6.7 (土) 14:10
「まあ、どうしたんですかお二方。そんなにしかめっ面をなさって」
にらみ合う二人をよそに、シスター・ドミニクは少女のような微笑を二人に向けた。
「ほらほら秋元君に釘宮さん。ほかの方々はあのように子ども達とすっかり打ち解けていらっしゃいます。あの子達も、遊んでくださるのならきっと喜びます。さあ、ぜひ」
「あー、ん、っと」
真央は頭をもしゃもしゃとかくいつもの仕草を見せる。
「あの子らぁは、さ」
「はい」
微笑を絶やさぬまま、小首を傾げて答えるシスター・ドミニク。
「あっと……親がいない子ども達、なんだよな」
奥歯にものがつあったような物言いを真央は口にした。
「ええ」
それでも微笑を絶やさぬまま、シスタードミニクは答える。
そして、視線を、ホールで遊ぶ子ども達の元へと移動させた。
「あの子ども達は、それぞれさまざまな理由で親元を離れて生活をしています。ご両親が亡くなり親戚からも養育を拒否された子。経済的理由で、親元で育てられることが難しくなった子。そして」
その微笑の中に、どこかやるせなさをたたえてドミニクは言った。
「虐待を受けて、児童相談所によってこの養護施設に預けられた子」
「……」
その言葉を聞いた桃は、擦り切れんばかりに奥歯をかみ締めた。
「あのよ」
真央は、子ども達を見ながらまた口を開く。
「あの子たちは、いつまでこの孤児院にいられるんだ?」
「そうですね、高校を卒業するまでです。結局は、彼らはそれまでに自分の生きる道を見つけ、そして自分の力で社会を生きていくしかないのです」
ドミニクは、はっきりとした口調でそういった。
「私達はこの子達が社会に出て、自分達の幸せをつかむことが出来るよう、支援をしていくことしかできません。だからこそ、ここにいることが許されている間は、私達は出来る限りの愛情を彼らに注いで生きたいのです」
「へっ、神様は何もしてくれねえんじゃねえか」
真央は、皮肉を吐き捨てた。
「あんたらが信じてる神様が、このガキどものために何かをしてくれるっつううのかよ。俺には、あんたらが信じてる神様ってのが、どうにも信じられねえけどな」
「ですから、私どもがいるのです」
「……」
ドミニクのそのストレートな言葉と曇りのない笑顔は、真央の心臓を一瞬高鳴らせた。
「神様の愛は、無限に私達人間に降り注いでいます。そして、その愛を形にして届けるのが、私達神に仕えるものたちの役割なのです」
ドミニクは十字を切り胸元で手を合わせると、修道服の胸元に、小さなクロスが揺れた。
「この子達に両親がいないのならば、私たちが代わりにこの子達を育てます。そのために、私は生まれたのだと自覚をしております」
「……へっ」
そのドミニクの顔を直視することが出来ない間尾は、顔をそむけてはき捨てた。
「そんなもんに、あんたはあんなの人生ささげて満足なのかよ。信じられねーな」
「あら、それでしたら、秋元君にはどのような夢があるのですか?」
純粋無垢な少女の微笑で、真央に訊ねた。
「よろしければ、私にお教え願えませんか?」
「決まってんだろ」
真央は中空に、ひゅんひゅんと拳を振るう。
「世界チャンピオンだよ、ボクシングの、な」
「まあ」
その言葉を聞きドミニクは目を丸くすると、その目を閉じ、両手を組んで再び口を開いた。
「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない」
「なんだ、そりゃ?」
真央が顔をしかめてそう言うと
「新約聖書マタイ福音書の言葉です。それが、私の生き方です」
ドミニクは穏やかな表情で目を開いた。
「私は、真央君が地上の王者となることを目指すように、永遠の信仰の王冠を手に入れたいのです」
そう言うと、再び真央のほうを向いて無邪気な微笑を浮かべた。
「あなたが検討の世界チャンピオンを目指して自分自身の肉体と精神を節制の元に置くように、私は信仰の実践としてこの子達に愛を注ぎ続けます。それが、私の生き方なんです」
「それって、大変なんじゃないですか」
無言で二人のやり取りを見つめていた桃が、ようやく重い口を開いた。
「あの年で、親元から引き離された子がどういう心理的状況に置かれるか、あたしにも大体想像がつきます。そんな子ども達を育てることって、すっごく大変なことなんじゃないんですか」
「そうですね、本当に、あなたのおっしゃるとおりです」
ドミニクの笑みは、自嘲的なものに代わった。
「はっきりいって、何か問題の起きない日はありません。お母さんを思い出して、夜中に泣き出す子。児童同士の激しい取っ組み合いで病院に運ばれる子。虐待の記憶がフラッシュバックして、パニックに陥る子。それぞれがそれぞれ、抱えている傷の深さに私達の無力さを感じない日はないといってもいいでしょう。それでも――」
今度は桃にむかって、力強い微笑を返した。
「――それでも私は、負けません。この子達に愛を注ぎ続けます。私には、神様が着いていてくださいますから」
「……」
桃は、複雑な表情を浮かべて口をつぐんだ。
「ねーねー、シスター・ドミニクー! 何やってるのー?」
自分達を見つめる三人の視線に気づいた子ども達が声を上げる。
「そのおにーちゃんとおねーちゃんも、今日遊んでくれる人たちなのー?」
「ええ、そうですよ」
ドミニクは、やわらかく微笑んでそういった。
「あなた達と遊んでくれるために、今日いらっしゃった方々です」
「えー、でもさっきからずっとふたりで見つめ合ってたよー」
おしゃまな女の子の声が響く。
「あ、もしかしてお兄さんとお姉さん、恋人同士ー?」
「「ちがうっ!」」
真央と桃、二人は声を合わせてそれを否定した
「あー、あんなに顔真っ赤にして否定するなんて、あやしーなー」
「うんうん。学校の先生言ってたもんー。そういう時は、なおさら怪しいってー」
「そんなことはないっ!」
拳をプルプルと震わせた桃は、子ども達に大人気なく言い返す。
「そういうことがあるかもしれないけどっ! あたしとこの男とは違うからっ!」
「ははは、そうだね君たち」
とりなすように、前に出で来たのは丈一郎。
「けどね、本当に否定しているんだよ、このお兄さんとお姉さんは」
「えー、でもー」
「けどね、こういうときは」
丈一郎は小さくウィンクをして微笑む。
「本人達が、自分達の気持ちに気がついていない場合もあるんだよ? って、あだっ!」
「わけのわかんねえこといってまぜっかえすんじゃねえ!」
「ははは……ごめんごめん」
そう言うと、子ども達に呼びかける。
「ねえ君たち知ってる? あのお姉さんはすっごく足が速いんだよ?」
「ちょ、ちょっと川西君!」
「君達とどっちが足が速いかな?」
そう言うと、丈一郎は振り返って子ども達に呼びかけた。
「このお姉さんと一緒に、鬼ごっこやる人この指とーまれー!」
丈一郎のその言葉に、多くの子ども達が集まってくる。
「ようし、じゃあ、みんなでこのお姉さんを捕まえるぞー!」
丈一郎のその呼びかけにあおられた子ども達は
「「「「おーっ!」」」」
「ま、待てっていってるじゃないか!」
桃は、大挙し群れをなす子ども達に追いかけられた。
「あ、あたしはそんな――」
何かを言いかけた桃だったが、結局は丈一郎の策略に乗せられる羽目になってしまった。
「ったく、何をやってるんだか……」
癖の強い髪の毛をかきむしる真央だったが
「ん?」
一人の少年が、誰とも打ち解けることなく、講堂の隅に座っていることに気がついた。
年のころは小学校四年生くらいだろうか、足を組んで隅っこに、うつむいたまま誰とも関わろうとしなかった。
その様子を目にした真央はその子に近づき
「よぉ」
どういうわけかその子に声をかけてしまった。
「おいガキ、お前はあのおねーさん方と遊ばなくていいのかよ」
少年は一瞬間尾のほうを振り向いたかと思うと、再び顔を背けうつむく。
その様子を御霊尾は、少し苛立ち、その肩を軽くたたく。
「おうガキ、聞いてんだろ? お前はみんなと遊ばなくていいのかよ」
しかしその少年は真央の腕を振り払うかのように肩をゆすると、再び体育すわりでうつむいた。
「だぁから人が話しかけてんだろうがっ!」
真央の声に初年は一瞬びくりと体を震わせると、恐る恐る、その顔色を確認するかのように真央の顔を覗き込んだ。
すると真央は、ごほん、と一回咳払いをすると、その大きな体をかがめるようにして少年の目の前にしゃがみこんだ。
「おう、俺の名前は秋元真央だ。おめーは?」
「え?」
おどおどとした表情で、少年が問い返すと
「俺は今、名乗ったぜ。こういう時はな、お前のほうも自分の名前を名乗るのが礼儀なんだよ。わかったか?」
「え、えと……」
その真央の言葉に、少年はおどおどとしたまま、か細い声で名乗った。
「僕の名前は……高坂幸弘です……」
「何だ、ちゃんといえるじゃねえか」
ニイ、真央は心地の良い微笑を幸弘に向けた。
「よろしくな、幸弘」




