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    5.31 (土)11:00

「秋元……」

 聖エウセビオ学園ボクシング同好会の面々に囲まれながら、紫は真央に話しかける。

「ごめん……紫のせいでこんなことになっちゃって……ずっと謝ろうと思ってたんだけど……そんな機会がなくて」


「あぁん? 何でお前があやまんだよ」

 顔をしかめて、真央は吐き捨てるように行った。

「いったろうが。俺はお前のアニキをリングの上でぶっ飛ばして、綾子に誰が一番つえーか思い知らせてやるってよ。そんで……」

 ゴツッ

 コンクリートの壁を殴りつける、乾いた鈍い音が響く。

「あのガキから綾子取り戻すんだよ」


「……マー坊君……あっ」

 そっと乗せられた肩の手の持ち主、振り返る奈緒の視線の先には桃がいた。


 桃もまた無言で、真央の表情を見つめ続ける。

 

「あ、あのね、秋元……」

 言うべきかいわざるべきか、紫はその躊躇を振り払いながら、しっかりとした声で真央に言う。

「紫……兄貴のボクシングも好きだし……秋元のことも、大好きだよ。だから……だからこそ、二人には綾子さんとか、そういうの抜きにして、純粋にリングで雌雄を決して欲しいの……紫がまいた種だから、紫が本当はそんなこと言っちゃいけないんだけど……」


「いまさらおせーよ」

 紫の視線から逃げるようにして、真央はうつむいた。

「もう俺らは出会っちまったんだ。出会っちまったからには、俺は俺のやりたいようにやるんだよ。お前らがどう思おうが、知ったこっちゃねーよ。後は、お前の兄貴に、綾子の目の前で青天井見させてやるってだけだよ」


「……どっちがだ」


「ああ?」

 自信を挑発するようなその言葉に、真央は眉間にしわを寄せて振り替えす。

 その視線の先には――

「てめえは――」


「……何度も言うぜ。あくまでもお前なんざ俺にとっては通過点に過ぎない」

 “上毛商業高校ボクシング部”、ジャージーのプリントと、その存在が一変させた、切れるかのような空気感が、その存在を物語る。

「……勝つのは俺だ……綾子は俺の女だ」

 神埼桐生は、クールなたたずまいを崩そうともせずに言い放った。


「兄貴!」

 その姿に、妹受かりは気まずそうに視線をそらす。


「……こんなところにいやがったのか。自分の兄貴の対戦相手と一緒にいるとは、あてつけもここまで来ると心地いいもんだな」


「ちがうの、兄貴! そんなんじゃないの! 最初は……そういう気持ちもなかったわけじゃないけど……」

 そして、紫は勇気を振り絞って顔を上げた。

「けど、そんな戦いはしないで! 兄貴は……兄貴は、秋元と、一人のボクサーとしてリングで戦って! そして、ボクサーとしてどちらが強いか証明して!」


「……もう遅い」

 ぐいと紫の体を押しのけるようにして、神埼は真央の目の前に立つ。

「……こいつが綾子を“俺の女”と言った時点で、こいつは俺の敵だ。綾子の目の前で、俺のほうが強いって証明してやるんだよ」


「誰に向かって物言ってんだこの野郎」

 受けて立つようにして、真央も一歩踏み出してその視線をぶつけあう。

「いいか、宣言しとくぜ。お前は俺にぶっ飛ばされて、天井を仰ぐんだ。それで、お前の持ってるものは全て俺のものになるんだ。ことごとくな」


「ちょ、ちょっとマー坊君!」

「や、やめてくださいっす! こ、こんなところ役員の先生たちに見られでもしたら……」


 しかし、二人は一歩も引くことなく、ポケットに手を突っ込んだまま額をぶつけ合い、視線を戦わせ続ける。


 その時――

「あらあら、なんね二人とも。これから試合じゃいうんに」


「綾子!」

「……綾子……」

 通路の奥に姿を現した綾子の姿に、二人はようやく視線をはずした。


「二人とも、ボクサーじゃろ? こんなところで場外乱闘もなぁよ」

 綾子はにこにこと、二人の顔を交互に見つめる。

「紫もいうたじゃろ? うちなんかにかまけて、二人の天才ボクサーの大一番を汚すようなことになったらいけんのよ。うちは……うちらは、それをただ見届けるだけなんよ。見届けるだけしか、できんのよ。だからこそ……だからこそうちも、どっちを応援することもなく、純粋な気持ちでこの試合を見届けさせて欲しい。ええね?」

 そういうと、綾子は桃に視線を移し、小さく目配せをした。


 桃もそれを受け、小さく微笑み笑顔を返す。

「さ、あたしら観客は、そろそろ行くとするよ。葵も待ってるだろうしね。ね? 綾子さん?」


「ほうね。一緒に観戦したら、楽しいじゃろね」

 そういうと、綾子は桃の元に近寄って言った。

「うちらみたいな美人二人が観戦しとるんじゃけ、情けない試合見せたらいけんよ? ええね?」


「……ちっ」

 拍子抜けしたように、神埼は頭をかいた。

「……わかったよ。綾子がそういうなら、俺はそれに従うだけだ」

 そして、例の凍りつくような冷たい視線で真央を射抜く。

「……俺はボクシングに……綾子に、俺のそれまでのくそくだらねー人生を救ってもらった。その二つは、俺の中でこの世界の誰よりもプライドを持ってる。その二つ、誰にも渡すわけにはいかねー。お前がどんなにあがこうがな」


「へっ、自分の過去を懺悔しながらリングに上がるような奴に、俺だって負ける気なんかしねえよ」

 ポケットに手を突っ込み、真央は吐き捨てた。

「過去が何だってんだよ。俺ぁ今を生きてんだよ。今お前が、綾子と付き合ってんのだって、俺にとっては過去なんだよ。俺はな、お前をぶった押して、過去を未来に変えてやるんだよ。その瞬間を――」

 真央は綾子、桃、そして聖エウセビオボクシング同好会の面々を見た。

「――こいつら全員に、見せ付けてやるんだよ」


「……今のうちにせいぜい吼えとけ」

 そして気だるそうに振り返ると、こちらもポケットに手を突っ込んだ。

「……久しぶりに気持ちのいいノックアウトシーンが演出できそうだ」




「あ! 桃さん!」

 観客席のパイプ椅子に腰掛ける葵、桃の姿を認めると、胸をなでおろしたように叫んだ。

「大丈夫でしたか? 心配いたしました。朝食のほうは、召し上がりましたか?」


「うん。お蔭様で」

 桃は葵に、最上級の微笑を返した。

「けど、正直あの亮じゃ足りないきがしたけどね。あ、それと……」

 手招きをするようにして、桃は二人の女性を葵の前に紹介した。

「ほら、紫ちゃん」


「あ、あの……ひさしぶ……り……」


「あら、紫さんではないですか。お久しぶりです」

 他のせいエウセビオ高校の面々同様、にこやかな微笑で紫を出迎える。


「あ、あのさ……葵にも、謝んなきゃ……」


「私に謝る必要などございません」

 葵は目を閉じ、たおやかにその言葉を否定する。

「さ、お座りください。皆で一緒に、観戦いたしましょう」


「う、うん……」

 こくりと頷き、そして紫はパイプ椅子に腰を降ろした。


「うちは、あんたとはじめまして、じゃね」


「え?」

 その言葉に、葵が顔を上げる。

「えと……あなたはもしかして……」


「そのもしかして、じゃね」

 綾子はおっとりとした微笑で葵に答えた。




「あんたが、葵ちゃんね」

 同じくパイプ椅子に腰掛けた綾子は、隣に座る葵に話しかけた。

「紫にきいとったとおりの子ね。日本人形みたいに肌がしろぉて髪も綺麗で、何より美しいて」


「い、いえそんな……」

 褒められたはずかしさと、自分いい中の人物の思い人を前にしたわずかな嫉妬心を入り混じらせた複雑な表情を、葵は浮かべた。

「綾子さんこそ……なんだか……その……真央君が好きだって言った意味が、今わかったような気がします……」


「何を言いよるんよ」

 くすり、綾子は口元に笑みを浮かべた。

「ほんにあの子、まーちゃんは、どうしようもない子じゃね」


「と、言われますと?」


「あんた、葵ちゃん、まーちゃんのこと好きじゃろ」


「は?」

 思いもよらぬ言葉に、葵は顔を真っ赤に爆発させたが

「か、隠しても無駄なようですね……」

 顔を赤らめてうつむいてしまった。


「わかるよ。うちみたいに鈍い女でも」

 ふう、ため息とともに、寂しそうな笑みへと変わった。

「あれだけ一緒におって、まーちゃんの気持ちに気づかんかったんじゃけ。けどね、うちは思うんよ。まーちゃんのうちに対する好きは、きっとそういうのと違うんじゃないかって」


「え?」

 割って入るように紫が声を上げる。

「どういうこと? 秋元は、綾子さんのことあんなに――」


「長いこと、まーちゃんの“お母さん”やってきたから、わかるんよ」

 綾子は目を閉じ、そして何かをかみ締めるかのようにして言った。

「うちが思うに、まーちゃんはね、うちがとられて悔しいんよ。桐生に。ちょうど、あかんぼが、お母さんとの間に入り込んできた、お父さんを憎いと思うようにね」


「エディプス・コンプレックス、って奴ですね」

 桃も頷き、同調する。


「うちにはそういう難しいことはよぉわからんけど……もしその言葉がそういうことを意味してるのなら、そうね」

 綾子は頷いた。

「それくらいね、まーちゃんの心は幼いんよ。きっと、うん、あの子こそ、本当に小学生の男の子みたいなもんなんよ。だから、本当の意味で、うちに恋心を抱いたとか、そういうんじゃのおて……うちを奪った、って考えてる、桐生への、子どもみたいな反発なんよ。だから……」

 ぽん、綾子は笑いながら葵の肩に手をかけた。

「こんなかわいい子ぉが自分のことを好きじゃゆうても、それに気づかんくらいに鈍いんじゃけ」


「え? ええええ?」

 葵は更に顔を真っ赤に染めた。

「そ、そんなにはっきり言われると……」


「まあ、子どものころから知ってるいう贔屓目なくしても、まーちゃんええ男になったけんね」

 その笑いは、再びいたずらなものへと変わる。

「なんだかんだで、あの子には女難の相があるかもしれんね。あのおっぱい大きい子、奈緒ちゃんだったかね? それにあんた、葵ちゃん、それに紫も、ね」


「は、はあ?」

 紫はいきり立って綾子に食って掛かる。

「な、なんで紫があのがさつな男に……」


「ほうね、口ではよういわんでも、顔はようかたりよるね」


 破裂せんばかりに顔を紅潮させた紫は、顔を抑えながらうつむいてしまった。



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