3.31(月)19:30
ばちん、勢いよく両手を合わせる音がリビングに響く。
「ごっそさんでしたぁ!」
両手を天に掲げるようにして深々と頭を下げる。
「いやあ、うまかったわ。奈緒ちゃんの作る和食はさいこーだわ」
ぽんぽん、右手で胃のあたりを叩く。
「ほんと? すっごくうれしーなー」
にこにこといつのもゆるゆるとした笑顔。
「えへへへへ、いっぱいおかわりしてくれて、きっとご飯も喜んでるよ」
「うん。なかなか上手になったな」
妹の嬉しそうな表情に自慢げな桃。
ふうふう、と味噌汁の器に息を吹きかけ、その香りと共にズズッ、一口含む。
桃の口中に、魚介のうまみとふくよかな信州みその風味が広がる。
「出汁はカツオかな? ちょっと塩加減が強いかもだけど、十分美味しく食べられるよ」
「ほんとにほんと? 桃ちゃんにも美味しく感じられる?」
興奮したように目を丸くする奈緒。
「うん。すごく美味しいよ」
妹の料理の腕の上達に、姉の桃は笑顔で答えた。
「なんかさ、最近すごい料理上手になったよね。いままで何度言っても家事なんてほとんどやらなかったのに」
「そうなんか?」
かちゃかちゃ、真央は卓上の食器をまとめながら言った。
「俺が初めてこの家に来た時だって、結構旨いもん作ってたじゃねーか」
「さあ、どうだか」
ズズッ、味噌汁を干すと、カチャリ、汁椀と箸をテーブルに置く。
「あんなにしっかり仕度したのは、あの時が初めてなんじゃないか? 今まではあんなことなかったのに」
「え、えっと、それは、ね……」
肩をすくめて頬をポリポリかく奈緒。
「……や、やっぱり、一緒に食べる人がいっぱいいた方が、ほら、作り甲斐、あるし……」
その言葉に、少々むっとした表情で
「それはあたしと二人じゃ作り甲斐がない、っていう風に聞こえるんだけど」
「……そういう意味じゃないけど、やっぱり、二人じゃ寂しいじゃん……」
そのまま奈緒は俯いてしまった。
「あ、あぁん、と」
こまったぞ、という風に真央は頭を掻き毟った。
女性、しかもかわいらしい姉妹が言い争いをしている。
このような、険悪ないたたまれないような雰囲気の中で、真央は今まで経験したことのないような息苦しさを感じた。
そして恐る恐る
「あ、あのよ、せっかく旨い飯皆で食ってんだからよ、もうちっと楽しくくおーぜ。な? 喧嘩なんてしねーでよ」
「別に喧嘩なんてしていないんだけど」
きっ、と真央を睨む奈緒。
「まあでもよ、俺は奈緒ちゃんの気持ちわかるぜ」
苦笑いしながら真央は言った。
「大体よ、俺なんて親父が死んでこれまで、人とまともに飯食ったことなんかねーんだからよ。なんだっていいから、飯食う時位は、楽しくくおーぜ。な?」
この男にしては珍しく、周りを気遣うような言葉を発した。
「まあ、ね」
ばつが悪そうに顔を背ける桃。
美しい髪がそれに合わせてぴょこり、と揺れる。
「君がそう言うなら、それでいいんだけど……」
「……マー坊君……」
切なそうな表情で真央を見つめる奈緒。
「……ありがと。マー坊君……」
その顔は、心なしか火照ったような、紅潮した色を見せた。
「さ、うめー飯たらふく食わせてもらったからよ」
がたっ、勢いよくテーブルチェアから立ち上がる。
そして手早く食器をまとめて両手に抱えると
「先に風呂貰うぜ。なんたって“でりかしー”のある男だからよ? 俺はな」
にいっ、白い歯がこぼれて見えた。
「んじゃ、おさきに、な」
揚々とキッチンへと消えていった。
「……」
やや顔を赤らめた桃は、無言で食器をまとめる。
がたっ、真央と同じようにテーブルチェアから立ち上がる。
「……あのさ、奈緒」
奈緒の方を見ることなく声をかける。
「ほえ?」
右手に箸を挟んだままご飯茶碗を両手で包むように持つ奈緒の声。
「どーしたの?」
「……ごめんね、けど、ほんとに美味しかったから。それは嘘じゃないから」
そう言うと奈緒の姿もキッチンの方へと消えていった。
「……」
状況がつかめないかのようにぼーっとその後姿を見つめていたが
「えへへへへへへへへー」
蜂蜜を流したような甘くとろけるような笑顔を見せた。
「だぁああああああああああ!」
熱いシャワーに身を叩かれながら、真央は頭をごんごんと壁にたたきつけて叫んだ。
「何やってんだ、おれわぁ!」
そして何度もポンプの頭を叩き、溢れんばかりに大量のシャンプーで頭を洗う。
「せっかく買ったプレゼント、渡しそびれたじゃねーかぁ!」
さかのぼること二時間ほど前。
カフェ・テキサコを出た真央と丈一郎は、かの大捕り物のあった駅前のロータリーへと向かった。
駅ビルへと向かう交差点の信号が赤になった。
横断に間に合わなかったこの凸凹コンビは、素直にその信号の指示に従い、それが青に変わるまで待つことになった。
「結局さ、何上げることにしたの?」
見上げるようにして訊ねる丈一郎。
ブロロロロロ……
二人の前を市営バスが通り過ぎる。
バスの排気ガスが二人の前に充満した。
う、ううん、軽く咳ばらいをした後
「まあ、漠然としたものなんだけどな。けど、あの二人に似合うもの、っつったらこれしかねーかな、って感じかな」
硬く腕組みをしたまま、前方を見据えて真央は言った。
すると丈一郎の方を振り返り、見下ろすようにして
「わりーけどよ、俺のいうようなの売ってる店」
そして駅ビルを指さすと
「あのビルん中のどこにあるかわかんねーから、付き合ってほしーんだよ」
その指さす先のやや下方に横断歩道の信号が見える。
その色は、にわかに赤からやや緑が勝った青へと変わった。
ピヨッ、ピヨっ、ピヨッ
歩行者用の発信音が鳴り響く。
コツ、コツ、コツ
それに合わせて二人は横断歩道へと足を踏み入れる。
「OK、了解」
大股で歩く真央に合わせるように、丈一郎はせかせかと足を動かした。
時計は再び二時間後へ。
ごしごしごしと洗った頭を、熱いシャワーで洗い流す。
そして再び壁へ頭を打ち付け、その後頭をバスルームの壁につけ、もたれかかった、
「ああ、ったく。買ったはいいんだけどよ。プレゼントって、どんなタイミングでわたしゃーいいんだよ」
そして再び姿勢を正すと
「がわわわわわわわわわ」
口を開けてシャワーで口の中を洗い流すようなしぐさをした。
ぺっ、口中に残るお湯を吐き出す。
「ったくあの野郎。そういうところは全く教えてくれねーんだからよ」
時計は今度は一時間半前へ。
「マー坊君にしては、なかなかのチョイスじゃん」
真央の横で丈一郎が語り掛けた。
二人は連れ立って帰路を行く。
「……なんか、すげー疲れたわ」
ぐったりした様子の真央。
「あんなに女だらけの店は言ったの初めてだよ」
そう言うと自らの肩をとんとんと叩く。
「体かちこちになっちまったぜ」
「まあまあ」
丈一郎は苦笑した。
「でも、思ったとおりのもの手に入れられたから、よかったんじゃない?」
「ま、そうだな」
そう言うと右手に下げた紙袋の中に目を移した。
そしててくてくと釘宮家への道を歩く。
それから十分ほど歩くと
「ところでよ」
「なに?」
丈一郎は訊ねる。
「あぁんと」
そう言うと真央は歩みを止め
「なあ、どういうタイミングでこれ、渡せばいいんだ?」
真剣な表情で訊ねた。
同じく足を止めた丈一郎は、ふふっ、小さく笑い
「それはさ、マー坊君が自分のタイミングで渡すしかないじゃない? マー坊君よく言ってるじゃん。ボクシングはタイミングが命だって」
「ああん?」
真央は顔をしかめた。
「んなこと言ってねーで教えろよ」
「あはははは」
さらに丈一郎は笑い、歩き出した。
「そこはさ、やっぱりその時々のタイミングがあるんだから。ね? だから僕にも教えられないよ」
「ちょ、ちょいまてや!」
あわてて真央はその後についていく。
「まあ、頑張ってよ」
そしていつもの十字路にたどり着く。
「じゃ、頑張ってね。僕はこっちだから」
「……ったくよお」
そう言うと、真央は、ごそごそと紙袋から包みを取り出し
「そら、これ、持ってけよ」
そういうとぽん、と包みを投げて渡した。
「え?」
きょとん、とした表情でそれを受け取る。
「これ、何? 僕のだったの?」
「桃ちゃんたちだけじゃなくてよ、お前にもなんだかんだで世話んなってんからな」
そう言うと、ニイッ、と笑い
「俺よ、正直こんな仲良くなった友達ってのが初めてでよ。友達っつーか、ボクシング仲間か?」
そう言うと真央は首を傾げた。
「まあなんにしろ、今後もよろしくな」
「マー坊君……」
思いもよらぬプレゼントを、丈一郎は両手でそれを包むようにして抱えた。
そしてそれをバッグに大切にしまい込み
「ありがと! 大切にするねっ!」
そして自身の家への道を小走りに駆けていった。
その丈一郎の姿が見えなくなるまで見送っていた真央は
「さて、っと」
再び紙袋を抱えると
「早く帰って、さっさとこれ、渡しちまうかな。緊張する必要ねーよな。ほい、って、軽くわたしゃーいいんだ。うん。それだな」
自分を納得させるかのように呟き、釘宮家が待つ家へと歩いて行った。
「……甘かったぜ……」
時計は再び一時間半後へ。
安易に考えていた自分を責める真央。
「ちくしょう、なんでこんなことで緊張しちまうんだ、俺」
きゅっ
シャワーの元栓を閉める真央。
タオルで簡単に体を拭くと、脱衣所へと出る。
そしてバスタオルで体を手早く拭き、スウェットに着替えた。
バンバンッ!
何かを確かめるかのように両方を叩く真央。
いい感触だ。
うじうじするな、ただ感謝を形にして渡すだけ、ただそれだけの事だ。
「いよっしゃあ!」
決意を固め、リビングへと向かって行った。




