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    3.31(月)17:00

 アメリカ合衆国、この巨大な人口国家には、「大いなる不在」が存在する。

 ヨーロッパ大陸や日本のように、近代的な個人と歴史的桎梏との相克と呼ばれるものは存在しない。

 存在するのは、彼らが自分たちに対し神が与えたもうたとする、空間のみだ。

 その空白の中に、建国当時より現在に至るまで、人工的に国家を作るための大いなる実験を行う。

 その歴史の不在を、その途方もない取り組みを、高みに立って笑って見下すことはたやすい。

 しかし、現在に至るまで続けられる国家の創造という空前の試みを、アメリカという国以外に、いったい誰がなしえようか。

 建国の父たちの志を受け継ぎ、先住民族を圧迫し、たくさんの対外戦争を繰り返した。

 得たもの以上に、失ったものもまた多く、国民は深く傷ついた。

 しかし、それでもこの国と、そしてこの国の国民は建国の営みを止めることはできないのだ。

 ヨーロッパからの完全な断絶の中で、全てを理想の下にまとめ上げ、それを実現し続けなければならない。

 世界最高の先進国でありながら、この国は常に渇仰する途上国の側面を見せるのだ。

 その営みに、我々はただ素直に敬意を表すればよい、ただそれだけのことだ。





 ラスベガス・ストリップに密集するホテル街の喧騒を抜けると、トロピカーナ通りに直交する。

 そこから西へ数百メートル進み、フリーウェイルート15号線の南行きへ乗ると、開拓時代の乾いた熱い風の吹く荒野が待つ。

 さらに数分走ると現れるフリーウェイルート215号線とのジャンクションで、東へとハンドルを切る。

 そこからおよそ15分、フリーウェイルート93号線と95号線とのジャンクションで南へと向かい、約10分、車を走らせる。

 すると途中から一般道になり、ブキャナン通りとの交差点を左折し、山道を道なりに進む。

 そこから進むこと約 10分、リンカーンは小型揚水艇のように検問所へと滑り込む。


 腰に物々しい拳銃をぶら下げた警備員が、両手で押しとどめる様にしてリンカーンの前に立つ。

 警備員は運転席に近寄り、ウィンドウを開けるようにジェスチャーする。

「よう、ベンじいさん。まだクビにならずに仕事を続けられてんのかい?」

 口髭を綺麗に整えたスパニッシュの警備員は、このリムジンの運転手、オールド・ブラック・ベンジャミンの顔見知りのようだ。

 形式上だけど、という風にベンからドライビング・ライセンスを受け取り、チェックを行う。

「結構なこった。オクラホマの娘さんたちのためにも、あんたははまだまだくたばるわけにはいかねえだろうからな」


「オーヤー、ナチョ。あんたもな。きっと神さまの思し召しさ。オーヤー」

 ライセンスを受け取ると、かけた前歯をむき出しにして顔をしわくちゃにした。

「それからな、オーヤー、今日からわしは、別の主人に仕えることになったんだ。オーヤー」


「ほう、じいさん、よかったじゃねえか」

 大げさな仕草でナチョはベンを祝福した。

「めでたいじゃねえか。天にまします、マンマ・マリアに感謝しとけよ。で、後に乗るのは、あんたの新しいプレジデント様、ってわけかい?」


「オーヤー、ナチョ。世界で最高の、ミスター、さ」

 そういうとベンはウィンドを閉じ、サイドブレーキを解除して坂道を登っていった。

 

 その後ろでは、ナチョが太った体を揺すりながら、手を振りリムジンを見送っていた。





 フーバー・ダム。

 アメリカを、世界的に見ても最も重要な巨大ダム。

 その駐車場に、音もなく巨大なリムジンが侵入する。

 時間帯のせいだろうか、そこにはほとんど人影は見られない。


「オーヤー、ミスター」

 ベンがずっしりとしたドアを開ける。


 その中から無言で、二人の男が姿を現す。

 マネージャーのネッド、そしてボクシング世界ミドル級チャンピオン、フリオだ。 

 二人はそのまま無造作にリンカーンのボンネットに腰をおろした。


「改めてみると、本当にたまげたでかさだな」

 ダムのその巨大さには、さすがのフリオ・ハグラーも舌を巻くしかなかった。


「当然さ。このダムはただのダムじゃない。世界恐慌に叩きのめされたこの国の、いわば復興のシンボルみたいなものさ」

 ラスベガスから離れることの30マイル、アリゾナ州との州境に流れるコロラド川に築かれたこのダムの建造は1931年に着工され、その名は第31代大統領のハーバート・フーバーにちなむ。

 しかしむしろ、多くのアメリカ国民は、その後のニューディール政策の、TVAと並ぶ公共事業の一環としてこのダム建造を捉えている。

 ダムが1936年に完成するまでに、建設のために、平均 にして3500人、最大で5218人もの労働者が汗を流し、96人もの人間が死んだ。

 F.ローズベルトのニューディール政策が世界恐慌を吹き飛ばし、そしてその後に続くファシストとの戦いに勝利する原動力となった、多くのアメリカ人が“信じたがっている”建国神話の一つだ。


「F.ローズベルトねえ」

 フリオは鼻でそれをせせら笑った。

「俺にはどう考えても、失敗したニューディール政策のツケを、戦争によってあがなおうとした男にしか思えないんだがな」


 その言葉を、ネッドは苦笑して聴いていた。

「まあ、あの戦争に関しては、お互い穏やかじゃいられないね。僕も、そして君も」


「ただ、お互い今はこうしてこの国の国民として生活しているわけだ」

 ため息交じりにフリオは言った。

「このダムが、復興のシンボルだという神話を、ひとまずは受け入れるしかないだろうな」


「ダムが復興のシンボルだなんて、どことなく素敵な考えじゃないか?」

 子どものように瞳を輝かせ、ネッドは言った。


「まあな。その考え方はしっくり来る」

 フリオは両腕を組み、そして頷いた。

「まさしくここは、アメリカ人の“クロベノタイヨウ”ってことだな」


「なんだい? それは?」

 眼鏡を抑え、ネッドは訊ねた。


「こっちのビジネスだ」

 そういうとフリオはボンネットから飛び降りた。

「さあ、バカンスはこれで終わりだ。明日からはまたトレーニングを開始しようじゃないか? 至急兄貴にメールしといてくれ」


「相変わらずだな」

 ネッドは笑った。

「君には君のビジネスが、僕には僕のビジネスがある。君がロバートと話し合ってた件、しっかりと交渉しておくよ。日本におけるビジネスプラン、か。面白そうだ」


 そのあと二人は、ダムを眺めながら完全に日が落ちるまで話し込んでいた。

 男同士、心ゆくまで。





「なあネッド、せっかくだから、今日夕飯に付き合えよ」

 リムジンのソファーに腰掛けたフリオが言う。


「いいね、何が食べたい? 君の食べたいものに付き合うよ」

 同じくソファーに腰掛けたネッドが訊ねる。


「そうだな」

 しばらくフリオは考えた後

「ハンバーガーなんてどうだ?」


「君は変わらないね」

 ネッドはふっ、と笑い

「億万長者になろうが、いつだってこういう時はハンバーガーじゃないか。まったく、その年になっても減量を考えずに、食べるだけ食べてベルトを保持できるのは、世界広しといえど君ぐらいなものさ」


「貧乏舌なのさ。いろいろ不満はあるが、本当にこの国の食事は最高だ。まさしくあんたらの神に感謝だな」

 そしてフリオは子どものように、目をきらきら輝かせて続けた。

「そうだ、神が与えたもうた地上の最高傑作、チーズバーガー。それがいい。たっぷりと繋ぎを練りこんで三倍にも膨れ上がったビーフを、真っ黒焦げになるまで焼き、そこに脂肪が充填されたような、舌にこれでもかとしつこく絡みつくようなチェダーチーズを挟み込む。食べたらしばらくは罪悪感で身動きが取れなくなるような、とことんチープで無反省、まるでこの国のようなハンバーガーだ」


「マスタードはどうだ?」


「むせ込むほどに」


「付け合わせは?」


「それだけでアメリカの飢餓が救済できる程な、バケツに入ったようなフレンチフライがいい。それにたっぷりとガーリックバターを、焦がす寸前まで火にかけてとかしたやつをだくだくになるまで注ぎ込み、飲み干すようにがぶがぶと平らげるんだ」


「飲み物は?」


「ビンに入った、カラメル味のまだるっこしいコーラだ。しつこければしつこいほどいい。それを下品にのどに流し込むのさ」


「野菜は?」


「愚問だな。ピクルス以外は、ベッドを共にする女の下着以上に不必要だ」

 そういうと豪快に笑った。

「さてと、光陰矢のごとし、だ。腹が減って身動きも取れん。どこか適当な店を探して、暴飲暴食としゃれ込もうじゃないか」


「オーヤー、ミスター。それならいい店を知っています」

 ひょっこりとベン爺さんが顔を出した。

「オーヤー、わしの知り合いのマクラウドの店です。オーヤー。とことんチープでとことんワイルドなものが食いたいのならば、そこが一番です」


「得意料理はなんだ?」

 ぎょろりとした目でフリオはベンに訊ねる。


「オーヤー、ミスター。とにかく肉、肉、肉の塊です。肉肉肉と来て、それでも肉なんです。オーヤー、ミスター」


「最高だ」

 舌なめずりしながらフリオは言った。


「オーヤー、ミスター。今日はわしがあんたに雇われた記念の日だ。おごりますよ、オーヤー」

 ベンじいさんはそういうとドアを閉め、そして自分自身のビジネスへと戻って言った。

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