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    3.14(金)16:30

「じゃあ明日は練習無しねー」

 と元気一杯の奈緒。

 疲労困憊の二人をよそに、いやむしろ、疲労困憊の二人の姿に、桃の考案した練習方法とその効果に確かな手ごたえを感じていたからだ。

「しっかり体休めて、後半戦に備えましょー」


 シャワーを浴び終えた5人は、体育館を後に、校門までの小路を連れ立って歩く。

 日はすでに西へと傾き、空気はやや冷たさを増しつつあるが、街路灯の照らし出す光は暖かだった。

 

「うぃーっす」

 真央も今までにない疲労した表情を見せる。

 体中が重い。

 今までに経験したことのない種類の疲労に、さすがの真央も今日のところは人の子だった。

 

「こんなに疲れた経験今までになかったよ」

 丈一郎も同様の弱音を口にした。


「まあまあ、明日は久しぶりに、しっかりと休憩を取ってね」

 励ましの声をかけたのは、奈緒だった。

 しかし、奈緒はその後

「だけどね、全くボクシングをしないのもそれはそれでよくないと思うの」

 とエクスキューズをつけた。

「緊張の糸が切れちゃうからね」


「確かにそうかもな」

 真央がコーチを引き受けているのは、あと一週間のみだ。

 通常の場合ならばともかく、一週間後の大会に向けて、モチベーションを高めておく必要もある。

 奈緒の言葉に、もはや二人の専属トレーナーと化した桃は同意を与えた。


 その言葉を聞くと、奈緒はぱたぱたと4人の前に進んだ。

 そしてくるりと振り返ると、にっこり笑って言った。

「だから、ここにいる全員、明日の夜6時に釘宮家に集合ね!」


「え? どうしてそうなるんだよ!?」

 奈緒のあまりにも唐突な言葉に、桃は困惑した。

 

「それは、私もですか?」

 と同じく、困惑の言葉を口にする葵。

 

「もちろん!」

 元気よく、さも当たり前の如く返事をする奈緒。

「だって今日の練習、葵ちゃんがいなければ出来なかったもん。だから、葵ちゃんも集合だよ!」

 

「明日集まるのはいんだけど……」

 丈一郎は首をかしげる。

「夕方釘宮家でボクシングでもするっていうの?」

 午前中休息をとった後、夕方から練習から軽めの練習をするというのであれば、まだ理解は出来る。

 しかし、プールもない中、葵まで読んで練習をするということは、まずありえないだろう。

 丈一郎以下、全員が疑問に思った。


 すると奈緒は、人差し指を突き出し

「やだなー丈一郎君、忘れたの? 3月15日といえば……」


「そっか!」

 丈一郎は合点がいたようだ。

「WBC世界ミドル級タイトルマッチ!」


「その通り! 世界が注目するビッグイベント!」

 奈緒は自慢げに胸を張って言った。

「世界ミドル級統一チャンピオン、フリオ・ハグラー対ビヌワ・“マンイーター”・ブウェンゲのタイトルマッチだよ!」

 その豊かな胸が、いっそう強調される。

「それにね、マー坊君と一緒にいられるのもあと一週間でしょ? せっかく仲良くなれたんだから、一日ぐらいパーッとやろーよ」


「奈緒、あんたそんなこと勝手に決めないでよ!」

 桃がその言葉に割って入ったが


「だめなの?」

 哀願するようないつもの奈緒の目。


「え? ええ?」

 その目に見つめられた桃は何も言えなくなった。

「……ったく、しょうがないなあ」


「楽しそうですね。私は大賛成です」

 葵はにこにことそれを了承した。


「僕もだよ。うちWEWWEW加入していないから、実はすっごい見たかったんだ」

 と丈一郎も興奮しきりの様子だ。


「ああ、ん」

 一方で真央にしては思わぬ態度。

 それは、バカがつくほどのボクシング好きの少年には似合わぬものだった。

「休みの日にまでボクシング見なくてもいんじゃねーのか?」


 その様子を一顧だにすること無く

「大丈夫大丈夫! “ミスター・パーフェクト”のテクニックを見れば、間違いなくイメージトレーニングになるよ!」

 と断言した。


「まあ、奈緒ちゃんがそういうんなら」

 真央は、しぶしぶ、といった様子で

「いいんじゃねえか」

 その提案を受け入れた。


「やったー。これでけってーい」

 と奈緒、無邪気に喜んだ。




 校門を過ぎ、公園沿いの通学路を連れ立って歩く5人。

 すでに日は陰り、向こう正面からすれ違う自転車には青白く冷たい灯火が目に痛いほどだった。


「僕、今からすっごい楽しみ!」

 丈一郎は拳を握りしめた。


「楽しみですね、真央君」

 葵は真央の肩に、親しそうに両手を添えた。


 びくっ、不意のスキンシップに、真央の体に緊張が走る。

「そうだな、えーと……」

 そういえば、真央はこの少女をどのように呼称したらいいか、あらためて考えてみた。

 あまりにもなれなれしいと“でりかしー”がないと思われかねない。

 かといって、あまりにもよそよそしいとおかしいだろう。

 そう思案している中


「葵って呼んでください」

 きっぱりと、力強く葵が断言し、それが答えとなった。

「“さん”も“ちゃん”もいりません。ただの“あおい”って呼んでください」


「あ、ああ、わかった」

 思いもよらない申し出に真央は少々面食らったが

「よろしくな、葵」

 それに従い、その名を呼んだ。


「ちょ、ちょっとマー坊、さすがにそれはなれなれしすぎるだろ!」

 桃はあわててそれに割って入ったが

 

「あら、本人がそう呼んでほしいんですから、なれなれしいも何もありませんよ」

 当の本人はいたって気にしていない様子だった。 

 そして葵は真央の肩に手を添えたまま真央の顔を見つめ

「ですよね?」

 とまつげの長い美しい目でその目を見つめた。


「それはそうだけど……」

 それでも何故か不服そうな表情の桃。


「では決まりですね」

 そう言うと葵は顔をほころばせ

「今後とも、親しくお付き合いをお願いしますね」

 そういって、にっこりと微笑んだ。


「ああ、俺でよけりゃ。よろしくな、葵」

 と笑いを返す真央。


「さ、早く帰るぞ!」

 急に歩を早めた桃の、帰宅を促す声が響く。


「うぉっ!」

 その声に真央は少々肝を冷やした。

「何怒ってんだよ! つかなんで桃ちゃんが怒る必要あんだよ!」


「あちゃー」

 奈緒は片手で顔を覆った。

「なんか、桃ちゃんてすっごいわかりやすい」


「何か言った?」

 ぎろり、桃が奈緒を睨む。


 あわててぷるぷると両手を振る奈緒。

「別にーそれに……」

 奈緒が、ぼそりと呟く。 

「……それに、あたしもおんなじこと考えてたから……」


「奈緒?」

 今までに見たことのない奈緒の表情に、桃は戸惑った。

 すねたような、怒ったような、幼い少女としか思っていなかった奈緒が、初めて見せた大人びた表情だった。


 その桃の視線に気づいた奈緒は 

「な、何でもない!」

 と慌ててその疑問を打ち消そうとした。

 その顔は、すでにいつもの無邪気な、いかにも“妹の奈緒”という表情だった。

 そして両手で真央の右腕にしがみつき

「さ、早く帰ってごはんにしよ!」


「おお、そうだな。早く帰ろうぜ」

 “ごはん”その言葉に真央は弱い。

 校門を目の前にして、一刻も早く帰って夕食にしたい、そう考えた。

「よっし、早く帰ろうぜ。んじゃ丈一郎、葵、またな」

 そう言うと釘宮姉妹とともに連れ立って春の夕暮れの道を歩いて行った。


「さようなら」

 と優しく手を振る葵。


「明日、よろしくね」

 同じく丈一郎。


 丈一郎と葵は、楽しげに歩く三人の後ろ姿をしばらく眺めていた。

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