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    3.15(土)21:00

「すごい試合だったね」

釘宮家から自宅への帰り道、丈一郎は歩きながら何度もシャドウボクシングを繰り返していた。

「なんていうかさ、別次元のものを目の当たりにした感じ? っていうのかな」

 誰に言うわけでもなく、その興奮と感動をかみ締めていた。


 その少し後を、葵と真央が歩く。

夜道を歩く葵を心配し、桃が真央を家まで送らせたのだ。


「あの方が、真央君の最終目標なのですね」

真央の横顔に語り掛ける葵。


「ああ」

言葉少なく真央が答えた。

 真央はふと夜空を見上げた。

満月が真央の顔を照らす。


「真央君?」 

月に照らされる真央の顔に、葵はどきりとした。

鼓動が、とくん、と響く。

いつもは底抜けに明るいこの少年の横顔は、月光に照らし出されているせいだろうか、物憂げな、そしていっそ繊細すぎるくらいに見えた。

男性の顔がこれほど美しく見えるなんて、葵は真央の横顔からどうしても目を離すことができなかった。


「ん?どうした?」

その視線に気づいた真央の視線が葵と重なった。

 

大きく、輪郭のはっきりした目。

深海のように深く、そして純粋さ、優しさをたたえた美しい物を葵は目の当たりにしたような気がした。

「あ! いえ……」

葵は心臓が破裂するような思いがした。

「そ、その…真央君って、結構まつげ長いんですね」

両頬を抑えながら葵は言った。

自分の顔が、今までに経験したことがないくらい火照っているのがわかった。


「そうか?」

そう言うと真央は目をこすって言った。

「そんなこと初めて言われたよ」


「そ、そうですか」

どぎまぎしながらうつむき、葵は言った。

なぜそんな言葉を言ってしまったんだろう、葵自身にも理解ができない。

いつもは日本人形のように白い肌が紅潮しているのが自分自身でもわかった。

自分自身が、今まで異性に感じたことのない感情を持ち始めている。

今までに経験したことがない感情ではあったが、それがなんであるか、葵自身はそれをはっきりと自覚した。

自覚してしまった。

もはやその気持ちは抑えようのないもの、葵にはそう思えてならなかった。


「おーい、なにしてるの?」

先ほどよりもだいぶ前を歩いていた丈一郎が二人に声をかけた。


「すまん」

頭を掻き毟る真央。

「俺も何だかさっきの試合に当てられちまったみてーだ」




「じゃ、僕こっちだから」

丈一郎は左に分岐する小道を指差した。

「それじゃあ。また明日もよろしくね真央君。葵ちゃんも」


「ああ」

真央は小さく手を振った。


「また明日」

葵は小さく頭を下げた。


「んじゃ、とりあえず家まで送っていくわ」

ポケットに手を突っ込んだまま、いつも通りの調子で真央は言った。


「すいません、こんな遅くに」

小さく礼をする葵。


「気にすんなよ」

 ぶっきらぼうに真央が言うと


「はい、そうします」

葵はにっこりと笑った。




二人は連れ立って夜道を歩く。

無言のまま、お互いの存在を横に感じたまま。

真央はいつも通りのマイペースであったが、葵はうつむきながら熱いくらいに隣に少年の存在を感じていた。

静かな夜だ。

お互いの息遣いまで感じることができる程に。


再び真央は空を見上げた。

「綺麗な夜だな」

再び満月に照らし出される顔。その目は眩しすぎる位に冷たい月の光を見つめていた。

「少し東京の夜空が好きになれる気がしたよ」


春の夜の空気が二人の間にえもいわれぬ暖かな空間を作り出す。

ふと気が付けば、二人は春の霞の中を歩いていた。


「桜が咲く頃」

葵は口を開いた。

「真央君はもう釘宮家を出てプロボクサーになるんですね」


「そうだな」

真央が答えた。

「あっという間の二週間だな」


「まだ一週間もあるじゃないですか」

葵は自分自身に言い聞かせるように言った。


「そうとも言えるな」

真央もにやりと笑った。

「もう二度と体験することねーと思っていた高校生活をもう一度体験させてもらったみたいだ。桃ちゃんと奈緒ちゃんには本当に感謝しかねーよ」


その言葉に、葵は敏感に反応した。

「私……私は……その真央君の思い出の中に入っていますか?」


そのあまりの剣幕に、真央は一瞬たじろいだが

「当たりめーだろ」

にやり、と笑って言った。


「もし、この一週間が終わっても……」

うつむきながら葵は言った。

「……また、私たちはお会いできますよね?」


「あ?」


「私……私は、また真央君と会いたいです」


真央には葵が何を言おうとしているのか理解できなかった。

葵がなぜ、あって数日し立っていない自分に対しそのようなことを言うのか、全く理解できなかった。

考えてみれば、真央自身女性とこのように二人連れで歩く経験など、思い返してもほとんどなかった。

そのことに気づいた真央は、何やら恥ずかしい、くすぐったいような感覚に襲われ

「あ?ああ、まあ、な」

と頭をかく他はなかった。

「でもよ、俺と会ったってなんもいーことねーぜ。金もねーしさ。同級生と遊んだほうが——」


「そういうことじゃないんです!」

葵は、普段の冷静沈着な態度を保つことができず、自分でも驚くほどの大きな声で叫んだ。

「真央君の……真央君の目には、真央君の目には私はどのように映っていますか?」


「ど、どのように……って、言われても……」

真央はその言葉通り葵の姿を見つめた。

切れにに切りそろえられた、美しくつややかな髪。

陶磁器のように美しい肌。

そしてその名前の通り、青みがかった水晶のような瞳。

そして真央は思い出す。

つるんとした競泳用水着に身を包んだ、美しく伸びやかな、やわらかい肉体を。

「あ、あの、な……」


くすっ


その様子が、葵にはたまらなくかわいらしく見えた。

初めてこの少年を見たとき、粗野の塊のように見えて、その実どこかしら幼さが残る表情が葵の心に深い印象を残した。

そしてその少年が、その心の底を垣間見させた。

それがたまらなく嬉しかった。

たまらなくいとおしく思った。

体は大きいけど、心はむしろ小学生のようなあどけなさが残るこの少年を。

「ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」


「あ、ああ。別に、どうってことねえよ」

葵とは裏腹に、少年の心はやはり年相応よりもさらに幼かった。

自身の混乱した心を何とか落ち着けようと再び満月を見つめた。


「変なこと聞いちゃったついでに、もう一つ質問してもいいですか」

葵はおずおずと口を開いた

「……真央君は……」

ややうつむきがちに真央の顔を見上げ、葵は訊ねた。

「好きな方とかいらっしゃいますか?」


「好きな……人?」


「ええ。あなたが心の底から、いとおしいと思った方」


「イトオシイ」

 その言葉を、真央は何度も口の中で反芻した。

その後、その歩みを止めてしばらく押し黙った。

「よく、わかんねえや。つーか、たぶん」


「たぶん?」


「たぶん、さ、そう言うのは……向こうにおいてきたよ。広島に。全部」


 その言葉を聞くと、葵は押し黙ってしまった。


その様子を見て、真央も何も言葉を発することができなくなった。


二人はまた無言で道を歩いた。

夜空に浮かぶ大きな満月だけが二人の姿を見つめていた。。

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