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    3.14(金)15:30

「ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ」

 プールから上がった真央はそのままプールサイドへとへたり込む。

 今まで何百キロとロードワークを行い、何百ラウンドもシャドウやスパーリングをこなしてきた。

 その真央をしてすら、今日の疲労は異常だった。

 陸の上でならば、体は常に自分の意識に従い、それを忠実に実行してきた。

 しかし、今日、体は完全に自分の意志に反していた。

 いやむしろ、体は完全に水の抵抗に屈していたのだ。


「はあっ、はあっ、はあっ」

 丈一郎はさらに苦しそうだ。

 ただでさえ体中が疲労で悲鳴を上げていた中で、この何トンもの水の質量が自分に襲い掛かる。

 丈一郎同様、今まで経験してきたことのない抵抗だった。

 しかし、その分の収穫はあった。

「きついけど……でも、膝とかは結構楽かも……」

 筋肉は悲鳴を上げたものの、膝関節や腰、その他靭帯などにはそれほど負担はかかっていない。

 むしろその分、使うべき筋肉を意識してトレーニングを積むことが出来た。


「これで体中におもりをつけて何キロもランニングした計算になるな」

 奈緒の要求にしたがって仕方なく、というのがそもそもの発端だったが、アスリートの血が騒ぐのだろう、むしろ奈緒よりも熱心に声をかけていたのは桃だった。

「って聞こえてないみたいだな」

 プールサイドに転がる二人のボクサーの姿に桃は満足そうな笑みを浮かべた。


 バシャッ


 自主練を終えた葵もプールから上がった。

 スイミングキャップを取り、いっそうつややかな青い髪の毛が、首筋にまとわりつく。

 そして目の前には、疲労困憊で空き缶のように転がる二人の少年の姿。

「まあ、皆さん大変だったみたいですね」

 

「ごめんな葵、迷惑かけちゃったみたいで」

 桃は葵にバスタオルを渡した。


「そんなことありませんよ」

 桃からバスタオルを受け取ると、それを肩にかけて微笑んだ。

「私もいい勉強になりました」

 プールを使ったトレーニングの方法、それは葵には思いもよらぬものだった。

 やはり桃は根っからのアスリートなのだな、と思った。


「やっぱり持つべきものは親友だよ」

 桃は両手で葵の肩を揉んだ。

 柔らかく白い、女性らしい肩を、桃の指が優しくマッサージした。

 その光景は、まるで牝馬同士のグルーミングのようにも見えた。


「でも、あの真央君がこんなになっちゃうくらいだから、相当きついんだろうねー」

 奈緒は自分の肩にバスタオルをかけながら言った。

 競泳用の水着をもってしても隠し切れない胸のふくらみを、バスタオルの両端が優しく包む。


「普段使わない筋肉を使うからね」

 腕組みをした桃が言った。

「だけどその分、慣れ切った練習でマンネリ化を防ぐという点でもよかったんじゃないかな」


「そうですね。どんな厳しい練習でも、体がそれになれてしまえばその効果は著しく停滞するものですからね」

 どんなきつい練習にも、慣れというものが存在する。

 体が効果的な動き方を覚えてしまうため、体が自然に楽を覚えてしまうのだ。

 精神的にも毎回同じ練習を繰り返すと、ありていに言えば、飽きが来る。

 モチベーションを高め、リフレッシュするという意味でも、今日の練習は大変に効果的だったといえるだろう。

 その桃の思慮の深さに、葵は素直に感心した。

 葵は倒れこんだ真央のもとに座り込んだ。

「プールでの練習はどうでしたか?」


「……」

 真央は無言のまま親指を上げた。


「そう、よかったです」

 葵はにっこりと微笑んだ。

「まあ、顔が真っ赤ですよ? 相当にお疲れみたいですね」

 葵は真央がサムアップしたもう一つの意味に気づくことはなかったようだ。




「よしじゃあ、今日のトレーニングはこれで終わりだねー」

 一歩も動けない二人の上に、バスタオルをかける奈緒。


「あ、あの」

 よろよろと真央が起き上がり

「じゃあ、明日はとりあえずオフってことで……」


「賛成……」

 トレーニング前はあれほど意気込んでいた丈一郎もそれに続いた。


「なんだ、情けないなあ」

 桃はため息をつきながら言った。

「まあでも、リフレッシュするのもいいかもな」



「葵、今日は本当にありがとね」

 タンクトップを脱ぎながら桃が言った。

 

 練習を切り上げると、五人はそれぞれシャワールームへと足を運んだ。

 実際に運動をしてない桃も、プールにこもる蒸気と声をはりあげた熱気で体中が水浸しになっていた。


「気にしないでくださいね」

 水着を脱ぎ、バスタオル一枚になった葵。

「私も自主トレができましたし」


「うん! あおいちゃんのおかげで、あの真央君がフラフラになるところ初めて見れたんだから、大感謝だよ!」

 奈緒もバスタオル一枚で言った。

「じゃ、先に入ってるねー」


「「……」」

 バスタオルによっていっそう強調された見事な胸元の峡谷に、年上の二人は無言の笑みを返すのみだ。


「奈緒さんはあの年の割に大人びた体つきをしてますね」

 葵はその後姿を見送りながら、ため息をついた。

葵自身、自分の胸元は同級生と比較しても小さいものではないという自覚はあったが、それでも奈緒と比較するとやはり見劣りする気がしてならなかった。

 

「ま、まあ、そうだね」

 同じくバスタオル姿になった桃が自分の胸を押さえていった。

 桃からすれば、奈緒だけではない、葵と比較してすらいっそうサイズダウンする胸元。

 その胸中は、文字通り小さくならざるを得なかった。

「あの子はお母さん似なんだよね。あたしと違って」


「お母さんは、グラマーな方なんですか?」

 同じくバスタオルを体に巻く葵。


「うん。あたしはきっとお父さん似」

 桃がため息をついた。


「……でも、それはそれで羨しいと思いますけど」

 またもや葵はため息をついた。


「そうかな?」

 そう言うとバスタオルをとり、全身を自分の目でくまなく調べた。

 逆三角形の体型、くっきりと凹凸を見せる腹筋、そして何よりも風の抵抗を受けることのない胸元。

 ふう、桃はため息をついた。

「まあ、陸上やるには有利かもね。あたしって筋肉質だから」

 そういって自分を慰めた。


 しかし葵は

「それが羨ましいのですよ」

 とため息をついた。

「今すぐにでもモデルとしてデビューできますのに」

 青いにはむしろ、それが羨ましかった。

 すらりと伸びた手足、細く長い首、はつらつとして機敏な動作、一流モデルのような堂々とした美が雄弁に物語る体だった。


「そんなことないよ、絶対。奈緒とか葵の方が羨ましいよ」

 そして、葵の体をまじまじと見つめる。

 透き通った白い肌、桃ほどではないもののしなやかな手足、そして、適度に志望の乗った、柔らかい肉体。

「胸とか、それ以外の部分の肉付きとか、あたしにはないもの。あたしも女らしい体つきになりたいよ」


「まあ」

 そう言うと葵は手を口にしてくすくすと笑った。

「そんなこと言う桃さん、初めて見ました」


 ドキッ、桃は心臓が止まるような思いがした。

「そ、そう?」

 どぎまぎしながら答えた。

 

 その様子を、葵はいたずらっぽい視線で見つめながら

「もしかして、それは真央君と一緒に暮らすようになったからですか?」

 とくすくすと笑う。


「え? えええ!?」

 あたふたと両手を振りながら

「何言ってるんだよ! そんなわけないじゃないか!」

 必死になって打ち消した。

「てかなんで葵はあいつとあたしたちが同じ家に暮らしてるのを知ってんだ?」


「そんなにムキにならなくてもいですよ」

 笑いながら葵が言った。

「それにほら、真央君、格好いいですからね」

 がっしりとした、一切の無駄が省かれた機能的な引き締まった体と、徹底的に自分を追い込むそのストイックな性格に、葵は好感を持っていた。

 それに顔の作りも、一見すると怖そうだが、その先入観を捨ててみると、意外と整った作りをしている。

 女性ならば、自分でなくても心を惹かれる要素をふんだんに持っている、葵はそう考えていた。

 

「それ本気で言ってるの?」

 その発言に桃は自分の耳を疑った。

「あいつのどこが格好いいっていうんだよ!」


「まあ、それはご自身の胸に手を当てて考えてみたらいんじゃないですか?」

 くすくす笑う葵。


「……」

 桃は無口になった。

 確かに桃は、戦う真央の姿、戦いに望むときに見せるクールな姿に好感を持った。

 ボクシング自体には抵抗感はあるものの、その姿を認める、それ自体は真央自身にも伝えた。

 しかし、“男性としての真央”に、魅力を感じていたのかどうか、その事自体を桃は自覚していなかった。

 ボクサーとしてではなく、男性としての真央、葵の言葉にはじめて桃は意識してしまった。


「さ、早くシャワーを浴びてしまいましょう」

 葵は桃にシャワーを促した。

「男の人たちは本当に上がるのが早いものですからね」

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