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    6.2 (月)18:35

「とりあえず、みんなお疲れ様じゃね。よかったら、飲んでね」

 そういうと綾子は、手にしたビニール袋をロビーのテーブルの上に置いた。

「今日は明日休みとるために見に行けんかったけんど、試合の内容は紫ちゃんに送ってもろうたんよ。せっかくじゃけ、明日あんたらをお見送りしたいけの」


「あ、ありがとうございます」

 桃をはじめ、セイエウセビオ学園の女性陣は一様に頭を下げた。


「すごかったよね秋元!」

 興奮冷めやらぬ紫は、我先にビニール袋の中から500mlのペットボトルを取り出す。

「兄貴も強いし格好良かったけどさー、やっぱ秋元は別格だよ! うん!」


「えと……あんたが先生じゃね」

 

「え? あ、はい」

 すでに良いから覚めた岡添絵莉奈は、背筋を伸ばしてアンダーリムの眼鏡を直す。

「あなたが……綾子さん、ですね」


「明日でさようならなんじゃろうけど」

 がさがさとビニール袋をまさぐった綾子は

「あ、心配せんといてください。高校生じゃけど、うち一応二十歳越えてますけ。よかったら」

 岡添に対してビールの缶を差し出す。

「できれば、もっと早く会うとればよかったですの。紫ちゃんがいうとったとおりじゃ。きれいで色っぽくい女先生がまーちゃんの担任じゃって」


「え、あの、私ビールは……」

 こほん、咳ばらいをした岡添だが、その魅力には逆らい難い。

「……あの……いただきます……」

 周囲の女子生徒の視線に耐えながらもそれを受け取った。


「どうぞ、よう冷えてますけ」

 カシュウ、綾子が勢いよくプルトップを引けば、響く喉の音も心地よい。

「ぷう、はあ、たまらんね。仕事終わりの一杯は、ほんに何にも変えがたいわ」


「そうですね」

 大人の女性同士、初対面の緊張がほんの少しだけ崩れた。


「あの」

 綾子の差し入れに手を付けることもなく、はっきりとした口調で葵は口を開いた。

「確認させてください。本当に……本当に真央君と綾子さんの関係は、もう……」


「葵、やめなよ」


「ええんよ、桃さん。うちとまーちゃんの関係、か」

 ふう、一口目の心地よい酔いが、綾子をほんの少しだけ、いつもよりも饒舌にした。

「終わった言えば終わったし、終わっとらんいえば終わっとらんね。まーちゃんのいったような、男と女の関係でいえば、まーちゃん自身が言ったように、もうしまいよ。いんや、そもそも始まっとらんかったいうほうが正しいのかも知らんね」


「じゃ、じゃあ!」

 たまらず奈緒も口を挟む。

「終わっていない関係って……その……一体……いったい何ですか?」


「ほうね」

 穏やかに笑うと綾子はビールの缶の口を人差し指で優しく吹いた。


 ブゥ——ン――


 低く鈍い音がロビーに小さく響く。


「ちいちゃい頃のまーちゃんをしってる、ほんの少しだけの時間じゃったけど、“お母さん”やっとった、そんな関係、じゃね」


「……」

 桃は無言で、そう語る綾子の横顔を眺めていた。


「それでしたらやはり、この事は聞いておかなくてはなりません」

 岡添は、再び姿勢を正し、ゆっくりと、静かに綾子に問いただした。

「一体あの子は……秋元君は何者なのでしょうか。私は彼の……秋元君の生い立ちを知りたいと思っています。常日頃から。あなたならば、何か知っていらっしゃるのではないですか?」


「先生、それは反則だよ」

 桃は、今度は岡添を制す。

「あたしたちが綾子さんから聞き出していいのは、あくまでも綾子さんとマー坊の関係だけです。もしそれを知りたいってのなら、マー坊に聞き出すのが筋だと思います」


「……ごめんなさい」

 桃の言葉に、岡添は唇をかみしめて頭を下げた。


「ええんよ。けんどその質問は――」

 綾子はまたひと口缶を傾け、そして岡添に訊ねた。

「担任の先生としてのものですか? それとも、一人の女としての質問ですか?」


「……もちろん」

 一瞬の躊躇の後、岡添は答えた。

「秋元君の担任として、です」


「……まあ、そういう事にしといたります」

 再び浮かんだ綾子のその笑顔は、どこかいたずらっぽいものだった。

「まあ、桃さんの言う通りよ。うちが言えるのは、あくまでもうちとまーちゃんとの関係だけ。それ以前のこと……まーちゃんがうちに聞かせてくれたことは、うちには言えん。あの子はきっと……うちよりも何倍もつらい思いをしてきた、それくらいは言えるかの」


「秋元、が?」

 紫もたまらず綾子に訊ねる。

「秋元って……そんな風には思えなかったんだけど……」


「けんど、うち、なんだか妙な胸騒ぎがするんよ」

 不意に綾子の表情は、どこか強張ったものへと変化する。

「もう二度と会うことはないじゃろ思うとったまーちゃんに、こうして再開できた、いんや……再会してしもうた。それ自体は喜ばしいことなんじゃろうけど……なんかこう……」


「"運命"、でしょうか」

 葵は、先ほどと変わらぬ真剣な表情で言葉を紡いだ。


 "運命"

 

 その言葉に、同じく桃も言いようのない不安な、胸騒ぎのような何かを感じ続けていたことを思い出す。


「“運命”か、なかなかに難しい言葉じゃね。けんど、きっとそれは常に悪いことだとも限らんじゃろ」

 綾子の表情からこわばりが消えた。

 そして、いつもの明るい、穏やかな笑顔へと変わった。

「もしその"運命"いうものが存在するなら、きっとまーちゃんの昔のことは明らかになる、うちはそう思うんよ。けんどもしそうなったら、あんたらとあの子の関係も変わってしまうかもしらん。ほいじゃけ今は……"運命"があんたらを導てくれるように、それに任せていくしかないんよ。うちは、うちと桐生は、その"運命"の輪から外れたんじゃ。あとは、あんたら次第じゃね」


「"運命"に任せるって、どういうこと? 紫よくわかんないんだけど?」


「難しく考えんでええんよ。例えば――」

 再び綾子の顔に浮かぶ、いたずらな無邪気な笑顔。

「――この子らの中で誰がまーちゃんの恋人になるんか、とか」


「「「!」」」

 葵に奈緒に岡崎、三人の女性たちの顔は一気に明けに染まる。


 ただ一人、あきれたようにため息をつく桃を除いて。


「ちょっと待ってよ!」

 ゆかりはたまらず飛びあがる。

「なんでそこから紫を除外するのよ! 不公平じゃん!」


「あらあら、ごめんなさいね」

 口元に手を当て、芝居がかったしぐさでくすくすと綾子は笑った。


 その時――


 ――ガラリ


「あん? てめーら、まだ居やがったのか」

 髪の毛を掻きむしりながらがさつな言葉を口にする、真央の姿が玄関に見えた。


「マー坊君!」

「真央君!」

「秋元君!」

 

 "‘運命’の男"の突然の帰宅に、聖エウセビオの女性陣は体を硬直させた。


「おかえんなさい」

 まさしくわが子を出迎える母親のように、柔らかい笑顔で綾子は声をかけた。

「あれ? 桐生はどうしたん? 一緒におったのと違うん?」

 

「ああ、あいつなんか毎朝新聞配達してんだろ? あんまし遅くなれねーから先帰るってよ」


「あらあら、なんだか二人とも仲良くなれたみたいじゃね」


「けっ、下らねーこと言ってんじゃねーよ、気持ちわりー」

 真央は顔をしかめて旅館の下駄を脱ぎ捨てた。

「おう、そういや丈一郎とレッドはどこ行きやがったんだ? 便所に出も言ってんのか?」


「相変わらずデリカシーがないな、君は」

 桃は顔をしかめて非難した。

「たぶんお風呂じゃないか? 部屋の方に帰っていったから」


「へいへいっと」

 そう言うと真央は、ポケットに手を突っ込んで背中を丸めて廊下へと歩みを進めた。

「おう綾子、またな」


「ほうね、また明日」

 そう言って綾子は真央の背中に小さく手を振った。


「えー、紫まだ帰りたくないんだけどー」

 

「駄々をこねちゃいけんよ。迷惑になるけ」

 そう言って綾子は紫の手を取る。

「ほいじゃ、うちらはこれでお暇しますけ。また明日、新幹線の発車前にお見送りさせてもらいますけ」


「あ、あの!」

 岡添は急に、飛び上がるように立ち上がる。

「も、もしよかったら、今日は一緒にこの旅館に泊まっていかれませんか?」


「え? まじ!? いいの!?」


「こら、紫ちゃん」

 

「ぐえ」


 綾子は喜び勇む紫の髪の毛を引っ張った。

「そういうわけにはいきませんよ。ご迷惑にもなりますし」


「いいんですよ。ここはうちの学校のグループの保養施設に指定されている旅館でもあるので融通も利きますし。お部屋は十分に広いですから。それに――」

 急に、思い立ったように、岡添は手にしたビールの缶を一気に飲み干す。

 ぷはあ、気持ちの良い、どこかおっさんじみた声がホールに響く。

「――同世代の女のこと一緒に飲むなんてここしばらくなかったから。一晩つきあったくれればうれしいわ」


「あらあら」

 綾子はしょうがない、と諦めの笑顔をのぞかせた。

「ほれじゃ、お言葉に甘えさせてもらいます。温泉なんて、何年ぶりじゃろね」


「やったー! けってーい!」

 いつもの明るさを取り戻した奈緒が、無邪気に飛び上がって叫んだ。

「じゃあさじゃあさー、みんなで今からお風呂行こうよ! ね? 一緒にいられるのは今日だけなんだしさー、ね? 女子会女子会!」


「ったく、あんたって子は」

 そんな妹の姿に、苦笑いを隠そうともしない桃。

「けどせっかくだし、群馬県最後の夜は楽しませてもらうかな」


「いろいろと大変なこともありましたしね」

 おしとやかな笑顔を浮かべる葵。

「最後くらいは、みんな仲良く、みんな笑顔で一緒にいたいですね」


「よーし!」

「それじゃー!」

「「みんなでいっしょに、おっふろー!」」

 奈緒と紫は、まるで姉妹のように抱きあって叫んだ。


―――――


「あ、マー坊君!」

「マー坊先輩!」

 聖エウセビオのボクサーたちは、首にタオルをかけた湯上り姿で真央に会った。


「ったく、友達が意のねー奴らだよ」

 じろりと二人を睨み、そしてなじるような言葉を口にする真央。

「まあいいや、俺もさっさと入って上がるとすっか。さすがに疲れたわ、なんかな」

 ふわあ、大きなあくびを一つ。


「うん、じゃあゆっくりね」

 そして三人はすれ違った。


「あっ!」 


「ど、どうしたんですか? 丈一郎先輩」 


「い、いや……」

 振り向いた丈一郎の視線の先に、すでに真央の姿はない。

「たしかそろそろ女性と男性の温泉の切り替えの時間だと思ったんだけど……まあ、いくらマー坊組んでも、入り口の札くらい気が付く……よね?」 



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