見たよ」

 丈一郎は頷き、改めてその記事の内容を読んだ。 

「“元オリンピックメダリスト、スン・シャミン初黒星、ロバート・ホフマンのアジア戦略に大きな障壁か”だね」


「うん」

 奈緒はうなずき、その記事の続きに目を通した。

「“新興のアジア市場、特に中国、日本市場を開拓するために契約を結んだスン・シャミンが、マカオにおけるノンタイトル戦で敗北。それにより世界最大手のプロモーター、ロバート・ホフマンはその意図していたはずのアジア進出戦略を大きく見直す必要性に迫られた”だって」


「でもあのロバート・ホフマンの事だから、この巨大な市場をみすみす見逃すはずはないと思うけど」

 丈一郎は腕組みをして言った。

「ま、そんなことより僕たちは目の前のインターハイ予選目指して頑張ろうよ」


 その言葉を聞くと、奈緒はにっこりと笑い

「うん! そうだね! がんばろ!」

 と返した。


 もしこの世に運命というものが存在するのならば――


 フリオに壊されたブウェンゲの事を耳にした時、桃はこのように考えた。

 世の中に、運命というものが本当に存在するのかどうか、それはわからない。

 しかし、それを後に俯瞰として眺めたとき、クロスする人間関係をそう呼ぶこともまた確かに可能である。

 桃も葵も、丈一郎も奈緒も、そして地面に転がる真央にも、交錯する何か、運命と呼ぶべきものが存在するのではないか、自分たちはその運命というものに導かれていたのではないか、そのように思える瞬間が、この後待ち構えているとは知る由もなかった。

 しかし、今それを言うべきではないのだろう。

 今はただ、その運命の大きな嵐が吹き荒れる直前、いわばもっとも静かで穏やかな時間、その只中にいるのだから。

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