3.31(月)20:40
「女の子にはね、優しくして。絶対。痛くしないで」
うるんだような瞳で、真央を見つめる桃。
「あ、ああ。わかった……覚えとくわ」
かろうじて返答をする真央。
そして再び、もともとあぐらをかいていたフローリングの位置に戻ろうとした。
「わかればいいよ」
桃は優しく微笑んだ。
そして自分が座っているベッドの横をポンポンと叩き、そこに座るように指示するようなしぐさを見せた。
「それに、ありがとう。あたし、こういうの貰ったこと、あまりないから」
桃の笑顔がすっと真央の胸に入り込む。
「あ、ん。そ、そっか」
しどろもどろになりながら真央は答えた。
そしてそのサジェストに従うようにベッドに腰かけ
「喜んでくれたんなら、俺も嬉しーぜ」
「でもなんだか、すごく意外だな」
表情を和らげながら、桃はアクリルボックスを宙にかざす。
「君がこういう、女の子向けのプレゼント選べるだなんて思いもよらなかった」
「へっ、まーな。一応丈一郎に相談に乗ってもらったりしたんだけどな」
その表情につられるように、真央も笑顔になった。
「プレゼント見てーなもん貰ったこともねーし、あげたこともねーんだ。大体桃ちゃんが生活費受け取ろーとしねえからよ」
「それに関しては前も言ったじゃないか。気にする必要はない、って。けど――」
一瞬真剣な表情になった桃だが、ふっ、と再びその表情は和らいだ。
そして真央の方へ目をやり
「けど、考えてみれば、君はそういうのすごく大切にする人だったんだよな」
「ぎゃはは、よくわかってんじゃねーか」
笑いながら真央は言った。
「あたしさ、君に前から聞きたかったことがあるんだ」
ふと、桃は以前から気になっている疑問を口にしてみた。
「君を見てると、君と話してると、何かさ、たまにすごく不安になる時があるんだ」
「不安?」
真央は怪訝な表情で訊ねた。
「どういう事だ?」
「不安、って表現がわかりづらいなら、そうだな、影みたいなものを感じる時があるんだ」
桃は、真剣な表情で、真っ直ぐに真央を見つめていった。
「あたしとは、見てきた風景が全く違う人なんじゃないか、ってさ」
「へっ、広島でのこと、か」
真央は自嘲するような笑いを浮かべた。
「“花の都に憧れてェ、飛んできましたァ一羽鳥ィ”か。そんなもん、聞くだけ無駄だぜ」
すると桃は、ふっ、と笑う。
「前も言ったけど、別に君の人生を聞き出そうなんて、思ってないよ。ただ、何となくそう思っただけ」
美しく大きな瞳が、真っ直ぐに真央を見つめた。
「桃ちゃん……」
その美しい瞳に、魅入られたように固まる真央。
「あーもう、くそ。なんだろうな」
顔をしかめ、もしゃもしゃと頭を掻く。
そして、改めて桃に相対していった。
「俺よ、両親いねーし。それに中学校もまともに通ってなくてよ、友達もほとんどいなかったんだ。だから正直、女の人もだけど、人とどうやって接していったらいいかわかんねーんだ」
「うん」
その言葉をそのまま受け止めるように桃はその言葉に耳を傾けた。
「俺、正直それでいいと思ってたんだ。それが俺の人生だって。みんな仲良くなんてくそっくらえだって、唾吐くような人間なんだよ」
無意識のうちに、いつしかそのこと真に熱がこもり始める。
「ほかの連中みたいに群れる必要なんかねーんだ、俺は一人でも生きていけるんだ、ってな。一日も早くプロボクサーになってよ、世界チャンピオンになるんだって、それが俺の生き方だって」
ぎゅっ、大きな、ごつごつとした石のような右拳を強く握りしめた。
「なんでかな、桃ちゃんと二人っきりになるとよ、言わんでもいいことしゃべっちまうんだよな」
「そっか」
その言葉に何の言葉も差し挟むことなく、桃はただうなづくのみだった。
「だけどな、この一か月近く、本当にいろんなことがあってさ。いろんなことが――」
うん、と確信したようにうなづき、右拳を解いて真っ赤になった手のひらを見つめる。
「180度、か? 変わったと思った。だけどな、それは嫌なことじゃねー。なんか、すげー楽しいんだ。なんつーかさ、桃ちゃんたちと一緒にいると、生まれて初めてかもしれねー、こう、その、なんだ」
その手のひらを、左胸に当て
「胸がな、じんわりするんだよ。こう、ぼわってするっつーか……なんだかな」
うつむきながら目を閉じ、自分の気持ちを表現する言葉を探した。
「すまねー、頭わりーから、考えてることうまく言葉にできねーんだよ」
「わかるよ」
静かに、桃は言った。
「へっ、だよな。俺頭わりーのは――」
「そうじゃない」
「あ?」
「そうじゃない。君が何を言いたいか、あたしにはわかるよ」
桃も右手を胸に当て、包み込むように言った。
「君の言いたいこと、きちんと伝わってるから」
そして、優しく笑いながら真央と視線を合わせた。
「言葉じゃないんだよ。こういうのは、ね。人間には、こころがあるから」
「こころ?」
真央はその真意を測りかね声をあげた。
「言葉じゃなくったって、こころって通じ合うものなんだよ」
すると桃は
「右手出して」
「お、おお」
真央はその言葉に従い右手を出した。
そして桃は、それまで胸に当てていた右手を真央の右手に重ねた。
「ね、あったかいのわかる?」
「ん、んん」
真央の右手に、桃の手が重なる。
その手を通し、桃の手のぬくもりが真央に伝わる。
暖かい。
しかしそれは、物理的な熱だけではない。
桃の手と触れ合うだけで、胸が再びじんわりとしてしてくる。
鼻の奥が、何故かつぅん、としてくる。
「――ん、俺頭わりーから、言ってることはよくわかんねーけど」
真央は目を閉じ、そしてゆっくりとそのまぶたを開き
「だけど、桃ちゃんの言ってる事、なんかわかる気がするぜ」
「そっか」
にっこりと笑ってその手を離す桃。
「君のプレゼントもそう。ちゃんと君のこころ、伝わってきたから」
「ありがとうな、桃ちゃん」
にいっ、真央は笑った。
「桃ちゃんは俺にとって、大切な恩人で、友達だよ」
「やめなよ。そんなんじゃないから、あたし」
小さく首を振って桃は言った。
「あたしは、奈緒とか葵とかとは違うから。あたしなんか、いつも君に対して、なんていうか、こう……暴力的に、なっちゃっうことが多いのに……」
その言葉を聞くと、真央は言った。
「知ってるか? 俺、気の強い女、嫌いじゃねーんだぜ」
「マー坊……」
その言葉を聞くと、桃も笑って言った。
「ん、それも知ってる」
「へへへっ」
「あははっ」
二人は見つめあい、そして笑いあった。
「そういやよ、約束覚えてるか? いよっと――」
そう言うと真央はベッドから飛び降り、桃の目の前に立った。
「俺の世界戦、スペシャルリングサイドで見せてやるってな」
「うん」
桃はその顔を見上げるようにして言った。
「もういっこ約束ができたぜ」
そう言うと桃の目の前に右拳を突き出した。
「金メダル取ったらよ、桃ちゃんにプレゼントするよ。約束だぜ?」
「……」
しばらく真央の拳を無言で見つめ
「うん」
にっこりと笑って言った。
「じゃ、俺もう行くわ。時間取らして、悪かったな」
真央は人差し指で鼻の下をぬぐって言った。
「今日はよ、桃ちゃんの女らしーとこ見れて、嬉しかったぜ」
「え?」
びくん、その言葉に桃の体が大げさに反応した。
「ちょちょっと、何を言ってるんだ?」
耳元の髪をかきあげながら言った。
「さっきの桃ちゃんの手のひら」
真央は先ほどまで桃と触れ合っていた手のひらをじっと見つめ
「すっげー、柔らかかったぜ」
ニイッと笑った。
すると桃は、体をプルプルと小刻みに震わせた。
「うるさい! ばか! さっさと部屋に帰れ!」
「へいへいへい、っと」
ポケットに手を突っ込み
「んじゃ、また明日な」
ドアを開けて部屋を出ていった。
「……ったく、あいつ……」
ふうっ、と小さなため息をつき、自分のデスクチェアに腰かける。
机につくと、手に透明のアクリル容器に入った色とりどりのシュシュを卓上のライトに照らして見る。
くるくると回しながら、カラフルな色が目に飛び込んでくる。
「……ばかなんだから……」
その顔は、心なしか赤く火照っているようにも見えた。




