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    3.18(火)14:00

「ほらー、もたもたするな!」

 今日もプールサイドに桃の怒鳴り声が響く。

 

 束の間の休息の後、二人は再びスパーリング大会へ向けてのトレーニングの日々へと戻った。

 早朝のランニングから、午前中の通常のロードワーク、シャドウボクシング。

 そしてヘビーバッグにスピードバッグ、ミット打ちにマススパー、通常のトレーニングをこなし続けた。

 それに加え、葵の協力の下での午後からのプールトレーニング。

 体は悲鳴を上げたが、それでも少年たちは歯を食いしばりながら耐え続けた。

 

「君たち、本当に勝つ気があるのか? 勝ちたいんだったら自分に妥協するな!」

 その二人の少年の様子に、初めは乗り気でなかった桃もいつしかボクシングというスポーツの魅力を感じ始めていた。

 二人の少年の熱意は、いつの間にか桃を同好会の練習に引き込んでいった。

 

 そして、かわいらしい声もプール全体に響く。

「シャドウ、スタート!」

 またもや水着を着てストップウォッチを手にした奈緒。

 

「うっせー! わかってるよ!」

 全身を圧迫する水と戦いながら真央はシャドウを繰り返す。

 全身を使わなければ、上半身と下半身を連動させなければまともに動くことすら出来ない、この事実が、ボクシング経験豊かなはずのこの少年をして一番の基本に立ち返らせたようだ。

 口では憎まれ口を叩きながらも、この少年もまた自分の成長について確かな確信を持ち始めていた。


「フルで練習した後のプールトレーニング、本当にきつ……い……」

 とは言いつつも、丈一郎にも無駄口を叩く余裕くらいは出てきた。

 効果的な体の使い方、それを少しずつ体得してきたようだ。


 プールであえぐ二人に声をかける桃の様子を見て

「桃さんはクールに見えて本当はすごく熱い人なのですね」

 葵が桃に語り掛けた。


「そう?」

 桃は意外そうな声を上げた。

「あたしが? クール? そんなこと初めて言われたんだけど」

 陸上部のエースとして毎日ハードワークをこなしている桃。

 活発な人間だと自己像を思い描いていた中で、その葵の言葉は本当に意外なものだった。


「あら? 私だけではなく、きっとクラスメートはみんなそう思っていますよ。私自身も、そう思っていました」

 そういうとにこりと笑った。

 事実、桃との付き合いが長い葵ですらそうなのだ。

 他のクラスメートから見れば、勝ち誇るような美を見せ付けてくる桃その様は、圧倒的なものだった。

 スタイルだけではない、成績においても学年トップクラスだ。

 つけいる隙のなさが、桃をして周囲の生徒とは隔絶した存在とさせていた。

「ですが、本当の桃さんの姿が見れたみたいで、なんだか嬉しいです」

 そういって、照れ笑いを顔に浮かべた。


 その言葉を聴くと、桃も照れたような苦笑いを浮かべた。

 そして、しばらく逡巡した後、その口を開いた。

「実はね、あたしもなんだ」


「どういうことですか?」

 桃も同じ思いであったとはどういうことか、つけいる隙のなさと美しさを誇るこの少女に、何を思い悩むところがあったというのだろうか、葵は戸惑った。

 

「思い切って言っちゃうけど、ちょと葵との間に距離あったかな、って思う」

 そして再び水と格闘する男たちをよそに、桃は語った。

「葵って美人だし、頭もいいし、それに、ほら、スタイルもいいしさ。なんたって誰にも優しいし。あたしみたいにぎすぎすした、意地っ張りな女に比べたら本当に誰からも愛されるタイプなんだなって思う」

 そして再び葵の顔を見た。

「結構、コンプレックスなあたしの嫌な側面、見せ付けられちゃうんだよね」


「そんなこと……」

 桃の言葉を受け、葵が言葉を返そうとしたが


「あ! ううん、嫌ってたとかとかそういうんじゃなくって!」

 ぶるぶると桃は手を振った。

「葵みたいな女の子、ひそかにあこがれてたんだよね。だから、葵とこんなに仲良くなれて、すっごい嬉しいんだ」


 しばらく無言のままの葵だったが、ふっ、優しく笑って言った。

「これも、真央君たちとお付き合いするようになったおかげなのでしょうか」

 今まで仲良く過ごしていたつもりが、お互いにその心を知ることが出来なかったのだ。

 しかし今、初めてお互いに思っていることを口にすることが出来た。

 ようやく本当の意味で友達になることが出来たのかもしれない、葵はそう考えた。

 

 その二人の様子を、奈緒は黙って見つめていた。

 年上の、奈緒にとっては憧れの対象であった桃と葵。


「……おーい」


 その二人がお互いにお互いをコンプレックスだと思っていた事実、それが奈緒を勇気付けた。

 もしかしたら、人間は皆そうなのかもしれない。


「……おーい、なあ、おーい」


 コンプレックスの塊のような自分だけれど、そんな自分でもきっといいところがあるのかもしれない。

 それを伸ばしていけば、二人とは違うけれど理想の女性になることが出来るカも知れない、そう考えた。


「おーいっつってんだろーが!!」

 何度呼びかけても反応のないプール上の三人の少女に対し、真央は水面を叩き大声を張り上げた。

 

「ほえ? ふぁ、ふぁい!」

 二人の女性の様子に木をとられていた奈緒は、その呼びかけに全く応じることが出来なかった。

「な、なーにー?」


 プール表面にたくさんの気泡をまといながら真央が叫ぶ。

「なーにじゃねーよ! あのなあ、二分、っつってけど、ま、まだかよ!? 明らか二分、以上、たってんだろう、っがっ! 丈一郎、みろよ! もう! 死にかけてんぞっ!」

 

「あ……」

 奈緒がストップウォッチを覗くと、すでに五分以上が経過していた。

 そしてプールに目を落とすと、必死の表情でシャドウボクシングに取り組む真央と、もはや生気なく、声を発することも出来ない丈一郎の姿が。


 くすっ、その様子を見て、桃と葵が顔を見合わせて笑った。

「つべこべいうんじゃなーい! それぐらい我慢しろ! 男でしょーが!」

「お二人とも、まだまだこれからですよ! ファイト、ファイトです!」

 二人は、実に二人らしい声をかけた。


「んっだよ! おら丈一郎、いくぞ!」

 丈一郎の腕を引くようにして、真央は再びプールを漕ぎ出した。


「丈一郎君、一勝できるといいですね」

 その様子を見ながら、葵は言った。


「大丈夫だよ」

 葵の優しい微笑みに、桃もつられて笑った。

 その微笑の中には幾分の照れ隠しもあった。

「それにマー坊、プロになれるといいな。それに、世界チャンピオンになるという夢も、叶うといいな」


「それこそ心配ないよ」

 奈緒もにっこり笑って言った。

「これだけ追い込んでいるんだから、丈一郎君も絶対一勝出来るよ。わたしはそう信じてるもん」


「ええ、私も信じています」

 葵の手にも力がこもる。

「絶対に勝てるって、信じています」

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