3.23(日)14:30
「そうだな」
そう言うと真央はしばらく宙を仰ぎ、そして目を閉じ何事か思いをめぐらせていた。
そして目を開いたかと思うと
「すんません!」
大きく鶴園へ向けて頭を下げた。
そして再び頭を上げると
「俺なんかにそんな夢のような提案してくれて、ホントありがてーと思う。だけど……」
「だけど、何かね?」
その顔を覗き込むようにして鶴園は訊ねた。
「アマチュアでボクシングやるなら」
そう言うと真央は丈一郎と奈緒の顔を見た。
「俺はこいつらとだ」
「マー坊君! どうして!?」
丈一郎が真央の肩を強く掴んだ。
「どうしてさ!? 僕らに義理立てする必要なんて無いんだよ!?」
「そうだよ!」
奈緒も声を張り上げた。
「わたしたちのことはもういいから! もうマー坊君十分やってくれたから!」
「お前らのせいじゃねえ。こいつは俺の問題だ」
ぴしゃり、叩きつけるような言葉を真央は口にした。
「正直、うまく言葉で言えねーけど、なんつうか、俺はアマチュアボクシングやるなら、お前らとじゃなきゃダメなんじゃねーかなっていうかなんつうかその」
そう言うと頭をがりがりとかいた。
「要するにこういうことです」
桃が冷静にその意を訳した。
「二週間この学校でボクシング部のコーチをするようになって、ボクシング同好会と聖エウセビオ高校に愛着がわいてきた、と。アマチュアボクシングをやるならばこの聖エウセビオ高校以外ではもう考えられない、そうでなければ筋が通らない、って言いたいんだと思います」
「そうそう、そういうこと」
そう言うと真央は人差し指で桃を指した。
「さっすが桃ちゃん!」
「君がもう少しボキャブラリー増やせばそれど済む話だと思うけどな」
ちくりと嫌味を言うが
「ボキャブラリーって何だ?」
嫌味が嫌味にならなかったようだ。
「って言うわけで、すんません!」
再び大きく頭を下げた。
「遠回りになったとしても、俺はプロんなってフリオ・ハグラーを目指す! そんだけだ!」
「そうですか」
その言葉を行くと鶴園はにこり、と笑った。
「これも運命なのかもしれませんなあ、岡添さん」
「私はそんなもの信じるつもりはありませんが」
そう言うとふうっ、とため息をついた。
「致し方の無いことなのかもしれませんね」
「実はだね、秋元君」
鶴園は小さく咳払いをして言った。
「私はこの聖エウセビオ高校ボクシング部出身なんだ」
「「ええ!?」」
全員が驚愕の声をあげた。
「あのアマチュアボクシング界の重鎮の、鶴園監督が、ですか?」
丈一郎の体は心なしか震えていた。
「その通りです」
岡添理事長が言葉を付け加えた。
「この聖エウセビオ高校において、高校4冠を達成し、ボクシング部に黄金期をもたらした方です」
「いやいや」
謙遜するように鶴園は首を振った。
「それもこれもあなたと言う存在があればこそですよ。岡添マネージャー」
「「えええええ!?」」
女性秘書を含めた全員が、めいめいに叫び声を上げ、もはやそれは言葉になっていなかった。
「り、理事長が……」
葵は両手で口元を覆った。
「ボクシング部の……マネージャー?」
桃の叫び声が理事長室に大きく響いた。
「鶴園先生はその後、西山大学に進学し大学ボクシングにおいても大活躍をなされました。しかし……」
そう言うと理事長は鶴園の顔を見た。
鶴園は柔らかく笑い、小さく頷いた。
「昔のことですよ」
「オリンピック出場を目前に網膜はく離が発覚したのです」
呟く様にして岡添理事長は言葉をつなげた。
「私にも当時夢があった。オリンピックに出場し、そしてプロボクサーになる、というね。そう秋元君、君と同じようにね」
真央の顔を見るとにこりと笑った。
「その夢が実現不可能になったとき、さすがに私も絶望しかけた。しかし、私の夢を受け継いでくれる者を育てる、それが私の新しい夢となった。そして今もその夢を追いかけている途上なのだよ」
「おっさん……」
その鶴園の顔を真央ははまっすぐに見つめた。
すると鶴園は岡添の元に歩み寄る。
「岡添さん、こんないい男を、このままみすみすプロの世界に放出する手はありませんぞ? もし可能であるならば、岡添さん、私達の母校でこのいい男を預かることは出来ないだろうか」
「鶴園さん……」
岡添理事長は少々困った顔で鶴園を見つめた。
「彼ならば、私とあなたのあの日見た夢がかなえられるかもしれませんぞ?」
岡添理事長はしばらく無言でその顔を見つめていたが
「分かりました。あなたが、あなたがそこまでおっしゃられるのでしたらば」
「本当ですか!」
葵が声を上げた。
「やったー!」
奈緒がぱちぱちと手を叩き、丈一郎の手を取った。
「マー坊君と一緒に学校通ってボクシング続けられるよー!」
「うんうんうん!」
その手を握り返し丈一郎も飛び跳ねた。
「これで毎日一緒に練習できるんだ!」
「ちょ、ちょっと! ちょっと待ってください!」
秘書の女性が割って入った。
「勝手に決めてしまっていいんですか? 理事会も通していないんですよ?」
「理事長は私です。私の一存です」
冷静に岡添理事長は言い返した。
「でもですよ? 他校の生徒と暴力事件を起こすような生徒を入学させるだなんて、他の先生方に同説明するんですか?大体誰が担任を勤めるんですか?」
その手を大きく振って、体中で訴えた。
「丁度いい機会です。あなたも将来理事長を務めようという身であるならば、何より教育の現場を知っておかなければなりません。第二学年の担任とボクシング同好会の顧問、来年度よりお願いしますね」
「ちょっとお母さん! 勝手に決めないでよ!!」
大慌てで言ったが
「校内では理事長と呼びなさい」
またもや冷静に言葉を返されただけだった。
「なんだ、ねーちゃんこのばあさんの娘だったのかよ」
真央は不意に秘書の女性に近づくと
「そういうこった。よろしく頼むわ」
「いやああああああああああ」
秘書の女性は絶叫し床にへたり込んだ。
「んだよ、取って食いやしねえよ」
その様子を見て真央は言った。
「でもよ、俺住むとこねーし、結局アパートとか探さなきゃ……」
「あたしんちがあるよ」
桃は努めて冷静に言った。
「これまでどおり、あたしんちで暮らせばいい」
「桃ちゃん!」
その言葉を聴くと奈緒は桃に飛びつき抱きしめた。
「桃ちゃん大好きー!」
「いいのか? 桃ちゃん」
不安そうに真央が桃を見つめた。
「俺、又迷惑かけてるんじゃ……」
「卒業までの二年間だけだよ」
その顔を見返すことなく、いかにもこともなげに桃は言った。
「それにあくまでも君はあたし達の親戚、同居するのもこの五人だけの秘密、これは守ってもらうからな」
「あらあら桃さん、顔が赤くなっていますよ」
くすくすと葵が言った。
「あははー、ホントだー」
奈緒も笑って言った
「ありがとな、桃ちゃん」
そう言うとも真央は桃の手を握った。
「ば、ばばばばか! 止めろって!」
桃はあわててその手を振り解いた。
「恥ずかしいじゃないか。それにほら、奈緒と丈一郎君ががんばっているから! それに、えっと、その、なんだ」
「もう素直じゃないな、釘宮さんは」
丈一郎はその様子を見て苦笑いをした。




