5.31 (土)11:35
「……なめんな」
卓越したディフェンス技術を誇る神埼、しかしのその核にある持ち前の闘争本能を発揮し
シュン、シュンシュンッ――
果敢に真央に拳を浴びせかける。
「てめーがな!」
それに答えるかのように
ブン、ブンブンッ――
真央も猛烈に拳を振るう。
初めのうちは確実にガード去れていた真央の拳、しかし
“鍵はねじ切られた”
その言葉通り
ブン、ブンッ、ゴッ――
「……っく、かっ!」
神埼の鉄壁のガードをかいくぐり真央のパンチが神埼の顔面を捉え始めた。
その瞬間、会場中から悲鳴が上がる。
“地元の英雄”の、いまだかつて見せたことのない仕草、そして表情に、少しずつ会場が混乱の渦中に巻き込まれていく。
「……お、おいマジかよ……」
「……あ、あの神埼が……天才・神埼桐生が……」
「……あのわけわかんね、ヤンキーみてえな奴に……」
「くっ」
――カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ!――
――カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ!――
地元の大声援に背中を押されるかのように、神埼は体にしみついた最高のコンビネーションを見せるが
ヒュン、ヒュンヒュン――
「マジかよ!」
下げ気味のガードのままボディーワークだけでそれを交わす真央の姿に、前橋商業のセコンド人から驚嘆の声が上がる。
そして真央は、上体を揺さぶりながらぐいぐいと距離をつめては
ボン、ボ、ボンッ――ゴッ――
「かはっ!」
真央はボディーへの連打から左フック、鍵をねじ切られた神埼の扉を強引に叩き始める。
「……マー坊君……」
硬く拳を握り締める丈一郎は、しかしどこか恍惚とした表情でリング上を見つめる。
「……すごい……マー坊君がすごいことなんて、とっくの昔から知っていたはずなのに……だけど……こんな……うん。皆は神崎君がこれほど押し込まれているから、驚いているんだろうけど――」
「――そうだね」
こみ上げる言葉にならない感動を、両目にたたえた涙に変え、奈緒は祈りを捧げるような姿勢でリング上を見つめる。
「私達がしているマー坊君、それは、マー坊君の全部じゃなかったんだね。きっと、マー坊君って言う男の子の、ほんの一部で。それを神埼選手ていう天才が引き出して――ううん――」
「―ーうん」
喉笛を狙う猟犬のごとく神埼を追い詰める真央の姿に、丈一郎は頷いた。
「確かに、神埼桐生は天才だ。僕だって、皆、きっとマー坊君だってそれを認めているよ。けど――」
ついに、丈一郎の涙腺も緩められ、じわり涙がにじんだ。
「――格が違う。マー坊君は、天才なんて枠にも納まりきらない男なんだ」
「はっ、はっ、はっ――」
ポストを背負うようにして、真央の体にクリンチを仕掛ける神埼。
「ぜっ、ぜっ、ぜっ――」
病み上がりのエネルギー切れのせいだろう、攻めながらも息を切らせる真央は、ぼんぼんと神埼の背中を叩く。
「ブレイク!」
レフェリーに引き剥がされ再び向かい合う二人だが、再び真央は、上半身をゆすりながら真っ直ぐに神埼へと向かっていく。
そして
「っらあっ!」
ボンッ――
「ふぐっ!」
神埼のボディーに拳を食い込ませる。
再びコーナーを背負った神埼は、またも真央にクリンチを仕掛ける。
「かはっ、はっ、はっ、どーしたよ。これで終わりか? そうかいそうかい、これで綾子は俺のモンだな」
その言葉に、神埼の闘志に再び火がつく。
「……調子に……はあ、っ、はあっ……乗るんじゃねえっ……」
神埼はしなやかに体を入れ替えると、真央のラッシュから抜け出て再び距離をとり、自分自身に言い聞かせるように
トン、ト、ト、ト、ン――
冷静にリズムを刻む。
「へっ、そう来なくちゃよ」
にやリ、不適な微笑を浮かべ、神埼に真っ直ぐと向かい合い、ファイティングポーズをとる。
「行くぜおらあっ!」
そして神埼は
「……来やがれっ」
闘争本能を奮い立たせ真央を迎え撃ち
バン、バンバンバン――ヒュンヒュン、ヒュン――
両雄はリング中央で拳をかわしあう。
クールさを取り戻した神埼は、再び鉄壁のガードで真央のパンチを殺す――
――はずだった。
ゴ、ゴッ――
「かはっ!」
神埼のガードは真央の拳の威力を防ぎきることができず、ガードを通して神埼の顔にその衝撃が伝わる。
徐々に拳は下がり始める。
その隙間を縫うように――
ガキッ――
左右のフックは神埼のテンプルに、ヘッドギアを無意味なものにしながら突き刺さる。
――カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ!――
――カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ! カンザキッ!――
自分たちの英雄が、このふてぶてしい、不敵な笑みを浮かべる男の手によって、追い詰められていく。
あってはならない、目にしたくはない光景に、大歓声の中に悲鳴が混じりはじめ、歓声にはあせりの色が混じり始める。
自分たちの手で、少しでもこの英雄を勇気付け、そしてその勝利を掴み取る瞬間を目の当たりにしたい、その願望を観衆たちは声援に託す。
しかし、自分の敵へ向けられたその声援は、この男、秋元真央のスウォーミングをますます加速させる。
ブンブンッ、ブン――
ガードの存在などお構いなしに、その石のような、硬い拳を神埼に叩き込む。
そしてそのしつこく硬い連打はガードを突き崩し
ゴキッ――
「かっ!」
神埼の肉体を崩壊させ始める。
顔面、ボディー、ありとあらゆるところから、もはや分類すら不可能な種類のパンチが飛び交う。
「うらああああああっ!」
一見無軌道に思えるそのパンチは、しかしすべてに芯が通り、一発一発に真央のウェルターのウェイトが乗る。
「……なめんなあっ!」
シュンッ――
カウンター気味に、クールな一撃を神埼は見舞う。
ゴキッ――
「……なんだとっ!?」
真央は不適な微笑を浮かべ、性格に額でそれを受けきる。
そして、浮き足立つ神崎のそこ体に
ボンッ、ボンボンッ――
しつこいボディーブローを叩きつける。
「……かはっ……」
その一発一発が、神埼という鉄壁の防御を誇る白の外堀を埋め、門を突き崩し、ついには丸裸にする。
今までいかなる瞬間も神埼を守り、そして勝利に導いてきた、その両手。
その両手がついに――
「神埼さんっ!」
「桐生! ガード! ガードを――」
そして、その瞬間、猟犬は翼を失った鷹の喉笛を捕らえた。
ゴッ!
「がはっ!」
肉体を、その精神ごと刈り取るような左フックが、神埼の体をなぎ倒した。
「うそでしょ……兄貴が……」
生まれて始めて目の当たりにした、自身の兄が、リングの上で天上を仰ぐ姿。
会場の看守たちとともに、紫は呆然として言葉を失った。
「真央君!」
制服姿の葵は、両手に小さな、柔らかそうな拳を作り飛び上がった。
「すごいですっ! なんて……なんてすごいんでしょう? なんて……なんて素晴らしいんでしょう!」
桃は、腕組みをしたまま、しかし表情なくリングを見つめ続ける。
そして、二人の争いあったその女性、綾子。
「あらまあ、すごいわね、まーちゃん」
おっとりと笑い、ぱちぱちと手を叩いた。
「……鍵の開いた城門は、あっけなく崩壊するものですな」
鶴園は、感慨深げなため息とともにこぼした。
「しかしあの少年……秋元君という少年は、末恐ろしい」
何か得体の知れないものを目の当たりにした興奮と混乱が交じり合う感情に、ゆっくり大きく首を振る。
「あの天才、神埼桐生をもってしても、あの少年の力の一端しか見ることができない。なんともはや――」
「――底が知れません」
岡添は、感動に両目を潤ませながら言った。
「本当に……本当に君って男の子は……どこまで私を夢中にさせるのよ……本当に……憎らしいほどに……」
“ただいまの試合、ナックアウトにより、赤コーナー聖エウセビオ学園、秋元真央選手の勝利です”
場内に鳴り響くアナウンス、落胆する観衆たち。
グローブをはずし、リングを降りた真央は、バンデージに包まれた手のひらを、この試合自身を支え続けた二人に向ける。
「本当に君って人は……」
へにゃりとした柔らかい微笑を浮かべる丈一郎。
パシン、その右手のひらを真央の右手のひらに合わせた。
「……本当に、最高だよ」
「へっ、誰に向かって言ってんだよ」
ニイッ、不適な微笑が、セコンド陣の祝福を受け止めた。
「言っただろ? 世界三階級制覇を約束されたこの俺が、ブロック大会で苦戦するはずなんかねえんだからよ、って、どわっ!?」
「マー坊君!」
周囲の目も気にすることなく、真央の体にその豊満な体を押し付けてきたのは
「マー坊君マー坊君マー坊君マー坊君マー坊君マー坊君マー坊君!」
「な、奈緒ちゃん……」
真央はゆっくりとその体を引き剥がした。
「お、おお、や、約束したろーが。ぜってーKO勝利するってよ」
そしてその頭をポンポンとなでた。
するとその瞬間、奈緒の歓喜の表情に
「そっか、そうだよね……これでマー坊君が勝利したってことは……」
寂しげな色が混ざり始めた。
「マー坊君は、綾子さんと……綾子さんのところに、いっちゃうんだよね……」




