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    3.23(日)11:15

「……しゃれんなんねぇんだよなあ、あれ……」

 真央は一度経験した桃の右拳を冷静に思い出す。

 ボクシングで、さらに路上の喧嘩でもあれほど見事な右ストレートを食らったことはない。

 それほどまでに桃のストレートの速さと威力はすさまじいのだ。


 目の前で起きた信じられない光景の中、ようやく自分を取り戻した葵は

「桃さん! 一体何をしているんですか!」

 と桃の肩を両手で掴んだ。


 そしてそれは当事者である丈一郎も同様だった。

「釘宮さん! 殴るのはまずいって!」

 しかしグラウンドでの一件同様、丈一郎1人の力ではどうにもならなかった。


 興奮する二人をよそに、桃はあくまでも自分の正義を主張した。

「こんな卑怯な男、あたしは絶対に許せないんだよ!」


「大山!」

「大山さん!」

「このアマ! 何しやがるんだ!」

 もう一人の学生コーチを始め、多くの西山大付属の選手が桃を取り囲んだ。

 ボクシングの名門西山大学付属のボクサーが、しかも女に拳で青天井に返されたのだ。

 このままではその面子が立たない。


 しかし一方の桃も、一歩も引くことなく、全く物怖じすることなく対峙し、その目を睨み返す。


 その眼光は、むしろ西山大付属の生徒たちを一瞬ひるませるものだっだ。

 しかし、なおさらこのままこの少女を帰すわけにはいかない。

 

 両者は一触即発の事態を迎えた。


「マー坊君、桃ちゃんを止めて!」

 と奈緒が真央にすがるように言った。

「桃ちゃん本当に正義感強すぎるから。桃ちゃんこのままじゃ……」

 奈緒はもはや泣きじゃくっていた。

 尊敬する姉が、大好きな姉が、その正義感から窮地に陥っている。

 何とかしなければならないが、自分にはどうすることも出来ない。

 奈緒は真央に助けを求める以外になすすべはなかった。


「お願いだよ、マー坊君」

 丈一郎も真央の手を取った。

 自分のために桃は怒った。

 もとはといえば、自分がすべての発端なのだ。

 しかし、自分にはもはやなすすべがない。

 真央しかこの場を納められる人物はいない、丈一郎もそう考えた。


「たくよぉ、桃ちゃんが一番短気じゃねぇか」

 そういうと真央は髪の毛をわしわしとかきむしった。

 ふと横を見ると、葵が口元に手をやり、震えながら真央の服を掴んでいる。

 恐怖で口を利くも出来ないが、精一杯の勇気を振り絞り助けを求めている。

「……ったく、しょうがねえな」

 もはや、選択の余地はない。

 真央は、奈緒の頭を優しく撫でた。

「本当に奈緒ちゃんはお姉ちゃんが好きなんだな」


「うん」

 目を潤ませながら、こくりとうなずいた。

「たまに怖いし頑固だし、今みたいにどうしようもなくなることもあるけど、大好き! 大好きなの!」

 

「丈一郎も、葵も」

 そういうと二人の姿をしばし見つめ

「お前らも、本当にいいやつらなんだな」

 そして、三人を安心させるように、にやりと笑った。

「“プライド”か。はっ、そんなくせーもん、俺が感じる日が来るとは思わなかったぜ」

 そして再び頭をかいた。

「たぶんあいつらに一番むかついてたのは俺なんだろうな。なんかさ、お前らと聖エウセビオにあいつがなめた口利いたとき、ほんとにさ、死ぬほどむかついたわ」


「マー坊君……」

 丈一郎はその言葉にこころを震わせる。

 真央が、自分たちに仲間意識を持ち、自分たちとともに怒ってくれていた、その事に。

 今までは、仲良くなったとはいえ、ボクシングの師と弟子、突き詰めれば上下関係なのだと思っていた。

 しかし今、ようやく真央と本当の意味で親友になれた、そう感じた。


 震えていたはずの葵も、ようやく落ち着いてきた。

 葵自身もなぜかはわからない。

 目の前で親友が大勢の男たちに取り囲まれている、その情況の中で、気の弱い自分が落ち着けるはずなどないのに。

 その理由に、すぐに気がついた。

 それは真央だ。

 真央が近くにいる、それだけで、葵のこころに勇気の灯がともった。

 真央のそばにいるだけで、心強さを感じた。


「ま、ここは俺に任しとけ」

 悠然と構える真央の姿は、まるでこんなことなど日常茶飯事、とでも言いたげだった。

「けどの」

 

「「けどの?」」

 耳慣れない言葉に、丈一郎と葵は戸惑った。


 しかし、奈緒にはある光景が蘇った。

「あっ……」

 あの日、引ったくりたちを倒したときの真央の姿を。


「けどの、俺ああいう女、嫌いじゃなあよ」

 そういい残すと、真央は桃と西山大付属の生徒たちの間に割って入った。

 真央の頭に、初めて出会った時の記憶が蘇る。

 引ったくりの現場を目の当たりにし、躊躇することなくで追いかける姿を。

 どうしようもねえなこの女、最初はそう考えた。

 しかし、真央はこの少女に自分と同じものを見出していた。

 正義感とプライド、その気高さを、まぶしく感じた。

 この美しき少女、その真っ直ぐな心を守るのは自分だ。

「おどれら、女相手に何やっとんじゃ」

 

「てめえ誰だよ!?」

 山本と呼ばれた西山大付属の学生コーチが真央を睨み付けた。


「あー、このでっかいお姉さんがやったこと、こりゃあ“わや”じゃ。そこは謝る。許せ」

 おどけるような態度で真央は言った。

「けどの」

 すると、その表情は急に真剣なものになった。

「お前らも取り消せや」


「ああ?」


「今丈一郎に言った言葉、聖エウセビオに今すぐ取り消せ」

 真央の眼光は鋭くも冷ややかだった。


「くっ」

 山本はその眼光に少々たじろぎながら言った。

「あ、ああ? て、てめえ誰だよ?」


「だれでもええじゃろうが」

 真央は吐き捨てるように言った。

「おどれらにゃあ関係なあ」


「関係ねーのはてめーだろうが!」

 そう言うと山本は真央の服を指差した。

「それどこの学ランだよ。つーか標準語しゃべれよ。てめーはエウセビオと関係ねーだろうが!」


「真央君……」

 祈るようなしぐさを葵はとった。


「マー坊君……」

 この状況に丈一郎は一歩も動くことができなかった。


「俺は……」

 さすがの真央も、躊躇した。

 そもそもが、うそを平気でつけるほど、器用な人間ではないのだ。

 丈一郎や葵とのつながりの根ともいえる、桃や奈緒といとこ同士であるというのも、でまかせでしかない。

 だから、自分が聖エウセビオの生徒である、といまさらうそが増えたところでどうということはないのかも知れない。

 しかし、真央のこころに、昨日の桃とのひとときがよぎった。

 そうだ、自分は今、生まれて初めて心の底から分かり合える友人たちと出会えたのだ。

「俺は秋元真央」

 祖父以外で、初めて大切だと思える家族のような存在。

 それを思えば、もはやその躊躇も完全に真央の心から消え去った。

「今年の春から聖エウセビオ学園に転校予定じゃ!」

 これはうそかもしれない。

 しかし、完全なうそではない。

 だから、これは何割かを含んだ真実だ。

 この少女たちは、この少年は、自分にとってかけがえのない仲間なのだから。


「マー坊……」

 桃はその横顔に目をとらわれた。

 力強く断言する真央のその横顔に。

 桃のこころにも、昨日の夜の出来事がよぎった。

 桃は、今彼の心の中にある壁の一つが崩れ去った、そう感じた。

 

「おい、そこのふけ顔」

 そう言うと山本を指差し言った。

「おどれは何級じゃ」


「あ? 俺はミドル級だ」

 山本はさげすむような笑みを浮かべた。

 ミドル級は、少年男子のカテゴリーの中で最も重い階級に相当する。

 いわば、山本は高校ボクシング界のヘビー級ボクサーだ。


 しかし、真央は臆することなく言った。

「おい、おどれ今すぐにリングに上がれや」

 そして、リングを親指で示した。

「聖エウセビオのボクシングがどんなもんか、リング上でみせちゃるけ」


 ふんっ、と山本はそれを鼻でせせら笑った。

「いいぜ、軽くモンでやろうじゃねえの。インターハイが終わった後暇で暇でしょうがなかったからよ」


「インターハイ選手……」

 丈一郎はごくりと唾をのんだ。

「無茶だよ……いくらマー坊君でも……」


 しかし真央はにやりと笑い

「今ちょうど昼休みじゃ。役員も誰もおらん。やるかやられるか、じゃ。誰かに止めてもらおうとしたって、無駄じゃけの」


「てめえ……」

 その言葉は山本の顔を醜くゆがめた。

「上等だコラ! あとで吠え面かくんじゃねえぞ!」

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