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    3.9 (日) 8:00

 コンコン、ノックの音が部屋に響く。

 

「うぃーす」

 と真央がそのノックの主に返事を返す。


「部屋、入るよ」

 とブレザー姿の桃が真央の部屋に入ってきた。

 清楚な白いブレザーに、胸元には黒いリボン。

 しっかりとアイロンをかけた、やや短めのチェックのプリーツスカートからはすらりとした足が伸びていた。

「準備はできた?」

 

「ああ、大体な」

 と真央。

「まー、服っつったって、ほとんどこれで生活してたようなもんだしな」

 と自慢げに学生服姿を見せた。


「それが君の前の学校の制服?」

 と桃が訊ねた。


「ああ。私服あんま持ってねーし、それに他の学校に入るんだからな。やっぱそれなりの格好はしねーとな」

 これが自分なりの正装だ、とでも言いたいのだろう。

 真央は自信満々の様子だ。 


「まあ、似合うとは思うんだけど……」

 桃は口元に手を当てて真央の姿に目をやる。

 真っ黒な学生服は、着古したのだろうか、ところどころほつれている。

 詰襟は当然開けられて、胸元にはYシャツではなくTシャツがのぞく。

 胸板の厚いがっしりとした真央には、確かによく似合っていた。

「……でも……目立つなぁ。大体うちの学校はブレザーだし」

 しかし、その格好は明らかに桃たちの通う学校には不釣合いだった。

 ありていに言えば、彼らがイメージする田舎のヤンキーそのものの格好だったからだ。

「ていうかさ、君、他に学生服ないのか? あちらこちら擦り切れてるぞ」

 昨日のあの騒動で、そのほころびはいっそう目立ってきた。


「しかたねーだろ。さすがに練習着で登校するのも失礼だろうからな」

 しかし、そんなことに真央は一向に頓着していないようだった。

「まー、もともとぼろぼろだったしな。他の学ランはみんな友達に上げてきたから、一番気に入ったやつだけ着てきたんだよ」

 

「……あたしにはどう違うかわからないけど」

 桃は怪訝な表情。

 

「フッ、わかってねーな」

 そういうと真央は自慢げに制服の裏地を見せる。

「ほうら、見ろよ」

 

 桃は示された裏地をじっと注視するも

「……ぜんぜんわかんないんだけど」

 

「ったく、これだから女はよ」

 真央はため息をついた。

「見ろよ。これジンカイザーの1986年モデルだぜ? もう生産してねえやつを、代々後輩に受け継いできたっつー代物なんだよ」


「……なんだよ、ジンカイザーって」

 すこぶる興味なさそうに桃は返す。


「しらねえだと!?」

 真央は心底驚愕したそぶりを見せた。

「日本で最高の学生服メーカーを? それに見ろ、1986年モデルの中でも最高に貴重な裏地が紫のモデルなんだぜ!? それにな、それだけじゃねーんだ。いいか……」

 

「はいはい、わかったわかった」

 真央の力説は桃にさえぎられた。

「わかったから早くしてよ。あたしも9時に部活開始なんだからな」


「ん?」

 その言葉に、真央は反応した。

 そしてまじまじと桃の姿を、なめまわすように確認する。


「な、なによ……」

 後ずさりする桃。


「桃ちゃんも部活やってるのか?」

 と真央はじりじりと近寄ってくる。


「あ、あたしが部活やってちゃ、おかしいのか?」

 その異様な様子に桃は胸元を押さえた。


 ぴたり、と足を止め

「もしかして、ボクシング同好会?」

 

「違うよ。陸上部だよ。短距離」

 

「そっか、なんだ」

 拍子抜けしたように真央は言った。

「俺はまたてっきり桃ちゃんが、奈緒ちゃんの言う唯一の同好会員だと思たんだけど」


「なんで?」

 怪訝な表情で訊ねる桃。


「いやー、昨日の風呂場での右ストレート、絶対ボクシング経験者だと思ったからよー」

 そういうと真央はしみじみと左頬をなで

「あれはなかなか男でも出せねーぜ」


 その言葉を聞くと

「あはは、そう」

 桃はにっこりと笑った。


「ぎゃはははは、いやいや、だまされちまったぜ」

 真央はもしゃもしゃと頭をかいた。


「あははは、そうだね」

 桃も微笑を返し、そして真央に歩み寄った。

「でもね、あたし短距離走やってるんだ。その証拠に」

 そういうとひざを振り上げ

 

 ゴツッ


「はぐっ……」

 真央は股間を押さえて倒れこんだ。


「ほら、この右足の躍動感、普通の女の子には無いでしょ?」

 氷の女王のような、冷たい笑顔で奈緒は言った。




 玄関で待つ奈緒は何度も腕時計に目を通していた。

「あ、二人とも遅いよ。なにしてたの?」


「「……」」

 二人とも無言のままだった。


「変なの」

 と首をかしげる奈緒。

「ま、いっか。はやくいかないと遅刻しちゃうよ?さ、急ごうよ」


「そうだね、マー坊のせいで、無駄な時間をくっちゃったね」

 吐き捨てるように桃は言った。


「あ? 俺のせいか? 俺が100パーセント悪いのか?あ?」

 と桃に詰め寄る真央。


「そうだね、君、というより君のデリカシーのなさが悪いんだよね」

 とあしらう桃。

「あ、ごめんごめん、やっぱり悪いのは頭だったかしら?」


「まあまあ、二人とも」

 奈緒が二人をなだめるのに、また無駄な時間を要してしまった。




 おのおのが部活の道具を手に、徒歩で釘宮姉妹の通う学校へと向かう。

 公園を左手に見ると、犬を散歩する中年の女性や、池の周りをランニングする大学生の姿なども見える。

 東京の景色が、少しずつ華やいで見える季節だ。

 

「学校の名前はなんていうんだ?」

 ポケットに手を突っ込み、歩きながら真央は言った。

 肩にはスポーツメーカーのエナメルバッグが掛けられている。


「聖エウセビオ学園」

 と答える桃。

 風が後ろにまとめられた髪の毛を揺らし、その心地よさに桃の表情も和らぐ。

「あたしも奈緒も、小学校からずっと通ってるんだ」


「エウセビオ・ペドロサのエウセビオか。いい名前だな」

 エウセビオ・ペドロサ、1970年代後半から80年代中盤にかけてフェザー級チャンピオンのベルトを守り続けたパナマのボクサーだ。

 その防衛回数は、いまだに破られていない。

 伝説的なチャンピオンと同じ名前の学校が存在するということに、真央は少し興奮した。

「けど、学校の名前になると、何か金持ってそうな名前になるんだな」


「幼稚園から大学まで一貫の学校なんだよ-」

 奈緒の足取りも、心なしか軽やかに見えた。

「中学校と高校は同じキャンパスの中にあるんだ。確かに、どちらかというとお金持ってる家が多いかも」


「そっか。こう見えてやっぱり二人はお嬢様なんだな」

 ため息交じりに真央はこぼす。


 すると

「それどういう意味?」

 ギロリ、先ほどまでのやり取りを思い出し、桃は真央を睨みつけた。

「どうせあたしはお嬢様に似合わないたくましい体をしてますよ」


「んだよ、んなこと誰も言ってねーだろーが!」

 その言葉に噛み付く真央。

 再び両者の間にただならぬ雰囲気が漂った。  


「どうだか」

 桃の機嫌はまだ直らないようだ。




 学校に近づくにつれ桃、そして奈緒と同じ制服を着た女子生徒を目にする頻度が上がる。

 そして、女子生徒同系色のブレザーに身を包んだ男子生徒も。


「なあ、何か女子が多くねーか」

 落ち着かなそうに真央は言った。


「カトリック系の高校だからかもだけど、女の子の方が多いんだー」

 それに応える奈緒。

「もともと女子高だしね」


「それによ、何かみんな頭よさそうだな」

 苦虫を噛み潰したような顔で真央は言う。


「そうだね。少なくとも君よりかは頭いいかもね」

 と桃の皮肉。


 少々カチン、ときた真央は

「へいへい、そーですね」

 小指で耳をほじりながら答える。

「確かにみんな桃ちゃんと違って、清楚なお嬢様が多いって感じですねぇ」


「なんだと?」

 売り言葉に買い言葉、その言葉に桃が反応した。

「いちいち君はあたしに嫌味を言わないと気が済まないのか?」


「俺の頭の事いったのはそっちだろーが!」

 それに応戦する真央。

 どうやら、真央に対しておつむの出来は禁句だったようだ。


「もー、喧嘩しないでよ。周りの人に見られたら恥ずかしいでしょ」

 今日は奈緒が二人のたしなめ役を務めなければならないらしい。




 釘宮家を出てから15分、三人の目の前にレンガ造りの高い壁が見える。

 その壁に突き当たると右に曲がり、そのまままた歩き出す。

 数分ほど進んだ後

「ここだよ」

 奈緒は校門を指差した。


「まあ、大体予想はしていたけどな」

 と真央はもはや驚きもしなかった。

「こんなでかい学校、初めて見たぜ」


 レンガ造りの壁の終点には巨大な校門があり、折り目正しくブレザーに身を包んだ生徒が行き来する。

 校門には、良男良女を外部からしっかり守るための守衛もしっかりと駐在している。

 

「なあ、俺、入って本当に大丈夫か?」

 真央は少々不安になったようだ。

「昨日みたいに警察呼ばれたらたまんねーぞ」


「ちゃんと手続きを済ませれば大丈夫だよ」

 桃はそういうと校門の守衛のほうへと近づいていった。

 ふと、真央の顔を指差し

「いいか、あんたはこの学校にいる間はあたしたちのいとこなんだ。余計なことは一切口にしないこと!」


「へいへい」

 面倒くさそうに真央は答えた。




「おはようございます」

 桃は守衛室を覗き込み、にっこりと微笑んだ。

 活発な少女が見せる、あのさわやかな笑顔。

 奈緒同様、桃も外面に見せる表情の作り方はしっかりと心得ているようだ。


「おお、なんか変わり身はえーな」

 その豹変ぶりに真央は驚いた。


「ああ、おはようございます」

 白髪交じりの初老の男性が顔を出した。

 にこにこと柔らかい笑顔を桃に返す。


「おはようございます」

 と奈緒も、これまた素晴らしくできのよい笑顔で声をかけた。

「あの、えと、すいません、今日からしばらく、ボクシング同好会のコーチをお願いしたい人の入校許可が欲しいんです」

 そういうと真央を手で守衛室前に招く。

「この人です」


「どうも、はじめまして」

 真央はありったけの、しかしぎこちない笑顔で挨拶をした。

 二人の少女と違い、この少年はそのような器用さは持ち合わせていないようだ。


「おはようございます」

 それでも守衛の男性は、少女たちに返したのと同様のやわらかい笑顔を返した。

「それでは、こちらにお名前と住所をご記入ください」


「ええ、と、住所ですか……」

 困った真央は桃に視線で助けを求める。


 その視線を察した桃は

「あ、あ、はい。実は彼あたしたちのいとこでして、春休みの期間だけあたしたちの家に下宿してるんです。だから、住所わからないと思うんで、あたしが代わりに書きますね」

 と真央の代わりにボールペンを握った。


「そうですか」

 守衛は相変わらずにこにこ笑っていた。

「では間柄に“いとこ”とでもかいていてくださいね」


 桃は住所を書き終えると真央にボールペンを差し出し

「ほら、名前ぐらいは自分で書けるだろ」


「お、おう」

 というと真央はボールペンを受け取り

 “秋元真央”

 指定箇所へと記名した。


「君さ、名前くらいもう少し丁寧に書いたらどうなんだ?」

 チクリと釘をさす桃。


「うっせーよ」

 そう言うと書類を守衛へと返した。

「これでいいっすか?」


「ご苦労様です」

 守衛は小さく真央に敬礼をした。

「では、このお名前を教務部の方にご連絡しておきますね」


「あ、うっす」

 真央も慌てて敬礼を返した。


「すいません。お手数おかけします」

 桃も深々と礼をした。


「それではこちら確かにお預かりしました。では頑張ってくださいね」

 そう言うと守衛は真央に入校許可証のタグを渡した。

「これ、校内にいる時は首に下げておいてくださいね」


「あ、わかりました」

 そう言うと真央はタグを首にかけた。


「それでは守衛さん、また明日も来るんで、よろしくお願いしまーす」

 奈緒が言った。


 奈緒の言葉に守衛は

「はい。いつでもどうぞ」

 丁寧に、優しく言葉を返した。

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