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    6.4 (水) 8:10

「秋元君!」


「うぉっ!」

 教室に足を踏み入れた瞬間、真央は玄関同様多数の女子生徒に囲まれた。


 もともと女子校であり、特に女子生徒の割合の多いA組であるがゆえに、その熱狂は玄関とは比べ物にならないものだった。

「すごいじゃん秋元君!」

「インターハイ出場おめでとう! あーん、あたしも試合見に行きたかったしぃ」

 女子生徒たちは、あるものは真央の腕を取り、あるものは、真央には考えもしないほどに強く体を密着させてきた。 


「お、おお、わ、わかったからよ、ちっとばかし……」

 ちらり、人だかりの奥に、腕を組む桃と目の奥に暗い光をともす葵の姿が見える。

「だーっ! もういいからよ! んなことより、ほれ、さっさと授業の準備すんぞ!」

 女性性とを無理矢理、というばかりに振りほどき、何とか教室奥の自身の懐かしき机に腰を落ち着けた。


「あー、ちょっとまってよー」

「話くらい聞かせてくれてもいーじゃんー」

 それでも真央の席にまとわり付く女子生徒たち。

 そしてそれを、暗い表情で見つめる男子生徒たち。

 教室中が一種のカオスを呈し始めたその時――


「はい皆さん、席に着きなさい」

 透き通るチャイムの音とともに聖エウセビオ学園ボクシング部顧問であり二年A組担任、岡添絵莉奈が姿を現した。

 その姿、その声に、ようやく女子生徒たちは真央から囲みをといた。


 ふう、真央はようやく心を落ち着けることができた。

「……感謝するぜ……岡添先生よぉ……」


 起立、気をつけ、礼。

 いつも通りの朝の営みが、日常の中で繰り返される。


「えっと、しばらく部活の出張で、皆さんに迷惑をかけましたが、今日からいつも通り、学校に復帰しますのでよろしくお願いします」

 眼鏡の位置を整え、耳元で優雅に髪の毛を掻き揚げる仕草、まさしくいつも通りの光景だ。

「そして皆さんもすでにご存知だと思いますが――」

 岡添は、その視線を真央のほうに向ける。


 ガンッ!


「あがっ!?」

 すでに心ここにあらず野真央のイスの後ろが、桃により蹴り上げられる。

 これもまた、いつも通りの光景。


 にこり、クールな表情は、柔らかなものへと一転する。

「秋元真央君、川西丈一郎君が、それぞれ関東大会ですばらしい成績を上げました。二人とも、前に来てください」


「はい」

 柔らかな笑顔の丈一郎と

「……チッ……」

 じろりと自身の背後で腕を組む桃を睨みつけた真央は、立ち上がると岡添の指示に従い前に立った。


「それでは、せっかくなので、結果の報告と簡単な一言、お願いします」

 岡添の言葉に、教室中が大きな拍手に包まれた。


「えっと、それじゃあ」

 へにゃり、とした表情で一歩前に出た丈一郎。

「えと、僕はB代表なんで、マー坊君なんかとは全然レベルが違うけど、それでも何とか一回戦を突破することができました。フライ級はインターハイ予選があるので、これからまたがんばろうと思いますんでよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる丈い地労に、教室中に黄色い歓声が沸いた。

 

 やはり、教室内の男子生徒たちは、苦虫を噛み潰したような表情でそれを見つめる。


「はい。ありがとうございました」

 ぱちぱちと手元で小さな音を立てた岡添は、今度は真央を振り向いた。

「それじゃあ…秋元君、お願いします」


「ああん? ったくよお……」

 何で俺がそんなことを、といいたいところだったが、やはり腕組みをしてこちらを睨みつける桃の存在が恐ろしい。

「……ちっ……」

 真央はしぶしぶ一歩前に出た。

「ああん、と、とりあえず関東優勝してインターは出でること決定したんで。インターハイもべつにおめーらの応援とか関係なく優勝するんで、応援したかったら応援しろ。そんだけだ」

 真央の傲岸不遜、ぶっきらぼうを絵に描いたような言葉だったが

「うぉっ!?」


「やーん、何でそんなにクールなの?」

「そんな子といわれたら、応援するしかなくなっちゃうじゃん!」

「絶対優勝してね! 私たちのために!」


 割れんばかりの悲鳴とため息がかえってきた。


「二人ともありがとう」


 岡添の声に、二人は自分たちの席へと戻って言った。


「さあ、今日から私も学校に復帰します。皆さんも、本腰を入れて勉強に取り組んでください。あ、あと、それと秋元君――」


「……あんだよ、まだ――」

 ガンッ!


「あがっ!? ……な、何でございましょう、先生様」


「昼休み、教員室まで来てください」

 

「んだと?」

 神聖な昼休みを妨げる岡添の言葉に反発しようとした真央だったが

「……うぃっす……」

 

―――――


 コンコンコン――

「ちーっす、二年A組秋元真央っす……」

 やけくそ気味に大きく頭を下げると

「……岡添先生に用があってまいりやしたぁー……」


「あら、お忙しいところ申し訳ないわね」

 その言葉に応じて、教員室の出入り口まで岡添が出迎えた。

「ちょっと、お話があるんだけど、面談室まできてもらえるかしら」


―――――


 コンコンコン――

「はい」

 扉の置くから、小さく声が響いた。

「失礼します」

 静かに扉を開けると、面談室に一人の女性がちょこんと座っていた。

「シスター・ドミニク、こちらの少年です」


「ああん?」

 顔を上げる真央。

 そこに座っていた女性は、修道服に身を包んだ、十代後半から二十代前半の女性だった。

 その服装ともあいまってか、まるで少女のようなめー時を真央に抱かせた。

「だれだよあんた。よぉセンセ、この女と俺がなんの関係があるんだ?」


「こら秋元君! 失礼よ!」

 岡添はアンダーリムの眼鏡に手をやると、小さくその女性に頭を下げた。

「ごめんなさい。知っているとは思うけど、こういう子なの。許してあげてね」


「ええ、知っています。だからこそ頼みやすい、というものですわ」

 修道女姿の女性は立ち上がり、そして恭しく頭を下げた。

「私は、ドミニク。この学校に併設されている修道院で、神に仕えています。みんな、私をシスター・ドミニク、なんて呼んでいます。ですが、ご自由におよびくださいね」

 顔を上げたシスターは、にこり、清らかな笑顔を真央に向けた。

 

―――――


「その、お話、なんですが」

 相談室の大きな机。

 真央と岡添に向かい合うようにして、シスタードミニクは座り口を開く。

「実は、秋元さんにボランティアのお手伝いをしていただきたいのです」


「ああん?」

 面倒くさそうに頬杖を付く真央は、あくび交じりに口を開いた。

「何で俺がそんなもんやんなきゃいけねえんだよ」


「これを見てもそんなことが言えるのかしら?」

 パラリ、岡添は一学期中間テストの成績一覧表を真央の前に見せた。


「……」

 真央はうつむき、そして苦しそうな声を上げる。

「……何でもいってください」


「あなたがどれだけ真剣にボクシングに打ち込んでいるか、私は顧問であり担任ですから、それをよく知っています。だけど――」

 岡添は、ふう、小さくため息をついた。

「常識的に考えて、期末テストでもすべての科目で赤点を取るでしょう」


「へっ、わかってねーな」

 にやり、真央は不敵な笑みを浮かべる。

「俺ぁ体育だけぁ誰にも負けてねえんだからよ。間違いなく、体育は5をとるぜ」


「体育だけ成績良くても進級はできないのよ」


「んだと?」

 真央はいきり立ち立ち上がる。

「大体この学校の勉強が難しすぎんだよ! なんで高校二年で高校三年の勉強なんかやらされんだよ!」


「仕方ないでしょ! あなたは特進クラスにいるんだから!」


「俺が頼んだわけじゃぁねーだろうがぁ!」


 ガタリ――


「「ん?」」


「かわいそうに!」


「ふがっ?」


「ちょ!? シスター!?」


「あなたは本当に大変な試練に立ち向かっていらっしゃるのですね」

 シスター・ドミニクは、涙を流さんばかりの慈しみの表情で、真央をその胸に抱きしめた。

 修道服の奥に、覆い隠されたその凶暴なふくらみが、ぐいぐいと真央の顔から酸素を奪う

「でも大丈夫ですわ。天にまします我等が父は、きっとあなたのその試練を跳ね除ける様子を見届けてくださりますわ」


「もがー! もがー!(離せ! 離しやがれ!)」


 岡添もシスターを真央から引き離そうと試みる。

「シスター! あなた神に仕える身でこんな……ゴニョゴニョゴニョ……羨ましいことを……ってだめよ! こういうときはね! この子大概――」


 ガラリ――


「もがっ!?」


「マー坊君!」

 底抜けに能天気な笑顔を見せた奈緒が、勢いよく面談室の扉を開けた。

「面談終わったー? あのねあのねあのねー、クラスのみんなが、マー坊君の子と知りたい……って……」

 表情が固まるとともに、その語尾も徐々に尻すぼみになった。

 それもそのはず。

 奈緒の目の前に展開された光景は――


 体のラインのはっきりとわかる修道服に身を包んだ女性の胸元に、赤子のように顔をうずめる真央の姿――


「うわああああああああああああん! マー坊君の変態ー!」


「ちょっとまてっ!」


「あら?」


 真央は強引にシスター・ドミニクを突き飛ばした。

「誤解だって! ほら、こんなん何回もあったじゃろうが! いいから戻って――」


 パキリ――


 指を鳴らす乾いた音が、女だらけの面談室に響いた。


「言い訳はしねえよ。そういうの嫌いだって、俺よくわかってっからさ」

 ふっ、真央は寂しそうな微笑を口元に浮かべた。

「だから、せめてお願いくらいは、聞いて欲しいんだ。俺さ、インターハイひかえてっし、俺のことをよ、こんなにも応援してくれる、クラスの、いや、全校のみんなの――」


「「却下」」

 桃と葵の、恐ろしいほどまでに現実的な声がその懇願をさえぎった。


「ですよねー」

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